日本最南端の終着駅である枕崎駅と、最北端の終着駅である稚内駅。
鉄道で日本縦断する時この2駅はよく使われ、2年前には青春18きっぷ各駅停車縛りで移動した様子をお届けしました。
一方で、新幹線や特急列車など全ての鉄道を利用し、始発から最終列車まで乗り継いだら、どこからどこまで行けるのでしょうか。
その答えは鹿児島県の指宿枕崎線西頴娃駅から、北海道の函館本線旭川駅。鹿児島中央駅でローカル線から新幹線に乗り換え、新函館北斗駅からは在来線特急にお世話になります。
いろんな鉄道を楽しめる一方で、乗り遅れ不可のスリリングな旅になりそうです。
という訳で乗車券を買ってしまいました。これをやると決めたのは出発日の前日。完全にノリですがぜひお楽しみいただけたらと思います。
日本縦断の旅はポツンと一軒、田舎のジョイフルから始まります。
現在の時刻は深夜1時、こんな時間まで営業してくれるなんてありがたすぎます。薩摩のオアシス認定です。
空を見上げると写真でもギリギリ伝わるほどの綺麗な星空、これから出発地の西頴娃駅まで夜道を歩きます。
西頴娃駅周辺には一軒だけホテルがあるのですが、当日電話したところ満室だったので、今日は野宿です。始発列車が来るまでの時間をなるべく短くするため、ジョイフルで過ごさせていただいたのでした。
街灯も非常に少ない山の中、何台か車が通っていきました。向こうからすればこんな時間に歩いてる人いたら、明日の話題になるでしょうね。
ここは南九州市の頴娃地区、ジョイフルへは隣の頴娃駅で降りたのですが、中心部は西頴娃駅周辺です。コンビニや高校などもこちらにあります。泊まれませんがホテルもこっちです。
30分ほど歩きまして、西頴娃駅に到着しました。
最終列車の到着時刻は20:47、当然ながら深夜帯は灯りが消されています。
駅舎内に入ってみましても、駅前の点滅する赤信号が入り込むだけです。
すぐ近くにローソンがあるので、買い物をして外で待つことに。しばらく明かりの近くにいたら、コツンと何かぶつかってきました。一体何かと思いきや…
コクワガタでした。
クワガタと触れ合うなんて一体いつぶりかってくらいですが、鹿児島では空から降ってくるそうです(真顔)
外で待っていたらオーナーの方が話しかけてくださり、店内であっという間に時間が過ぎてしまいました。
非常にお世話になりまして、ありがとうございました!
さて、時刻は午前5時を回りました。
山の形がだんだん分かってくるようになりまして、とてつもなく長い1日が始まります。
この時間では営業していませんが、西頴娃駅には簡易委託の駅員さんがいらっしゃいます。
県立頴娃高校の最寄り駅として機能しており、昔ながらの紙の切符を購入できます。
列車の本数は1日7往復ほど、完全なるローカル線の様相です。
ラッチの向こう側闇の中から、ゴトゴトと音がしてきました。
引き寄せられるようにしてホームへ向かうと…
やってきました、真っ白な車体に紺色のライン。JR九州のキハ40系気動車です。
最初は1両編成のディーゼル車から。全国的に見ても屈指のローカル鉄道、指宿枕崎線を堪能することになります。
今回使用する日本縦断きっぷは、当然ながら昨日のうちに購入しておきました。
日付超えて2日で行けるのですから有効期限は8月22日までにしてくれてもいいんですが、なんか2週間以上使えるっぽいですねぇ〜。
発券した出札員さんも、まさか一気に日本縦断しようとしているなんて思ってないでしょう。
西頴娃駅からは終点まで、他に2人乗車されていました。旅行者っぽい方でしたが、ホテルに泊まられていたのでしょうか。
毎分ごとに変わる夜明けの空色、紫からオレンジへ変わっていく時間帯が良いですね。
あっという間に塗り替えられた空色をバックに、1日で行く鉄道日本縦断の旅がスタートです!
指宿枕崎線|普通山川行
5:31 西頴娃駅 発
日本最南端の路線から、始発列車が出発しました。あとは列車を乗り継ぎ続け、東へ北へ目指すだけです。
朝焼けが東の空に波打つ頃、畑が姿を現し土の香りが車内へ入り込みます。
これこそ薩摩の果てで見られる景色、始発列車を待った人の特権です。
頴娃駅を出発すると、昨日居座らせていただいたジョイフルが見えてきました。どうしても深夜まで営業しているチェーン店がここにあるとは、いつまで経っても信じがたいものです。ほんとありがたい。
南の果てを走っていた1両編成の汽車ですが、いつの間にか東南アジアの森にワープしていました。
バチバチ枝に当たりながら、ユサユサと車体を揺らしています。
しばらくすると進行方向右手に、折り紙を半分に折ったかのような山が姿を現しました。
薩摩富士の異名を持つ開聞岳、あまりに綺麗な円錐を描いています。
駅を発車しようとすると、いきなり怪物が手を伸ばしてきました。
流石にここまで来ると、走行中は窓を閉めるよう案内が流れます。景色的には当然開いていた方が良いですが、安全が最優先のため指示に従うのみです。
そして列車は本土最南端の駅、西大山駅に到着しました。
この列車は鹿児島中央方面の始発であり、今回の企画で本土最南端の駅から1日列車を乗り継いでどこまで行けるかも分かることになります。(停車中撮影)
開聞岳をバックに、「JR日本最南端の駅」を示す支柱とキハ40形を映した写真はあまりにも有名です。
いよいよ朝日も登ってきましたが、長崎鼻周辺の岩肌に隠されています。
岩木の隙間からわずかに光が漏れていました。
植物の朝露が窓を舐めていくので、閉めているとここまで濁ってしまいます。それだけ凄いところを走っているんだとお分かりいただけるのではないでしょうか。
06:05 山川駅 着
終点の山川駅でキハ40系とお別れ、快速なのはな鹿児島中央行きに乗り継ぎます。
それにしても枕木が見えないくらい植物が繁茂しています。稚内へ行く宗谷本線より最果て感を得られる路線かもしれません。
山川駅は日本最南端の有人駅です。窓口の営業が行われており、切符の購入も可能です。
気になる営業時間ですが…
平日のみ16:00〜18:00の2時間だけ。
この窓口は辿り着くだけでなく、使うのも難関です。
列車は6両とかなり長編成で運行しています。
この辺りでは過剰に思えますが、鹿児島市中心部を走る頃にはラッシュ時間帯。車内は通勤通学利用者で満員状態になるのです。
指宿枕崎線|快速なのはな鹿児島中央行
06:11 山川駅 発
転換クロスシートが連結されていたのでこちらを選びましたが、もう何が何やらレベルで曇っています。
山川港には大隅半島南部の根占港からフェリーが就航しています。薩摩半島から大隅半島へ超遠回りする必要が無く便利です。
砂むし温泉で有名な温泉の玄関口で、D&S列車指宿のたまて箱が来る指宿駅に到着しました。
流石に景色が曇りすぎていたので、前寄りに連結されていたロングシートへ移ります。
実は鹿児島中央駅の乗り換え時間がかなり短いので、下車しやすいこっちの方が良かったんですよね。
この通り景色は非常にクリア、その差は一目瞭然です。さっきのじゃ撮影機材トラブルかってレベルでした。
喜入駅は縁起の良い駅名として知られており、入場券がお土産になっていました。残念ながら現在では無人化されています。
ここからSUGOCAエリアになっていまして、交通系ICカードの利用が可能です。
鹿児島市は薩摩半島東部を占めており、すでに市内へ入っています。
五位野駅は平川動物公園の最寄駅。丼ぶりにコアラの赤ちゃんを乗せ、お母さんに見立てたコアラのぬいぐるみを抱かせて体重測定をする、「コアラ丼」なる光景が有名です。
坂之上駅を過ぎると山の上を走るようになり、眼下には鹿児島市街が広がります。錦江湾沿いの港を中心に発展したその姿は、朝日を浴びて非常に美しいです。
高架線を走るような都市区間へ突入し、甚目寺駅、谷山駅あたりから乗客が急増します。三大都市の通勤電車と遜色無い状態です。
谷川駅からは鹿児島市電が並行、単線非電化のJR指宿枕崎線に対して、市電は複線電化されています。
有名なラサール学園は谷山駅が最寄りで、兄弟校の函館ラサール学園は湯の川温泉駅が最寄り。現在における新幹線網の起終着都市に位置しており、どちらも市電終着駅が最寄り駅という、偶然の共通点があります。
…誰か企画に使いませんかね?
車両基地が見えてきますと、まもなく鹿児島中央駅。
九州新幹線への乗換時間はなんと4分!
信号の関係かかなりゆっくり走っており、ソワソワせざるを得ません。
しかし、結果としては完全に定刻での到着。
お隣に特急きりしま4号宮崎行きが止まる4番線ホームに入線しました。
07:28 鹿児島中央駅 着
ホーム上は通勤通学客でごった返しており、末端ローカル線のノリでいたら驚愕です。
階段を登りまして、新幹線乗換改札へ。九州新幹線みずほ602号新大阪行きに乗車します。
指宿枕崎線車内では新幹線の乗り換え案内もあったのですが、このみずほ602号は案内されていないレベル。もし列車が遅れて乗車できなかったとしても、特に救済はされないものと思われます。
京阪神から九州にかけ、航空機に対抗すべく設定されたみずほ。
車両の顔どころか駅名標も撮影しがたいほど忙しなくなってしまいましたが、無事最初の新幹線に乗車。
ここから自動的に新幹線で日本縦断が始まります。
九州新幹線|みずほ602号新大阪行
7:32 鹿児島中央駅 発
シンボルのアミュプラザ観覧車に見送られ、新幹線最南端の駅を出発しました。
鹿児島のシンボル桜島には完全に背を向けており、少しの間市街地を走行。
1分と経たないうちに3,302mの薩摩田上トンネルへ入ってしまいました。
すぐそこにまで山が迫っているためであり、西九州新幹線の長崎駅と非常に似ています。下り新幹線に乗車していると、トンネルを抜けたらいきなり都市が広がるのを楽しめます。
九州新幹線は49%がトンネルで占められており、特に新八代〜鹿児島中央は約7割がトンネル。ほとんど真っ暗な状態が続きます。
今回は指定席を利用しています。みずほ・さくら号の指定席は4列シート、ふかふかの座席も非常に快適なのです。
乗り換えがうまくいかなかった時の保険も忘れて、こちらを選んでしまいました。
みずほ602号は川内駅にも停車する便、朝夕1往復だけ停車するみずほ号のひとつです。
進行方向左手には川内新幹線車両センターが見えてきました。
九州新幹線は2004年に新八代〜鹿児島中央で部分開業し、2011年に博多駅まで繋がり全通しました。かつては車両基地として機能したのですが、全通後に熊本総合車両所へ役割を移し、現在は川内駅構内の扱いです。
自由席からは川内駅で下車される方が非常に多く、新幹線通勤の需要が高いことが窺い知れます。
九州新幹線開業に伴い、長距離輸送の役割を新幹線に移した在来線の鹿児島本線。
川内駅〜八代駅は自治体出資の第三セクター鉄道、肥薩おれんじ鉄道に移管されています。ディーゼル車両が行き来するローカル線ですが、貨物列車が走るため電化設備を維持しています。
川内川というシンメトリーな川を渡り、遠くには製紙工場が白煙をあげていました。
直接見ることはできませんが、河口付近には川内原子力発電所があります。
肥薩おれんじ鉄道は阿久根市を経由して海岸沿いを走りますが、九州新幹線はトンネルで内陸部を貫きます。
トンネルを抜けると出水市街。沿岸部にはシベリアから1万羽もの鶴が飛来します。その数は日本一と言われており、国の天然記念物にも指定されています。
列車は出水駅を通過しました。
九州新幹線には通過線が設けられた駅が無く、どの駅でもホームに面した線路を通過します。本数の少なさと路線長の短さから、途中駅で退避する必要がないのです。
また、線路にも注目してみると真ん中がくり抜かれており、環境に配慮したプラスチックフォークの柄みたいになっています。
九州新幹線をはじめとした最近の新幹線は、国と自治体が建設費を負担して、JRが運行を担う整備新幹線です。その最高速度は260km/hと法律で定められています。
鹿児島県から熊本県に入りまして、新水俣駅を通過します。
街の中心部から少し離れていますが、水俣川の河口に広がる市街地を一瞬見られました。
続いて新八代駅を通過します。
熊本県第二の都市である八代市は、い草と製紙業の街とされています。
八代駅と隣接した日本製紙八代工場を見られました。煙突が3本立っており、まるで工場が街を作っているみたいです。
新幹線の車窓を妨げてしまう防音壁ですが、基本的にはコンクリート製のものが使用されます。しかしこちらは透明になっており、八代市街を結構長い間楽しむことができました。
整備新幹線で透明な防音壁にする場合、設置費用を自治体が負担することになっています。先ほどの工場などじっくり見られることに感謝するほかありません。
2004年までは九州新幹線の起点だった、新八代駅を通過します。
博多〜新八代で特急リレーつばめが運行され、新八代駅で九州新幹線に対面乗り換え。これによって博多〜鹿児島中央の長距離輸送を維持していたのです。
新八代駅通過から右手を見ていますと、一本の線路が地上へ離れていくのが分かります。あちらはかつて特急リレーつばめが走っていた線路で、新幹線ホームと同じ高さまで登っていたのです。
八代平野を走行中、不知火海の向こう側には天草諸島が見られます。
熊本県第三の人口を有するのは、離島にある天草市。人口7万人で、沖縄を除いた離島自治体では最も人口が多いです。
右手には熊本総合車両所が見えてきました。
残念ながら新幹線車両を目にすることはできませんが、見学会などが行われて、車輪の幅を変えて在来線と新幹線両方を走れるフリーゲージトレインの試験車両なんかも停まっています。
残念ながら今日は曇っており視界が悪かったのですが、宇土半島を越えて熊本平野からは長崎県の雲仙普賢岳が見られます。
熊本駅に到着しました。
九州新幹線は熊本駅を境に、かなりお客さんが増加します。京阪神〜鹿児島の鉄道シェアは25%で、その強みを活かしきれていません。
在来線側に目をやってみますと、奥に駅舎外壁の黒い壁が見えていました。あちらは熊本城の石垣をイメージしたとのことで、武者返しの反りを表現しています。
そんな熊本城ですが、熊本駅を出てしばらく右手に注目していると見られます。しかしこれが結構難しく、地図と照らし合わせていても見逃しやすいです。
見逃しちゃった方には、まるで西洋のお城に見える崇城大学をどうぞ。城壁上部分の凹凸、胸壁まで見られたりします。
新玉名駅を通過した後、筑紫平野を高架線で走行。
かなり広々した平野のため、トンネルが少なくなっています。九州新幹線のスピード感を感じられる区間です。
福岡県第3の都市、久留米市を通過します。
中心部は西鉄久留米駅周辺のためJRの久留米駅は外れなのですが、それでもこれまでの途中駅とは比べ物にならない規模です。
九州新幹線は少しだけ、佐賀県に入ります。
新鳥栖駅を通過する直前、高架線の形が分岐しそうになっている部分を見られます。
ここは将来的に西九州新幹線の分岐駅と想定されており、武雄温泉駅へ向けて接続できるような構造になっているのです。
長い間平野部を高架線で走行してきましたが、最後に筑紫トンネルへ入ります。長さは11,935m、九州新幹線で最も長いトンネルです。
さらにトンネル内には35‰の勾配があって、新幹線では最急勾配とされています。
トンネルを抜けて那珂川市を走行中、防音壁の傾きから坂になっているのが分かります。九州新幹線の車両はこの勾配に対応したものです。
ここで右手に注目していると、JR西日本の博多総合車両所が広がります。
ここには100系の2階建て車両、グリーン車と食堂車が保存されています。本来京都鉄道博物館で展示するはずでしたが、2階建てゆえ高さがネックになり中止に。ここでの保存が続いています。
他にも0系新幹線や、WIN350試験車の先頭車も保存されています。航空機に打ち勝とうと350km/hの壁に挑み、500系新幹線が誕生しました。
もちろんここは車両基地なので、現在東海道山陽新幹線で活躍しているN700系新幹線がずらっと並んでいます。
この車両基地近くには博多南線が伸びています。新幹線の回送列車を活用し、ベッドタウンとして発展している地域から博多駅を結びます。
ちょっと駅名の主張が弱い看板が立っている、端っこのホームに入線しました。向こうには山陽新幹線こだま号で活躍する500系新幹線が停車中です。
08:51 博多駅 着
JR九州からJR西日本へ乗務員さんが交代されまして、みずほ号は新大阪駅を目指して出発。
このまま乗っていてもよかったのですが、博多から東京は東海道山陽新幹線で乗り通そうと思います。
乗車するのはのぞみ128号東京行きです。
終点までの所要時間はちょうど5時間、かなり長時間の乗車になります。
利用するのは後方車両の自由席、みずほ号を博多駅で降りたのは始発から自由席に座っておきたかったためです。指定席も前日の時点で、かなりの混雑でした。
東海道山陽新幹線|のぞみ128号東京行
09:06 博多駅 発
車掌さんによる特大荷物スペースについての肉声放送の後、『会いに行こう』から始まる車内チャイムが流れました。
日本を股にかけていろんな景色へ会いにいきます。
しばらくするとJR九州らしくカラフルな在来線特急車両が停車中。見ていて楽しいデザイン性が高い列車たちからもお別れです。
山陽新幹線は山の中を貫き、博多〜小倉の距離を縮めました。この区間での利用者が多いため、自由席はやや混雑を見せます。
ちなみに博多駅で一度改札を出たのですが、ちょっとした事件があったり。
あれ?使い終わった?
いいえ、特急券をもって帰ろうと有人改札へ行ったら、無効にされてしまったのです(笑)
どうせもって帰る時には同じような券面になりますし、そんなに気にしないことにします。
まもなく小倉駅という頃、鉄鋼業の盛んな北九州工業地域の工場群が見えてきます。
九州島内各都市で見られる予備校も、ここが本丸です。
小倉駅で自由席の乗客は7割くらいになりました。
九州鉄道の始発点だった門司港、戦中の1942年に本州と繋がった関門トンネルへ向けて、鹿児島本線が離れていきます。
山陽新幹線も新関門トンネルへ突入、いよいよ本州に別れを告げます。
博多駅では駅弁を買ってきました。
こちら博多やきとり弁当、福岡県は鶏の料理も有名です。
ヤングコーンやピーマンも入っていて、どこかバーベキュー的な楽しみも味わえます。
鶏の首の皮を串にぐるぐる巻いて、何度も焼きながらつくる、福岡独特の串焼きです。
ももはしっかり歯ごたえがあって、冷めても今焼いたかのような香りで美味しかったです。
のぞみ号は本州へ突入しまして、新下関駅を通過しました。
山陰新幹線ができた時に備えて、一面窓の向こう側には線路を敷けるスペースが確保されています。
速度をぐんぐん上げていくところ、九州新幹線の最高速度260km/hを有に超えます。
今回乗車しているのぞみ号は山口県内には止まらず、新山口駅を通過しました。
山陰地方へ陰陽連絡線の役割も担うJR山口線が分岐し、SLやまぐち号が走ります。今気づいたんですが気動車がたくさん止まっている中、岡山地区で活躍する新型車両Uraraがいますね。
新幹線らしい本領を発揮しつつ、280km/h近くで走行中。そんな中で途中、スピードを落とす区間が存在するのです。
だんだん速度が落ちてきまして、周南コンビナートが見えてきました。
威勢よく白煙をあげる徳山の工場群、山陽新幹線で最も景色が良い区間かと思いますが、まもなく徳山駅を通過します。
徳山駅には一部ののぞみ号も停車し、こういった工場系企業への出張需要を汲んでいるものと思われます。
そして速度を見てみますとこの通り、185km/h前後まで落ちていました。
山陽新幹線はこれより山側に単独駅の新徳山駅を設置する予定でした。しかし中心部に近い徳山駅を通す地元からの要望が大きく、その結果カーブが生まれて制限速度がかかるようになったのです。
山陽新幹線に平行して、山陽本線のバイパス線として建設された岩徳線が走ります。
1943年に全通後新しい山陽本線として機能しましたが、複線化時には長大トンネルを掘削する必要のない従来の山陽本線が選ばれ、現在では1両の汽車が走るローカル線です。
山陽新幹線の駅で最も利用者の少ない駅、新岩国駅を通過しました。
錦川鉄道錦川清流線に乗り換えて岩国駅へ行けるとはいえ、中心市街地から外れており、隣が全のぞみ号停車駅の広島駅という事情も重なります。
太田川の三角州に形成された中国地方最大の都市、広島駅に到着です。
この辺りですでに自由席は人が増えてきて、1号車でもC席はほとんど埋まるぐらいになりました。
広島駅を出発すると、赤い東横インに赤いローソンが見えてきます。
その訳はこちら、MAZDA Zoom-Zoomスタジアムです。
広島カープといえば#FF0000の赤色、町中のいろんなものが赤色で染められています。
もう少し進んだところの貨物ターミナルと車両基地には、カープのラッピング列車まで停まってました。
山陽本線はこの先、セノハチ越えと呼ばれる山道を登っていきます。
22%の勾配が続く区間であり、貨物列車では先頭の機関車が引っ張るだけでなく、後ろからも補助機関車が押します。そのために広島の貨物ターミナルには機関車が待機している訳です。
新幹線単独駅の東広島駅を通過しました。
中心部から離れており不便なことで知られる、広島空港は東広島市内に位置します。新幹線駅ひと駅分も離れている程です。
山陽本線が見えてきたところ、もっと瀬戸内海沿いを走る呉線も合流します。
まもなく三原駅を通過。山陽新幹線建設時には三原市と尾道市どちらかに駅を設置する方針でした。三原駅に設置する場合市街地を走るルートですが、市長が国鉄に署名を持参し用地買収に問題がないことから、在来線とも乗り換えられる三原駅が選ばれました。
結果的には1988年に新尾道駅が開業しましたが、この建設費用は自治体が負担しています。新幹線駅にしては短い11.5kmの駅間距離で、山陽新幹線の中では最も短いです。
のぞみ号の停車パターンとしては、全停車駅に加えて姫路駅、福山駅、徳山駅、新山口駅のどれかに止まるのが通常です。
今回選ばれたのは天守閣がすぐ近くに見られる駅、福山駅でした。
北口にほぼ接するレベルで福山城が位置しています。
ここからの利用者さんが非常に多く、自由席はほぼ全ての座席が埋まりました。
岡山県に入りまして、伯備線と立体交差。
特急やくもやサンライズ出雲に乗っている時、いつも注目する場所です。中々タイミングよく列車が来ることはありません。
まもなく岡山駅に到着、四国・山陰方面へ分岐する重要なターミナルであることから、近くの車両基地や留置線には近郊電車のほか様々な特急車両を見ることができます。
ここまでの山陽新幹線は1975年に開業した区間。これより岡山〜新大阪は、1972年に東海道新幹線を延伸する形で一足早く開通しています。
岡山駅から自由席は完全に満席の状態です。岡山県第三のまちへ津山線が分岐しており、朝乗ってきた指宿枕崎線と同型のキハ40系が走っています。
岡山三大河川のひとつとされる、吉井川を渡りました。ここで撮影された新幹線の写真をよく見ることがあります。
山陽新幹線の最高速度300km/hで走り続けてきました。
姫路駅を通過後、制限速度は270km/hへ落とされます。左手に注目していれば姫路城を見られますが、写真を撮影するのは結構撮影するのは難しいです。
京阪神圏のベッドタウンとして発展している明石市へ。
瀬戸内海に一番近いところを走り、播磨臨海工業地域や明石海峡大橋なども見られます。
新神戸駅を発車すると、全長16,250mの六甲トンネルへ。
1972年開通当時は日本最長、世界で3番目に長い鉄道トンネルでした。
トンネルを抜けて阪神圏の都市部へ入りました。マンションなどの集合住宅の先には、高層ビルが見え始めます。
大阪駅周辺を通ると遠回りになるため、新幹線は少々離れた新大阪駅に駅が設置されました。
進行方向右手の方が見やすいですが、梅田のビルたちが顔を覗かせています。それでも近くに伊丹空港があるため、西側においては高さ制限がかけられているようです。
新大阪駅に到着しまして、山陽新幹線はこれで終わり。このまま東海道新幹線へ直通します。
JR西日本からJR東海の方へ乗務員さんが交代されました。駅名標もオレンジ色です。
1964年に開業しました世界初の高速鉄道へ。旅行を終えた方、これから旅行の方を沢山乗せ、東京駅に向けて出発です。
しばらくすると鳥飼車両基地が見えてきました。真っ白な車体に青色ラインのシンプルな列車たちが、太陽の光を真正面に受けてお昼寝中です。こんなことしていても日焼けしない純白美肌のまま。
東海道本線沿いにはなぜか泉北高速鉄道の文字が見えて驚き。大阪の和泉ニュータウンから南海電鉄へ乗り入れている鉄道会社なのに、なぜここで…?
調べてみたところ物流事業も行っており、ここには北大阪物流センターが整備されているとのことでした。
東海道新幹線は少しの間阪急本線と並走。ちょうど駅には阪急マルーンと呼ばれる列車が止まっていました。栗のフランス語「マロン」(実際には誤訳)が語源です。
京都市に入りまして、桂川を渡るところでは東海道本線普通列車とすれ違いました。
京都鉄道博物館にある扇形の梅小路機関庫には、機関車などもみられます。あの中にいるトワイライトエクスプレスに泊まっていたら、1本で大阪から札幌まで連れて行ってくれたのですが…。
景観保護条例による低層階の建物が広がる中、一つ頭を飛び出しているのが京都タワーです。
ろうそくがモチーフと言われて納得してしまいそうですが、実際には灯台をイメージして1964年に誕生しました。
京都駅から発車して来たのは特急くろしおの287系電車。1日2回しか京都駅に来ないので、非常に珍しい光景です。
紀伊半島におけるJR西日本の果て、新宮駅を早朝に出発して11:17の到着。そこからの回送列車と思われます。
京都駅からも結構乗車がありまして、2,3号車は混雑していた様子。車掌さんからそのことについて放送もされていました。
京都から滋賀にかけては東山トンネルと新逢坂山トンネルが続きます。
ここには非常に大きな山があって、東海道本線を敷設する時も難工事。1921年までは伏見稲荷近くを経由する大回りルートでした。
さらに東海道本線が全通していない時代には、長浜〜大津に太湖汽船という日本初の鉄道連絡線が運航されていました。
1889年に関ケ原駅〜馬場駅(現在の膳所駅)の鉄路が繋がったことで東海道本線が全通。当時国際港として日本の玄関口だった敦賀から米原の鉄道も接続されていたことから、連絡船としての運行を終えました。
そんな琵琶湖ですが、東海道新幹線からは一瞬だけ見ることができます。京阪神のベッドタウンとして発展する湖西線南部沿線も、対岸に広がっていました。
京都〜米原は青函トンネル区間を除き、日本一長い新幹線の駅間距離です。
その距離は68.1kmに及び、西九州新幹線全区間の69.6kmに匹敵する長さです。
ここでは南びわ湖駅の建設工事が行われていたのですが、計画中止を訴える滋賀県知事が当選したことにより中止。現在では日清や積水の工場が立ち並びます。
東海道新幹線は日本一古い新幹線ですが、それでも最高速度は285km/h。直線が続くこの区間をトップスピードで駆け抜けていきます。
左下を見下ろすと近江鉄道の線路が並行しています。日中は1時間に1本のローカル線ですが、うまい具合に来てくれました。関東の大手私鉄、西武鉄道の子会社です。
天に伸びるフジテックのエレベーター塔を過ぎ、米原駅を通過します。ここからは北陸本線が伸びており、名古屋から北陸への特急しらさぎが発着する駅です。
岐阜県に入りまして、左手には伊吹山が見えてきました。
冬には北西から伊吹おろしと呼ばれる季節風が吹き、この地域に雪をもたらします。超高頻度での定時運行を実現している東海道新幹線ですが、この雪には弱く遅れることもしばしばです。
そこで設置されているのが岐阜羽島駅。のぞみ号は真ん中の通過線を走りますが、基本的に使用される内側の線路に加えて、一番外側に待避線が設けられています。
木曽川を渡って愛知県内へ、すぐに名古屋市となります。
並行する名鉄の留置線には、中部国際空港へ行くミュースカイが止まっているところでした。今からでも飛行機で北海道へ飛べば、ここへ帰ってくることさえできてしまうでしょう。
それでも鉄道で地を這っていくのも面白いもの。こうして名駅のビル群を見上げ、その大きさを実感することができます。
名古屋駅を出発する時には、ちょうどあおなみ線が発車するところ。金城ふ頭にオープンしたレゴランドのラッピング車両でした。東京ディズニーリゾート、USJと並びたいテーマパークです。
セロテープの看板が見えてくると、三河安城駅を定刻通り通過しました。次の新横浜駅にはあと1時間10分で到着します。
遠くの方に三河湾が見えてきまして、丸く浮かんでいるのは愛知県固有の領土、竹島です。
青い城海津跨線橋をくぐりまして、豊橋駅を通過しました。トラスは1942年に廃止された伊勢電気鉄道の宮川橋梁を転用した由緒あるものです。
東海道新幹線開通時、この跨線橋を残すよう地元からの声があり、豊橋駅のホームは地上に作られて、高架からわざわざ一度降りてきます。
静岡県に入りまして、浜名湖を通過。
日本で10番目に広い湖で、東海道本線、東海道新幹線、国道1号が一緒に渡ります。
現在では静岡県で一番人口が多くなった、浜松駅を通過。こだま720号を追い抜きました。
静岡県で一番高い212.77mのアクトタワーを通過、音楽の街としてハーモニカを連想させられる外観です。
掛川駅を通過する辺りでは、掛川城を見られます。
戦時中、東海道本線の浜名湖橋梁が攻撃されることを考え、迂回路線として国鉄二俣線が建設されました。
この路線は掛川駅で合流しまして、現在では天竜二俣鉄道として運行しています。
静岡県といえばお茶の産地。掛川市、菊川市、島田市のあたりではお茶畑の中を走っていきます。
そしてリニア中央新幹線で度々騒がせる、大井川を渡りました。現在はダム建設などでご覧の水量ですが、江戸時代には屈指の難所として名を馳せていました。
安倍川を渡った後、進行方向右手の海側奥の方には、富士山が見られるポイントがあります。
今日は視界が悪く確認できませんでしたが、線路のカーブによってこのような区間が存在しているのです。
静岡県の県庁所在地、静岡市を通過します。お隣には373系電車が停車中、身延線を走り甲府駅へ至る特急ふじかわ号に使用されています。
東海道新幹線で最も長い鉄橋、富士川橋梁を渡りました。
富士山をバックにして富士川を渡るカットが非常に人気で、特にドクターイエローが通過すると、とてつもなく映えます。
そのバックになる富士山ですが…
残念ながら今日は曇り空、その姿を目にすることはできませんでした。
それでも麓には街並みが広がっており、ここからだとまるで市街地が押し寄せているようです。
東海道新幹線では唯一の新幹線単独駅、新富士駅を通過しました。富士市は製紙業の盛んな地域です。
この通り一帯に工場の煙突が林立しており、煙の上がる街並みが広がります。
島式ホームで通過線が外側にあるという、珍しい構造をした三島駅。
ちょうど内側に停まっていた、こだま718号東京行きを追い抜きます。
東海道本線から難所となっていたところ、新丹那トンネルで貫きました。
それを抜けると眼下には温泉街を見下ろせて、ちょうど特急踊り子13号が伊豆方面へ走って行くところでした。
小田原駅を通過しまして、もう少しで新横浜駅に到着の放送が流れます。
山を越えると左手にはカラフルな三角屋根の住宅街、湘南日向岡住宅が見えてきました。東急が開発したバブル期の新興住宅地の一つ、1987年に街開きしており、平塚駅からバスで20分と通勤などにはちょっと大変そうなところです。
名古屋駅から1時間ぶりの停車、新横浜駅に到着しました。
ちょうどJRの乗り換え先となります、黄緑色の横浜線がやってきました。
駅を発車するとシンボル的存在、筒状の新横浜プリンスホテルが立っています。開業時は一面田んぼだったと言われる新横浜駅ですが、駅周辺も見違えるほど発展し、2023年春には東急相鉄新横浜線が開通。非常にアツい地域となりました。
遠くの方にタワーマンションが見えてきまして、新幹線は都心部へ。直線ルートでの建設が難しかったことから、新横浜〜品川の最高速度は200km/hとなっています。
特に武蔵小杉駅から多摩川を渡るところはほぼ直角のカーブ、最高速度は110km/hに抑えられ、ここから品川駅までも170km/hに制限されています。
一面の一軒家の向こう、透明なレゴブロックを積み上げたようなマンションに迎えられつつ、 まもなく品川駅に到着です。
東海道新幹線品川駅は2003年に設置され、このキャンペーンの一環でTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」が誕生しました。これを使用した車内チャイムは期間限定だったはずなのですが、東海道新幹線40周年や愛知万博の開催で延長され、2023年夏まで使用されています。
品川駅を出発すると在来線の車両基地が見えてきて、今朝運行を終えてお休み中の寝台特急サンライズ号がいました。
鉄道発祥の地とされる新橋を見下ろし、通勤電車が集結する区間になると、遂に東京まで来たんだという実感が湧いてきました。
東海道本線と並走しつつ、『会いに行こう』の車内チャイムが流れます。鉄道の本気に引き連れられ、北の大地へ会いにいきましょう。
大正3年に建てられた東京駅丸の内駅舎に迎えられ、終点の東京駅に到着です。
向こうには緑色の新幹線、これからバトンを渡す東北北海道新幹線が見えています。
14:06 東京駅 着
東海道新幹線の始発駅、こちら東京駅です。
博多駅からの所要時間はぴったり5時間、折り返しのぞみ新大阪行きとして運用に就くみたいで、まだまだ長いお仕事です。
あまりのんびりしている時間は無く、はやぶさ・こまち27号新函館北斗・秋田行きに乗り換えます。
薄緑色をした「はやぶさ」は新函館北斗、北海道まで連れて行ってくれる便です。
東北新幹線も旅行需要復活に伴い満席状態。前日では何とか最後の窓側1席を確保できて、直前ではグランクラスしか残っていません。
遂に特急券にも北の大地の地名が刻まれるようになりました。
とはいえまだまだ本州は長く、4時間以上乗車してやっと北海道の玄関口です。
使用されているのはE5系新幹線。鼻専用ではないかってくらいの1両目、その長さは約15mあります。
東海道新幹線と東北新幹線の線路は東京駅で分断されており、直通運行は物理的にできない状態です。
当初は直通運転も視野に入っていたのですが、東海道新幹線の需要が予想以上に大きく、共用予定だったホームも東海道新幹線専用にせざるをえず、実現は遠くなってしまいました。
4線しか無いホームに東北・秋田・山形・上越・北陸の5方面から新幹線が集結するため、東京駅は大忙し。
発車2分前に清掃が終わり、ようやく乗車できるようになります。
東北北海道新幹線|はやぶさ27号新函館北斗行
14:20 東京駅 発
東北新幹線の車内チャイムが流れまして、遂に北海道への旅が始まりました。普通であればこれに乗るだけでも大旅行、まさか今朝鹿児島県の最南端路線に乗っていた人が、ここにいるとは思いもよらないでしょう。
秋葉原のヨドバシカメラを最後に、上野駅地下ホームへ潜っていきます。向かいの東京行きホームにも家族連れがいらっしゃったりと、お盆らしさを感じさせられました。
在来線からの方が見やすいですが、尾久駅周辺には新幹線や在来線の車両基地が置かれています。
荒川を渡りまして、東京都から埼玉県へ。しっかり14分間も地に足をつけてお世話になりました。
東北新幹線は1982年、大宮駅〜盛岡駅で開業しました。1985年に上野駅〜大宮駅、そして1991年遂に東京駅〜上野駅が開業して東海道新幹線と繋がったのです。
この区間の開業が遅れたのは、新幹線走行の騒音に対する建設反対運動があったため。そこで並行する埼京線を建設し、最高速度は130km/hに抑えられています。
現在では埼京線の方が騒音を放っているのではと言われる始末。それでも新幹線は本領を発揮できず、焦らしつつ大宮駅に到着しました。
大宮駅の次は仙台駅までノンストップ。この時点で満席になりました。
大宮駅からは上越・北陸新幹線が分かれます。2023年春から上越新幹線はE7系新幹線に統一され、完全に青色新幹線の領域になってしまいました。
大宮〜宇都宮の最高速度は275km/h、E5系新幹線では車両側で騒音対策を行なっているため、240km/hではなく35km/h分スピードを出せています。
遠くの方に見られるのは、おそらく筑波山。茨城県のシンボルとも言える山で、標高877mと低いながら富士山と並び称されることもあります。
東北新幹線は利根川を渡り、その茨城県に一瞬だけ入ります。しかし駅は設置されておらず、新幹線が通っていながら駅がない都道府県は茨城県だけです。
栃木県の県庁所在地、宇都宮駅を通過しました。
北関東における最大都市、はやぶさ号はこれもスルーして、なるべく東京から遠くの需要を拾うことに特化します。近いところについては、やまびこ号、なすの号の役割です。
そして宇都宮駅から先はいよいよ320km/h区間、日本国内の陸上交通で最速の走りを見せてくれます。
東海道山陽新幹線も十分早いですが、20km/hの差でもやはりレベルが違います。
とんでもないスピードで白河の関を越え、東北地方に突入。郡山駅を通過しました。
福島県東部における広大な山地が圧縮されており、東北本線と太平洋沿岸の常磐線を隔てます。
少しの間だけ東北本線と完全に並走、宮城県への国見峠を越えて行きました。
白石蔵王駅より完全に直線で、あっという間に仙台市へと至ります。
くねくね曲がった東北本線と再会しまして、一緒に名取川を渡りました。
ここで東北本線から仙台貨物ターミナルへ向かう、貨物線が分かれていきました。
直線の短絡ルートで北上する貨物線に対し、東北本線と東北新幹線は急カーブによって、市街地中心部に近い仙台駅に立ち寄ります。
東北新幹線建設時には宮城野貨物線と並行するルートを採用し、新仙台駅を設置する構想もありました。しかし市民によって既存の仙台駅乗り入れが要望されたため、仙台駅に新幹線駅ができています。
仙台駅でもお客さんが入れ替わるだけで、あまり利用者は減りませんでした。
仙台合同庁舎、NTTなど榴ヶ岡地区の建物を見つつ、東北地方最大都市を後にします。
しばらくすると右手には、利府車両基地が見えてきます。東北新幹線の車両はここへ集結しています。
大崎市の中心駅となっています、古川駅を通過。陸羽東線の線路と直交しており、鳴子温泉への玄関口です。
続いて新幹線単独駅となっている、くりこま高原駅を通過しました。
市街地から駅まで車で来て鉄道に乗る、パークアンドライド主流の駅とはいえ、ポツンと感が否めないのが面白いところです。
宮城県より岩手県へ入りました。
最初に通過するのは一ノ関駅。一関市は同じ岩手県宮古市に次いで、全国12番目に広い市町村です。
岩手県は楕円形の形をしており、日本一面積の広い県になります。
通過線が無く目の前を320km/hで通過する水沢江刺駅を通過。
新花巻駅とともに、1985年に新規開業した駅です。将来札幌へ延伸して夜行新幹線構想が実現した時に備え、深夜の保線を行うことを想定した構造になります。
ここまで続いていた320km/hは盛岡で終わり、最後の最速区間を堪能しましょう。盛岡から先の最高速度は260km/hですが、防音対策による320km/hへの引き上げ工事が進められています。
北上川の向こうには盛岡の市街地が見えてきました。
ニューヨークタイムズが選ぶ今年行くべき世界の旅行先として、ロンドンに次ぎ2位に選出されたことで話題になっています。紅葉の盛岡城跡や大正時代の建物が残されていることが挙げられているようです。
盛岡駅に到着しまして、前寄りに連結していた秋田新幹線こまち号が先に出発します。
今回は流石に3列シートの端っこだったので見られませんでしたが、はやぶさ号に乗っていればこまち号を見送ることができます。
盛岡駅を出発すると左手には岩木山を見られます。
そしてしばらくは旧東北本線の、IGRいわて銀河鉄道と並行。
東北・北海道新幹線の盛岡以北は整備新幹線であり、並行する在来線は第三セクター鉄道に移管されています。長距離輸送の役割を新幹線に移すと在来線は儲からなくなってしまうので、JRから運行を切り離すことができるのです。最初に乗った九州新幹線でも見られました、肥薩おれんじ鉄道と同様です。
東北新幹線で最も利用者の少ない、いわて沼宮内駅を通過しました。
IGRいわて銀河鉄道の行き先にもなっているので、とてつもなく駅周辺が寂しいと言う訳ではありません。
そしてここから長大トンネルとなります、岩手一戸トンネルに突入です。
日本の鉄道トンネルの長さトップ3は、東北北海道新幹線に集まっています。こちらは第3位であり、その全長は25,808mです。
そんな長いトンネルを抜けた先、二戸駅を通過しました。
青森県・岩手県の県境付近には一戸〜九戸の自治体が集まっており、四戸だけがありません。
青森県に入りまして、八戸駅に到着です。
青森県における3都市の一つであり、一部のはやぶさ号は通過するものの、それなりの本数が停まります。チューブの中に入っていくような、丸い屋根が特徴的です。
盛岡駅〜八戸駅は2002年の開業で、ここが終着駅だった時代もあります。現在では外側線がほとんど使われていませんが、2面4線構造です。
お隣に座っていたのはガタイの良い黒人の方だったのですが、同じような方と一緒に八戸駅で降りていかれました。勝手に想像しますが高校生の留学生かなという感じです。
八戸駅を出発すると車両基地があるのですが、撮影日の前日に運行を終えた、リゾートあすなろが停車中でした。
この車両は新しくリニューアルされまして、2023年冬から「ひなび(陽旅)」と、2024年春から「SATONO」として運行開始予定です。
八戸駅は中心部からかなり離れており、JR八戸線の本八戸駅周辺が栄えています。八戸港から苫小牧港にはシルバーフェリーが就航しており、旅客でも便利に利用できます。
新幹線単独駅である七戸十和田駅を通過すると、八甲田トンネルには入ります。
日本で2番目に長い鉄道トンネルで、長さは26,455m。2005年の貫通時は世界最長の陸上トンネルでした。
旧東北本線は陸奥湾、青森湾沿いの夏泊半島に沿って走るのですが、東北新幹線はそれを無視するかの如く山を貫いてしまいます。遠くの方に注目すると、もう青森市街地が見えています。
日本最長の鉄道路線、東北新幹線を乗り通して遂に新青森駅に到着です。
新青森駅でほとんどのお客さんが降りられ、車内には5,6人程度残るだけに。
観光客利用が多くを占める北海道新幹線に対し、ビジネス利用者向けのTRAIN DESK車両とはいえ、あんな満席状態だったのにここまで減るとは驚きです。
新青森駅を出発すると、北海道新幹線のアナウンスが流れます。いよいよ最後の鉄道会社、JR東日本からJR北海道へ入りました。
奥には青森ベイブリッジの主塔が2本立っており、その左側には三角形の建物アスパムを見られました。
青森市は港町として栄えたまち、新幹線は北海道を目指したいので青森市中心部へ乗り入れるルートにはできず、少々内陸寄りに新青森駅が設置されています。
津軽半島には青森湾が面しており、夏泊半島の向こう側は陸奥湾です。
線路はちょっと見つけづらいですが、住宅の辺りにはJR津軽線が走っています。
海上には青森〜函館を結ぶ津軽海峡フェリーがいました。おそらく青森港を17:05に出港したブルーハピネス、函館港を目指します。
これから北海道新幹線が走る青函トンネルには、貨物列車も走ります。
JR津軽線の新中小国信号場で分岐した線路が、北海道新幹線へ合流してきました。
JR北海道唯一の本州島内の駅、奥津軽いまべつ駅を通過します。新幹線ホームの外側に線路が分かれており、ここで貨物列車が新幹線を待避できる構造です。
新幹線の秘境駅とも言われる駅であり、乗車人数は26人/日(2019年度)。日本一利用客数の少ない新幹線駅として知られています。
新幹線と在来線では線路幅が異なるため、両方の列車が走れるように三線軌条と呼ばれる、レール3本の区間です。
また新幹線は交流25000Vという高電圧のため、貨物列車の機関車は専用のEH800形機関車、在来線の旅客列車もこれに対応したTRAIN SUITE四季島しか走れません。
そしていよいよ青函トンネルへ突入、どれが青函トンネルか分かりづらいのですが、左手に見える青函トンネル入口広場が目印です。
17:49青函トンネルへ突入しました。
車内表示器には青函トンネルについての案内が流れています。
この時の車掌さんは非常に親切で、新青森駅発車時に何時頃青函トンネルへ入るか放送してくださっていました。
青函トンネルに入ってもぜひ注目していただきたいのが、途中見られる地下駅のような明るい区間。
こちらは津軽半島先端部に設置された竜飛定点で、かつては竜飛海底駅として営業していました。特別な列車がここに停車して、旅客も降り立つことができたのです。
新幹線開業時に駅としては廃止されましたが、避難用設備として非常時に地上へ上がれるようになっています。
これを過ぎれば本州を離れ、津軽海峡を走行していることに。海底から約100m下を走っている世界最長の海底トンネルです。
青函トンネルの全長は53,850m、2016年にスイスのゴッタルドベーストンネルが開通するまでは、世界最長のトンネルでした。
再び明るい区間が見えますと、こちらは吉岡定点。北海道側の避難設備となっており、津軽海峡を越えて北海道の地下へ至ったことを意味します。
そしていよいよ北の大地の光が近くなってきました。
青函トンネルとシェルターで接続している第1湯の里トンネルを抜けまして、ついに北海道に上陸です!
すぐに見えてくるのは湯の里知内信号場。赤い消火栓が並んでいますが、トンネル内で火災が発生した際は列車をここまで走らせて、すぐ消火できるようになっています。
在来線時代は知内駅として営業しており、北島三郎の出身地として知られています。
まもなく木古内駅というところで、一体化していた在来線の線路が離れていきました。貨物列車はここから第三セクター道南いさりび鉄道を走り、函館本線へ接続することになります。
北海道最南端の駅、木古内駅を通過。
貨物列車の共用区間においては、青函トンネル内は160km/h、それ以外は140km/hに制限されていましたが、ここからは制限速度が260kmへ上がります。
海の近くを走っているのですが、残念ながら防音壁があるため景色は楽しめません。透明な防音壁にする場合は沿線自治体が負担する必要があるため、どうしても難しいようです。
山を越えて遂に景色を楽しめるところ、海沿いには北斗市の太平洋セメント上磯工場が見えてきました。
ここで生産されたセメントを船へ積み込むための桟橋は、なんと長さ2km!
一般の人が歩くことはできませんが、おそらく日本一長い桟橋と思われます。
そして海に浮かんでいるのは函館山、函館市街が広がる陸繋砂州(トンボロ)にが糸のように見えており、山から見られる100万ドルの夜景はここに広がっているものです。
そんな函館山の景色を見つつ、車内チャイムが流れてきました。遂に新幹線の北の果て、新函館北斗駅到着の案内です。
本当なら函館市内に新幹線駅を作りたかったはずですが、北海道新幹線は札幌を目指すためそこを経由すると遠回りに。一旦近づいていた函館市街から離れて北上します。
しばらくすると函館新幹線総合車両所が見えてきました。JR北海道のH5系新幹線3編成が配置されており、かつてあったもう1編成は仙台沖地震で被災し、ここで解体されました。
太陽も山の向こう側へ隠れていきまして、空も夕暮れ。終点の新函館北斗駅に到着です。
18:29 新函館北斗駅 着
鹿児島中央駅ではサラッとしか見られませんでしたが、この通り行き止まりの駅名標。ここから先新幹線の線路は繋がっていません。
新幹線が連れてきてくれた、鹿児島中央駅から新函館北斗駅までの2149.6km。所要時間は10時間57分で、計算上約200km/hで動き続けていることになります。
夢の超特急と言われた200km/hが鹿児島から北海道の平均速度とは、一体どういうことなんでしょうね…。
お隣には線路が敷かれていないスペースがありますが、こちらは将来北海道新幹線が札幌へ延伸する時に備えたもの。現在は2面2線構造ですが、2面4線へ拡張されます。
ホームの端っこまでいきますと、線路は途切れて車止めが置かれています。その先には32,675mに及ぶ渡島トンネルの入り口が見えており、八甲田トンネルを抜いて日本最長の陸上トンネルになる予定です。
ちなみにリニア中央新幹線では、渡島トンネルより長いトンネルが2本計画されています。いや凄すぎw
当然ながら全ての新幹線がここで尾灯に切り替えられますが、ここから札幌まで一本で行けるようになるのが楽しみです。
鉄道における北海道の玄関口となっている、新函館北斗駅。
気温は26.4℃でして、残念なことにそこまで涼しくありません。
よく考えたらここまで来ただけでも、新幹線で日本縦断っていう十分大きな企画。
しかし今日は鉄道の限界へ挑むべく、まだまだ先へ進まなければなりません。
新函館北斗駅の近くには「ほっくる」という商業施設があって、日帰り温泉も楽しめます。エクストリーム入浴する人もいそうですが、そこまでしたくないので辞めておきました(笑)
こちらに入居しているのが、ハマナスクラブ。
セイコーマート系列のコンビニなので、スパゲッティやソフトクリームなどもここで買うことができます。結構長時間の乗車になるので、ここで買い込んでおきました。
新函館北斗駅からは鹿児島中央駅以来、在来線にお世話になります。
この一文よく考えたら異常ですね。
地味に今回の旅で初めての在来線特急です。札幌へ行ける最終便、特急北斗21号に乗車します。
函館室蘭本線|特急北斗21号札幌行
19:06 新函館北斗駅 発
気動車のエンジン音を全身に感じながら、新幹線ホームと東横インの青ネオンを背に出発です。
JR北海道で聴き慣れた大橋俊夫さんの自動放送を聴きつつ、道内を北上していきます。
いきなり待ち構える仁山越えと呼ばれる急勾配、右手を見下ろすと函館平野の夜景を楽しめました。
さらに反対側を向きますと、夕焼けの残り香。
出発地の西頴娃駅で日の出を迎え、北の大地で青空を見送ることになります。
ギリギリ形の分かる大沼に浮かぶ月夜、絵に描いたような幻想的な世界です。
ほとんどの特急北斗が停車する大沼公園駅ですが、この時間利用する方はいないため通過します。日本新三景の一つに数えられており、駒ヶ岳をバックに小さな島々が浮かぶ大沼の景観は非常に美しいです。
ハマナスクラブで買い込んできました、特急北斗にて宴会しましょう。
お客さんが少ないおかげで、匂いを気にせず楽しめるのがありがたいところ。
ザンギとカルボナーラをサッポロクラシックと共にいただきます。
ザンギは生姜の香りと味濃いめなのが特徴的です。
濃厚でクリーミーなカルボナーラも、もはや立派な北海道名物です。110円という安さも大きな魅力。
特急北斗は漆黒の闇を駆け抜けていきます。
本当なら内浦湾の絶景ですが、夜になってしまえば僅かな街灯を目印にするだけです。
森駅に到着しまして、向こうにはキハ40系が停車中。防寒対策など施されていますが、指宿枕崎線で乗ったのと形は同じです。
国鉄時代から活躍していることもあり、南から北まで全国で走ります。
特急北斗の最高速度は120km/h、かつては130km/hという全国最速のディーゼル特急でした。
長万部駅に到着しまして、ここから室蘭本線へ入ります。
ここには北海道新幹線の駅が設置されまして、室蘭本線への乗り換え駅に。おそらくここで洞爺・室蘭・登別方面の特急へ乗り換えることになると思われます。
ここまで走ってきた函館本線は、倶知安・小樽を経由して札幌・旭川へ至ります。北海道新幹線の並行在来線であり、経営分離される函館本線の長万部〜倶知安〜小樽は廃止が決まっています。
室蘭本線に入ると長大トンネルが続きます。
その僅かな隙間に設置されているのが、日本一の秘境駅とされる小幌駅です。
なんとかその姿を収めましたが、こんなところ夜に行ったら死ぬでしょうよ…。
2008年に北海道洞爺湖サミットも開催された温泉地の玄関口、洞爺駅で最終の特急北斗22号函館行きとすれ違いました。
室蘭市内へ入りますと、車窓には綺麗な工場夜景が映し出されてきました。
コンビナートの向こう側に架かるのは、1998年に完成した東日本最大の吊り橋、白鳥大橋です。
かぎ爪のような形をした絵鞆半島に橋が架けられ、入り江の室蘭港を中心に一周できるようになりました。
見上げなければならない程のセメント工場やコンビナートなど、製鉄業で発展し「鉄のまち」とされる室蘭の底力を感じさせます。
東室蘭駅に到着しました。
絵鞆半島により波が穏やかな両港として発展した室蘭港へは、室蘭支線が伸びており、札幌〜室蘭を結ぶ特急すずらんも走っています。
ここには貨物駅が併設されており、製鉄所や工場への専用線が伸びた過去も。現在でも本州からの貨物列車が発着します。
かつては函館〜札幌の途中停車駅が東室蘭駅のみという、超速達便の特急スーパー北斗号も運行していました。
白老〜沼ノ端には28.7kmに及ぶ在来線最長の直線区間があり、高速走行を見せてくれます。
苫小牧もまた工業地帯として大きく栄えているところ。
苫小牧駅の目の前に王子製紙苫小牧工場があって、車内からでは大きな煙突の全体像を見るのに苦労するほどです。
2023年5月にデビューした新型車両737系電車が止まっており、桜色の車体とワンマン電車が特徴的となっています。
千歳線に入りまして、新千歳空港への空港支線や道東への石勝線が分岐する、南千歳駅を発車。
千歳市街を高架線で駆け抜けていき、札幌のベッドタウンとしても人口増加地域である千歳市、恵庭市を走行します。
寝てしまったので快速エアポートからの写真ですが、クリアに輝く北広島駅の先にはエスコンフィールドHOKKAIDOの横を通過しました。
この辺りに新駅が設置される予定ですが、建設費高騰によって計画が遅れているところです。
札幌市内に入りまして、新札幌駅に停車。札幌の副都心として開発が進んでおり、11月には新商業施設「BiVi新さっぽろ」がオープン予定です。
右手からは旭川側より函館本線が近づいてきました。
平和駅を通過したところ、終点札幌駅到着の放送が流れます。
函館本線と千歳線の分岐駅となります、白石駅を通過。
今回の乗車券では札幌〜白石が含まれていませんが、函館から旭川へ行くのに白石駅で乗り換えられない場合、札幌駅で改札を出なければ乗車券の購入は必要ありません。
豊平川を渡りまして、苗穂車両基地横を通過。網走への特急オホーツク・大雪に使用される、283系気動車が停車中でした。
創成川を渡って開けているところ、この辺りに北海道新幹線の札幌駅ができる予定です。2030年の開業に合わせて札幌駅周辺でも次々工事が進んでいます。
22:41 札幌駅 着
新函館北斗駅から3時間35分、終点の札幌駅に到着しました。
北海道新幹線が開業すると、新函館北斗〜札幌は1時間5分と算出されており、とてつもなく短縮することになります。
さて、この時間から最も遠くへ連れて行ってくれるのは、23:05発特急カムイ47号旭川行き。それ以外は普通列車ばかり、岩見沢が限界です。
8番線ホームに入線しました、特急カムイ号。夜を走るのにぴったりの宇宙船みたいな銀色をしています。
札幌〜旭川を走る特急列車には、このほかに特急ライラックもあります。そちらは津軽海峡を越える特急スーパー白鳥で活躍していたのですが、2016年の北海道新幹線開通に伴い札幌へ移ってきました。
函館本線|特急カムイ47号旭川行
22:51 札幌駅 発
鹿児島県の西頴娃駅から始まった鉄道日本縦断。遂に最終ランナーが走り出しました。こちらは電車特急となっており、非常に静かな出発です。
まもなく23時という深夜でも、ネオンの輝く札幌エスタ。先日2023年8月末をもって45年の歴史に幕を下ろしました。
これは北海道新幹線札幌延伸に向けた再開発工事に伴うもの、新幹線はそれまでの街を刻一刻と変えていきます。
先ほども通った、白石駅を通過します。札幌駅では改札の外に出なかったので、白石駅〜札幌駅往復分の乗車券は買っていないままです。
平和駅横には広大な札幌貨物ターミナルが広がっており、JR貨物の貨物輸送において本州〜北海道は基幹とも言うべき存在。
北海道新幹線開業で函館〜長万部が並行在来線としてJR北海道から切り離されるため、旅客需要の低い新函館北斗〜長万部は貨物線としてだけ残される見込みが濃厚です。
先ほどお世話になった、千歳線の高架が離れていきました。ここは北海道における唯一の複々線区間、タイミングが合えば列車の並走も楽しめます。
大泉洋の出身地である江別市に入りました。札幌のベッドタウンとして現在も人口増加傾向です。
2011年に高架化された野幌駅を通過。いつもこの駅だけ異常に明るく、もはや外を見なくても入り込んでくる光で分かります。
JR北海道が姉妹提携しているデンマーク国鉄との共同デザインで、江別市の木であるナナカマドをイメージしたレッドカラーを配色しました。
お隣の江別駅は昔ながらの姿を残したまま。2006年春のダイヤ改正で江別駅にとまる特急列車は全廃され、遠近分離が図られました。
最初の停車駅は岩見沢駅です。
まだ普通列車が運行している時間帯ですが、半分くらいここで降りられました。札幌〜南千歳・苫小牧でも見られますが、通勤特急的な使われ方もしているようです。
特急北斗と同じく最高速度は120km/h、石狩平野の中を飛ばしていきます。
特急カムイも停車しました美唄駅周辺、光珠内〜滝川は国道12号と並行しており、この区間29.2kmは日本最長の直線道路です。
砂川、滝川、深川、旭川と、特急停車駅では川の付く駅が連続します。よく分からない中国語ですら「chuān」の連続が耳につくほどです。
松尾ジンギスカン本店がある滝川駅。この辺りでも各車両2,3人程度の下車があって、この列車が設定されている意義を感じさせられました。
そして滝川駅を発車して3分後、遂に0時を越えました。今回は始発から最終列車で乗り通すことに主眼を置いているため、日付を跨いでも構わないことにしています。
そして最後の途中停車駅、深川駅に到着。日本で一番短い本線になりました、留萌本線が分岐します。
ここまで何の障害物も無く贅沢に石狩平野を走っていましたが、空知と上川を隔てる山々に阻まれます。
かつては神居古潭と呼ばれる渓谷に沿って線路が敷設されたのですが、高速化のため1969年に神居トンネルが開通。40km/h制限もあったところを、トップスピードで貫くようになりました。
カムイとはアイヌ語で「神」、何だか越えてはいけない領域を越えているようで、人間の止まる事を知らない力が現れているみたいです。
一日で薩摩半島南端から旭川まで鉄道で行けてしまうなんて、100年前はありえない事だったでしょう。
山どころか海峡すらトンネルで貫く土木技術に、320km/hの新幹線をはじめとした高速走行が可能な車両。安全でダイヤ通りの運行を支える当たり前の日々は、全部人間が作り出しているんですね。
150年前明治時代の起点へ戻ったかのように、鉄道唱歌のチャイムが流れます。大橋俊夫さんのいつもより温かな声が、終着旭川駅到着を告げました。
北都旭川の光はこんな深夜でも安心感があります。札幌に次ぐ道内第二の都市、どこか北欧の風を吹かせるまちで落ち着いた都市の雰囲気です。
0:30 旭川駅 着
西頴娃駅を出発してから19時間9分、遂に旭川駅に到着しました。移動距離は2643.3km、とんでもない距離を1日にして乗り通してしまっています。
日付を跨いでいることは置いておいて、薩摩の土を香ったローカル線の旅が同じ日とは思えません。ずっと地を這って景色を見ていたからこそ、これは瞬間移動なんかじゃないのだと知らしめられました。
日本最南端の指宿枕崎線から、日本最北端の宗谷本線が始まる旭川駅まで、何のトラブルもなく来られました。決して狭くない日本という国を縦断しているのに、安定輸送を支える鉄道会社の方には感謝するしかありません。
1枚の乗車券と共にしたこの1日は人生の財産でもあり、こうして共有することができました。日本の技術力が結集した「鉄道」で、ぜひ皆さんも良い旅をしてみてください。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。