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今回のルート
おはようございます。今日は三陸海岸の工業の街、釜石駅よりスタートです。
今回ご紹介するのは、JR山田線です。
山田線は盛岡から宮古を経由し、三陸海岸沿いを南下するカギ型の形をした路線でした。そして、三陸鉄道の北リアス線と南リアス線によって、挟まれています。
しかし、2011年の東日本大震災によって、海沿いの宮古〜釜石が被災。ここは2019年3月に復旧、ここはJR山田線ではなく、三陸鉄道リアス線として走り始めました。
今日は三陸鉄道リアス線と合わせまして、釜石から盛岡までかつてのJR山田線を全線乗車します。
やってきたのは、イボンヌラッピング列車。
しあわせ乳業が運営する、宮古市の洋菓子店「パティスリーレ・ド・シェーブル」のキャラクター、ヤギのイボンヌ駅長が描かれた列車です。
スイーツ列車としてケーキを振舞われたこともあります。
三陸鉄道の列車は全体的に豪華。通常でも大きなテーブルが備えられています。
07:50 釜石駅 発
釜石駅は1~4番線ホームと5番線ホームがやや離れています。5番線は行き止まりになっており、盛方面にしか発車できないため、宮古・久慈方面の列車は3,4番線から発着します。
SL銀河で使用される転車台もありまして、車庫と共に星空風の塗装がされていました。
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釜石線と完全に並走しながら、甲子川を渡ります。
左側の標には『三陸鉄道株式会社』と書かれており、東日本旅客鉄道との境が分かりますね。
一方で、ここにJR山田線はありませんが、信号標識には「山田線本線」が残されていました。
釜石線と別れまして、列車は釜石トンネルを走ります。
山田線は、1939年に盛岡~釜石で全通。三陸沿岸と内陸部を結ぶ重要な鉄路として機能し、釜石から鉄鋼を中心に貨物輸送を担いました。
現在ではローカル線と化したこの辺りの路線。頭上には立派すぎる三陸沿岸道路が交差しています。
日本を代表するリアス式海岸が見られる三陸地方。切り立った崖に囲われた湾沿いには、漁業を営む集落が見られます。
最初の駅は両石駅。釜石線では宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にちなみ、エスペラント語の愛称が付けられていましたが、JR時代にはここにも付いていました。ちなみに、両石駅の当時の愛称は「フィシハヴェーノ(漁港)」です。
何ともロマンチックな名前の付いた、恋の峠トンネルを抜けました。
しかし、その由来は「津波が越えた」「両側から迫る津波で臼が峠を行き来して何度も越えた」ことから転じたとのこと。昔からの大災害の記憶が名前にも残っているのです。
右手には釜石鵜住居復興スタジアムが見えてきました。2019年のラグビーワールドカップの試合も行われた会場です。
鵜住居地域は死者・行方不明者583人という甚大な津波被害を受けました。駅周辺は完全に新しく整備され、駅前には「いのちをつなぐ未来館」「釜石祈りのパーク」など震災関連の施設があります。
リアス線のキロポストはJR山田線時代のものがそのまま使われており、盛岡からの距離が示されていました。
それにしても8が逆さまになっているの気になります…。
鵜住居駅は行き違い可能な構造です。JR時代は駅舎からホームへ地下道を通る構造でしたが、構内踏切になってバイアフリー化されたものと思われます。
住宅街が広がっていた鵜住居を過ぎ、大槌トンネルへ。釜石市から大槌町へ入りました。
その中心駅となるのが、大槌駅です。
ここで反対方向の列車と行き違い。白の車体に赤と青のラインをまとった、三陸鉄道を象徴する色合いです。
その側面には、何ともそぐわないこの男。
日本財団「CHANGE FOR THE BLUEin岩手実行委」が走らせており、デューク東郷が海洋ごみ削減を呼びかけます。
大槌駅の愛称は「鮭とひょうたん島の町」。
大槌町には、ひょっこりひょうたん島のモデルと言われる蓬萊島があり、それにちなんで駅舎もひょうたん型のデザインになっています。
また、駅舎内には飲食店「Tokishirazu(トキシラズ)」が入居。この地では季節外れに鮭が獲れ、それにちなんだ店名です。新名物「新巻鮭ラーメン」を食べられます。
距離的に蓬萊島は列車からでも見られるはずですが、堤防によって見えなくなっています。震災後さらなる防災が進められており、海の眺望は悪くなりましたが、命には代えられません。
不思議な駅名の吉里吉里駅。
ひょっこりひょうたん島の作者、井上ひさしの小説『吉里吉里人』はベストセラーにもなります。
文面では吉里吉里浜の砂を踏む音から名づけられたとしていますが、アイヌ語で白砂を指すという説も。
列車はそんな吉里吉里浜を見下ろしながら北上します。
海岸沿いに並ぶ三角屋根の建物たちは、浪板海岸ヴィレッジ。
サーフショップ、カフェ、ITコワーキングスペースなど色んな施設が集まり、サーフスポットとしての賑わいを取り戻そうとしています。
その近くにあるのが、浪板海岸駅。1994年に波板駅から浪板海岸駅に改称されました。
海は列車から時々見えるばかり、切り立った山の中を走り続けます。
山田町に入りまして、岩手船越駅に到着。
この駅は本州最東端の駅です。
最果て感はあまりなく、駅周辺には住宅が集まります。早朝には当駅始発の宮古行き普通列車が設定されているほど。
1987年、三陸沖で体長17.6mに及ぶ巨大マッコウクジラが捕獲されました。ここ鯨と海の科学館では、マッコウクジラの標本や捕鯨の歴史を伝えています。
大分海の近くまで来まして、三陸海岸の景色を十分楽しめるようになりました。
JR山田線時代の織笠駅は、津波によって壊滅状態。復旧時には約1km北の内陸部へ移転しました。
JR山田線の路線名にもなっています、山田町の中心部です。
津波と火災によって、陸中山田駅周辺の17ヘクタールが焼失。まだ空き地も多いですが、住宅や店舗が点在しています。
リアス線内では主要駅となる、陸中山田駅に到着しました。駅の愛称は「海のオランダ島」です。
山田町にあるオランダ島は、江戸時代に遭難したオランダ船ブレスケンス号が漂着したことから名付けられました。無人島でありながら海水浴場があり、夏には連絡船が運航されています。
駅舎はオランダをイメージし、風車をあしらった洋風のデザイン。交流センターはぴね、町立図書館との合築です。
陸中山田駅を過ぎると、線路は内陸部を突っ切ります。次の駅までは10km以上です。
山の合間に田園風景を見下ろせて、これまでの漁港を中心とした集落とは全く異なります。
豊間根駅の愛称は「まつたけの里」、完全に山の幸に変わっています。
先ほど本州最東端の駅、岩手船越駅を通りましたが、本州最東端の地はここからずっと東に行った魹ヶ崎です。
本州の最果て系では最も行きづらい場所であり、鉄路もそこを通らず内陸を突っ切っています。
払川駅は2019年の復旧と同時に新設された駅です。
この駅周辺は津波被害を受けなかったため、被災者の移住により人口が増加。これに対応する形で新駅ができました。駅愛称は「新たな希望」、震災後の街を作り上げていく、その中心部に位置づけられます。
段々と海に近づいてきまして、かなり街が広がって来ました。
津軽石駅に到着。
震災当時停車中だった列車は、津波によって脱線しました。
線路に沿ったこの津軽石川は、宮古湾の一番奥へ注ぐ川で、本州で最も鮭が遡上する川です。
八木沢・宮古短大駅は2019年の復旧と同時に設置された新駅。
国鉄時代から要望されていた駅設置ですが、払川駅と同様津波被害を受けず、被災者の移住によって人口が増加したことにより、新駅が開業しました。
列車は、宮古港があり漁業の中心地域の縁を走っています。
宮古港から室蘭港はシルバーフェリーで結ばれていました。一度乗る計画をしていたのですが、現在休航中。このまま廃止されてしまうのではと思います。
磯鶏駅は宮古水産高校の最寄り駅。
かつてラサ工業宮古工場の専用線が接続していました。蒸気機関車の時代で、かなり昔のことです。
トンネルを通りまして、川幅の広い閉伊川を渡ります。
09:14 宮古駅 着
そしてリアス線の終点となる、宮古駅で下車しました。向こうにはJR山田線のキハ110形気動車が停車中です。
三陸鉄道とはここでお別れ、宮古から盛岡はJR山田線に乗車することとなります。
これから乗車するのは、JR山田線の快速リアスです。
1日1.5往復運行されており、盛岡~宮古の長距離輸送を担います。
快速リアスについては、盛岡から宮古の列車に乗車し、以前このブログでもご紹介しています。詳しく知りたいからはこちらの記事をご覧ください。
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09:22 宮古駅 発
レトロチックな三陸鉄道の列車に見送られ、JR山田線によるローカル線の旅が始まります。
右手には三陸鉄道北リアス線が離れていきました。
三陸鉄道は北リアス線、リアス線、南リアス線が一本に繋がり、日本一路線長の長い第三セクター鉄道です。
国道106号と並走しており、チェーン店が多く立ち並んでいます。
最初の停車駅はお隣の千徳駅。
2020年春から快速リアスの停車駅に追加されています。先ほどご覧いただいたような市街地がここまで続いているため、この周辺の住民が盛岡とのアクセスに利用しやすいようになりました。
JR山田線は閉伊川と並走しており、これは途中の峠に当たる区界駅周辺まで続きます。
蟇目駅を過ぎ、左手には立派な道路が現れました。
さっきまで並走していた国道106号、宮古盛岡横断道路として位置づけられており、山を突っ切る立派な地域高規格道路が開通しています。
ここを走る長距離バスも設定されており、JR山田線にとって大きなライバルです。
茂市駅に到着。この駅からはJR岩泉線が分岐していましたが、2010年夏の土砂崩れによる脱線事故で全線運休。
震災後復旧されるのではとも考えられていましたが、2014年春正式に廃止されました。
陸中川井駅を発車、列車はここから1時間23分、ドアを開きません。
まるで新横浜から名古屋までノンストップみたいな感覚です。
列車はとにかく山の中を走り抜けます。2両編成の列車には、25人程度のお客さんがいらっしゃいました。
途中の川内駅では、反対方向の列車と行き違いのため、ドアが開かない運転停車。
しかし、行き違いの列車が遅れており、車掌さんが盛岡から乗り継ぐ列車があるかの確認を取っていきます。
20分くらい遅れての到着、来たのは三陸鉄道のレトロ列車でした。
三陸鉄道の列車が東北本線を走る臨時列車が運行予定だったので、その試運転から帰ってきたのでしょうか。
颯爽と通過した平津戸駅、入口にはチェーンが掛かっています。
この駅は2022年春から休止駅となりまして、全列車通過の扱いです。おそらくこのまま廃止されると思われます。
あまりに綺麗で高規格な道路を横目に、JR山田線もエンジン音を立てながら走り続けます。
快速リアスが停車していた区界駅、2019年春から通過になりました。
山田線は、日本でも屈指の赤字ローカル線として取り上げられます。それでも1938年全線開通と、割と早い時期に敷設された路線です。
当時は議員によって、選挙区に鉄道を通して票を得る「我田引鉄」と揶揄された選挙活動が盛んに行われていました。この山田線についても、岩手県出身の原敬首相が建設を決定。帝国議会で野党議員に「こんな所に鉄道を敷いて、首相は山猿でも乗せるつもりか」と非難されたという言い伝えもあります。
それでも、戦前内陸部と三陸を結んだ鉄路は少なく、特に釜石からの貨物輸送は非常に重要でした。今では乗客がまばらな鉄路でも、大いに栄えた過去がある訳です。
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区界から次の上米内駅までは、JR東日本最長の駅間距離25.7kmです。
これは浅岸駅と、ここ大志田駅が廃止されたため。1日1.5往復しか列車が停まらず、代表的な秘境駅として知られていました。かつては峠越えのため、スイッチバック構造をしていました。
20分遅れのため通常よりも増して、1時間40分ぶりに上米内駅でドアが開きました。ここから先は盛岡市内の通勤通学圏となります。
山岸駅からは多くの乗車され、これまでの山田線とは全く違う様子。
東北新幹線や数多くの在来線の線路が集まりまして、盛岡駅に到着です。
11:41 盛岡駅 着
釜石から盛岡まで、かつての山田線全線を乗り通してきました。
釜石~宮古が三陸鉄道になったのは、税金を投入してでも鉄道を残したいという強い思いがあったからこそ。
JRに任せるばかりではなく、大切な公共交通機関として捉えられた結果が、路線図の変化に現れているのだと実感できました。
ちょうど盛岡駅に着いたところで、IGRいわて銀河鉄道のホームにはEasti-Eが停車中。
2022年夏に東北地方を襲った豪雨。この時IGRいわて銀河鉄道でも被害を受けており、いわて沼宮内~二戸駅で運休となっていました。
おそらく軌道状態の検束へ向かったのではないかと予想されます。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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