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一ノ関駅より東北本線で北上、花巻駅にやって来ました。
東京駅から続く東北本線。ちょうど500km地点にあるので、ホーム上に大きな500キロポストが刺さっていました。
この地域ではかなり大きな町である花巻市。その代表駅である花巻駅には、優等列車も停まっていました。
しかし、花巻市は東北新幹線開業当初、新幹線駅を手に入れることができませんでした。現在の新花巻駅ができるまで、どんな苦労があったのでしょうか。
1440 花巻駅 発
乗車するのは釜石線です。銀河ドリームライン釜石線という愛称もつけられています。
SL銀河も走るこの路線。新花巻駅にはそれにピッタリの装飾がされていました。このSL銀河も2023年春に運行を終了してしまいます。
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花巻市と言えば、童話作家・宮沢賢治の故郷です。
代表作に『銀河鉄道の夜』があり、釜石線の愛称や観光列車はそれにちなんでいます。
『セロ弾きのゴーシュ』ではいろんな動物と触れ合う様子が描かれていました。
そんな中で一際目立つのが、文字のびっしり書かれた屏風上の石碑です。『新花巻駅設置物がたり』と題されており、これを読むと駅設置までの流れが分かります。
東北新幹線開通にあたって、花巻市民は誰もが花巻市内に駅が出来ると思っていました。しかし1971年10月、北上駅に設置後は盛岡まで停まらないと発表されます。
市民はこの直後から駅設置を求め、2500人市民総決起大会を開き、国鉄に土地を渡さないなどの運動を見せました。国鉄は将来的に駅建設が可能なよう、配慮した構造で建設する方針を示したことで対立は収まります。
その後、花巻市は土地の確保、市民が各自一坪を献上する運動を見せます。さらに、遠野、釜石、宮古からも署名を集めました。その結果、1981年国鉄高橋技師長により駅設置が示唆されます。
その後、駅設置には55億円の地元負担などを求められました。当時は私財法の規制から、自治体が国鉄への寄付は認められていなかったため、これについても改正。
最終的に41億8000万のうち、1/3は岩手県が負担、そのほか県、市、周辺市町村と、11億8500万の市民・団体による寄付を集めました。
地元全額負担の駅は、新花巻駅と水沢江刺駅が全国初でした。
そして1985年3月14日、上野〜大宮駅開業と同時に両駅が設置されました。
そんな新花巻駅をじっくり見てみましょう。
一昔前の新幹線駅感のある駅舎ですが、『銀河鉄道の夜』をモチーフとしており、外壁のミラーガラスは青空や星空を映し出し、遊び心感じます。
駅前には広大な駐車場とトヨタレンタリース、銀河プラザというお土産屋さんがありました。
駅舎内にはNewDaysではないですが、名物を中心に販売する売店が入居しています。
他にもイーハトーブの里という、お弁当・お蕎麦屋さんがあります。
「イーハトーブ」は宮沢賢治による造語で、賢治自身の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。
更に待合室の近くには、物産店も入居していました。
反対の東側についても、同じようなデザインです。
カーストップには小鳥が何羽か留まっていました。
こちらの駅前はやはり裏側感。奥の方にニッポンレンタカーだけあります。
それでは改札内に入りましょう。
中には売店だけでなく、お手洗いも無いのは気をつけなければなりません。
花巻は東北地方を代表する温泉郷。暖簾をくぐるようにして各ホームへ向かいます。
ホームは2面2線構造で、通過線はありません。
目の前で高速通過していくので、列車を待っていた小さい子が泣き出しちゃっていました。
お隣の北上駅から新花巻駅は12.5kmしか離れておらず、新幹線駅にしてはかなり短い駅間距離です。
この駅は乗り換え先の釜石線と直交しています。そして釜石線の新花巻駅についても、新幹線駅開業に伴って変化がありました。
在来線の1面1線ホームは、新幹線と重なり合うようにして位置します。
実は、新幹線開業前から約500m西側に、釜石線の矢沢駅がありました。これを廃止して、交差地点に新駅を設置したのです。
矢沢駅跡に向かって歩く途中、宮沢賢治記念館がありました。新花巻駅からのアクセスが結構良いんですね。
そして矢沢のバス停近くの空き地、ここに駅があったものと思われます。
昔は交換可能駅だった矢沢駅。駅西方の線路が緩くカーブしているのは、その名残です。
それでは新幹線から在来線に乗り換えるところから。
乗り換えには一度改札を出て、左へ曲がります。
屋根の下を進んでいくと、地下通路に入ります。
線路と交差しない1面1線構造なら、直接階段を登ってホームに行けるようにすれば良かったと思うんですが、新幹線駅前広場と釜石線の間に道路があるため、一度潜る構造になっています。
地下通路には釜石線の路線図が描いてありまして、各駅のエスペラント語が付されていました。
ここで再び上に登ります。
ホーム上にある待合所は、童話らしく可愛らしい見た目です。
新花巻駅の在来線ホームは、地形上の関係から駅設置の規定である10‰勾配を越え、15‰勾配の区間に建設することになりました。
そのため気動車4両分の86m、一般余裕5mに加え、過走余裕20mを合計した全長111mのプラットホームを建設。さらに旅客列車だけを停車させる条件で、運輸大臣の特別承認を得ています。
1606 新花巻駅 発
新幹線から乗り換えのお客さんも、10人近くいらっしゃいました。
東北新幹線の高架と交差しまして、釜石方面へ向かいます。
めがね橋の一つである宮守川橋梁。綺麗にカーブしながら渡っておりまして、撮影スポットでもあります。
列車はローカル線にしては、割と速度を出していました。
民話の里として知られる遠野市。西洋レトロな雰囲気漂う駅舎で、かつては駅舎にホテルフォルクローロが入居していました。
沿線には牛さんがいらっしゃって、ちょっとした長閑な風景です。
一面のひまわり畑の中を走っており、列車からこれを見られるのは本当に素敵ですね。
上有住駅を過ぎ、トンネルを抜けました。現在赤い鬼ヶ沢橋梁を走っているのですが、下に見えるあの線路まで降ります。
ヘアピンカーブのトンネルを出てきまして、陸中大橋駅に到着。
ここには日鉄鉱業のホッパーが遺構として残っており、鉱山で栄えた街でした。さらに釜石まで、鉱石を輸送する釜石鉱山鉄道が日本で3番目の鉄道として開通しています。
あそこから降りて来たとは本当に驚き、釜石線で一番面白いポイントです。
1758 釜石駅 着
三陸海岸まで突き当たりました、釜石駅に到着です。
駅前では今でも、日本製鉄の製鉄所からモクモクと白い煙が立っていました。工業も盛んに行われており、活気溢れる街。今日はここで泊まります。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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