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【我田引鉄の代表格】大船渡線が遠回りしている理由とは?[史上最長片道切符の旅(69)]

2022年10月20日

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「我田引水」

この四字熟語は、自分の田んぼにだけ水を引き入れる文字通りの意味から、自分に都合がいいように行動することを指します。

戦前の鉄道が発達していない時代、国会議員は自分の選挙区に国鉄路線を誘致し、票を得ようとしていました。そのような行動を皮肉った言葉があります。

―我田引鉄―

 

今日は宮城県北部のまち、気仙沼駅に来ました。これから乗車するのは、我田引鉄の代表格と言われる路線です。

 

それが、一ノ関〜気仙沼〜大船渡を結ぶ大船渡線です。特に一ノ関〜気仙沼で、大きく迂回している線形は鍋鉉線と呼ばれており、どう考えても非効率的な大迂回。

一体どうしてこんな形になってしまったのでしょうか?

 

大船渡線は非電化路線で、キハ110形気動車による運行です。

 

ドラゴンレール大船渡線という愛称が付けられていますが、これは路線全体の曲がりくねった形が、竜の飛翔する姿に見える事からとられました。

また、沿線に竜の伝説があるのも理由の一つ。気仙沼市の安波山周辺の山並みは、竜の姿に例えられました。気仙沼港の向かいにある大島の南端は、「龍舞崎」と名付けられています。

 

他にも、大船渡BRTの陸前高田市に大蛇伝説があります。蝦夷征伐に来て討ち死にした将軍、埋葬された場所から大蛇が現れ、賊を征伐したというものです。これを祀った神社が蛇ヶ崎神社であり、大蛇と竜を「竜蛇りゅうじゃ」することも。



1046 一ノ関駅 発

大船渡線の気仙沼〜盛は東日本大震災で津波被害を受け、大船渡BRTとして運行しています。

気仙沼駅は気仙沼BRT、大船渡BRT、大船渡線の結節点であり、駅構内の鉄道とバスの乗り場が一緒です。

 

しばらくは気仙沼BRTの専用道が一緒に走り、段々と南へ向かってカーブしていきました。

 

三陸縦貫自動車道へ繋がる国道45号の入口周辺には、ホテルやチェーン店舗が並びます。

 

大船渡線は気仙沼の中心部を過ぎまして、山の中へ入りました。

 

渓谷が続いていまして、並行する大川を何度も渡ります。

 

トンネルも多くなっており、いきなり大船渡線の中でも険しい区間です。

 

宮城県内に途中駅は一つもなく、既に最初の新月にいつき駅から岩手県一関市に入っています。

 

駅名は旧新月村からとられましたが、これは宮城県の地名です。ご覧頂いた通り険しい地形が続いていた大船渡線、新月地区に駅を作れるような土地がなかったので、岩手県内に旧新月村の駅が作られました。

岩手県とは言っても、ちょっと東へ歩けば宮城県です。

 

今度は川によって作られた平地、田んぼの中を走っていきます。



折壁おりかべ駅に到着しました。

プラットホームには、ピカチュウとツタージャがいました。

大船渡線ではのってたのしい列車、POKÉMON with YOUトレインが走っていて、このガーデニングアートも歓迎の一つです。

 

折壁駅は旧室根村の中心駅でした。2005年、一関市は大船渡線の沿線自治体全てと合併したので、ずっと一関市内を走ることになります。

 

行き違いもできて広い構内ですが、貨物営業は1972年に廃止されています。



大船渡線と交差したのは室根バイパス。

気仙沼〜一関のアクセスにおいて、鉄道のライバルとなる国道284号の一部です。

国道284号は、折壁駅周辺で大船渡線との立体交差部分で、車高制限が掛かっていたのがネックでした。そこで、折壁駅を迂回するルートの室根バイパスが建設され、問題解決したのです。

 

小さな1面1線の矢越駅には、紫陽花が咲いていました。

 

小梨駅はかつて行き違いできた駅ですが、線路も剥がされてホーム跡が残るばかりです。

 

植物の雪崩に呑み込まれたような千厩隧道を抜けました。



千厩せんまや町の中心駅、千厩駅に到着です。

ここで反対方向の列車と行き違いました。これまでよりも明らかに大きな駅です。

 

さて、ここからが本題の大迂回している区間です。

 

国道284号はまっすぐ西行。

 

一方、鉄道はぐねっと曲がりまして、北へ向かっていきます。



それでは何故このような線路の形になったのでしょうか?

元々の計画では道路と同じように、門崎〜千厩はまっすぐ抜けることになっていました。

 

しかし、立憲政友会の後押しで摺沢すりさわから立候補した佐藤良平が、1920年の衆議院議員選挙で当選。摺沢を経由してから、千厩を通らず直接大船渡へ向かう計画に変更されました。

立憲政友会を率いたのは原敬首相ですが、地方に鉄道を建設することで、党勢拡大を目論んでいました。山田線を建設する時、議会で「猿でも乗せるつもりか」と野次られたのも有名です。

 

千厩の住民は何とかして鉄道を取り戻そうと、憲政会に頼って誘致を展開。1924年の総選挙で憲政会が第2党から第1党へ返り咲くと、摺沢からは千厩を経由するように再び計画が変更され、現在の線形となりました。



沿岸地域と一関を最短で結ぶことはできませんでしたが、途中の地域の要望を聞いた結果がこの線形です。

鍋鉉線の北東端に当たる摺沢まで北上しますが、千厩から途中駅はありません。

 

路線の最高速度は85km/h、線形は良さそうですが65km/h程度でした。

 

摺沢駅周辺は旧大東町の中心であり、大船渡線沿線では最も人口が集中している地域です。

政治的な働きかけにより鉄道を手に入れた側面もありますが、この場所に線路を引けたのは良かったのではないかと思います。

 

摺沢駅の前には、鉄道を呼び込んだ佐藤良平・秀蔵親子の胸像が置かれています。

 

ここからは鍋鉉線の上辺部分を、西へ向かいます。

 

その北西角に位置するのが、柴宿しばじゅく駅です。

 

ここからは南東方向へ下ります。



列車は砂鉄川を渡りました。

名前の通り砂鉄が取れる川で、川の水を沸かして鉄を取り出していました。猊鼻渓げいびけい舟下りの乗り場がありまして、観光地になっています。

 

日本百景にも選出された景勝地であり、大船渡線は一ノ関駅からの輸送も担います。先程の砂鉄川が石灰岩を侵食し、100mの断崖が2kmに渡る光景です。

 

その石灰岩は資源としても採掘されており、山には白い岩が露出しているのが分かります。

 

そして、線路のすぐ横には三菱セメント岩手工場が構えています。

 

陸中松川駅から工場へは、専用線が分岐していました。1999年にJR貨物の駅が廃止され、貨物営業が終了しています。

 

線路のすぐ横には、石と賢治のミュージアムがあります。

宮沢賢治が東北砕石工場で技師として働いていたことから、このような博物館が作られました。

 

陸中松川駅は2面3線構造で、構内も広いです。奥には貨物ホームらしき跡も見られました。

 

ホーム上には、おそらく洗面所か水飲み場跡と思われる構造物も。かなり年季が入っていまして、鉄道黎明期の時代を感じさせます。

 

駅舎は2010年に改築され、非常にコンパクトになりました。

 

このように石灰石の資源や観光地もありまして、遠回りにはなってしまいましたが、デメリットばかりでは無かったことが分かります。

 

岩ノ下駅周辺には東山赤松と呼ばれるアカマツが生えていて、この群落は一関市の有形文化財にもなっているそうです。



陸中門崎りくちゅうかんざき駅まで南下しまして、一関と気仙沼を直線的に結んだところへ復帰します。

大船渡線が北へ迂回するルートを取ったため、駅は東ではなく北側へ設置。このため、川崎町薄衣地区の中心部から離れた所に駅ができました。

 

とんでもなく濁っている北上川。新潟で特別大雨警報が発令された令和4年8月豪雨の翌日で、こんな状態になっていました。

 

真滝駅は北上川沿いの狐禅寺地区に設置される予定でしたが、川の氾濫で変更されています。古くは立派な橋やトンネルを作るのも難しかったため、災害の要因から逃げるようにしてルートが定められました。

 

東北新幹線の高架橋が現れまして、その下をくぐります。



1206 一ノ関駅 着

東北本線、東北新幹線との結節点である一ノ関駅に到着です。

 

ちょうどレールを輸送する事業用車両が停まっていました。

 

森の中をグネグネ走る大船渡線。路線はパッと見不思議な形状ですが、路線の経緯を知ると非常に面白かったです。ご覧頂いた通りいくつかメリットも見られまして、現在までそれを享受できたのであれば、良かったのではと思います。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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