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【夜行グリーン個室】WEST EXPRESS銀河・紀南ルート プレミアルーム乗車記/運行ダイヤ[2310WEST銀河(2)]
京都駅の一角にある行き止まり式のホーム、本日乗車するのはWEST EXPRESS銀河です。 紀伊半島をぐるっと結ぶ紀勢本線を走る紀南ルートで、京都から新宮まで夜行列車として運行されます。 ...
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和歌山県最東端のまち、こちらは新宮駅です。
紀伊半島の海岸沿いをぐるっと回る紀勢本線の途中駅で、JR西日本とJR東海の境界駅。大阪からの特急くろしお号をはじめとした、多くの普通列車の終着駅になっています。
新宮駅からは日本一長い路線バスが発着しています。それが奈良交通の八木新宮線です。
紀伊半島のど真ん中を貫き、近鉄大阪線の主要駅である大和八木駅まで至ります。
全長169.8kmに及び、カーブの連続する険しい山道を通っており、その所要時間は6時間55分。
停留所の数は168となっており、バス停に表示されている停留所の案内もグネグネしています。
高速バスを使わない路線では日本一の走行距離を誇る八木新宮特急バス。
ローカル路線バスの王者とも言えるバスの全貌をお届けします。
乗車する時運転士さんにどこまで乗るか聞かれまして、最後の大和八木駅までとお伝えしました。
以前乗車した時は完全に普通の路線バスだったのですが、今回は割と大型のバス。出入り口が先頭にしかありません。
リクライニングこそないものの、ドリンクホルダーがあったりと、パッと見高速バスです。
新宮駅の近くにはローソンがあるので、長時間乗車に備えて食べ物など買っておきましょう。
今はたった6マスの運賃表ですが、これからどんどん増えていきます。
所要時間のご案内には、想像を絶する時間。約6時間50分など路線バスとは思えません。
9:59 新宮駅 発
1952年竣工、国鉄時代からの駅舎が使われており、コンクリートにくたっとしたガラスにレトロさを感じます。
バスはすぐ脇道に逸れまして、駅周辺の小さな商店街の中を走ります。新宮駅からは4人ほど乗車されていました。
ここで紀勢本線の線路を立体交差で越えていきます。
車庫から駅構内へ入れ替え作業を行うため架線が張られていますが、これより熊野市・津方面のJR東海管内は非電化区間。ディーゼル列車が走ります。
新宮城跡に突き当たったところで左折。
地下を紀勢本線が走っており、これを抜けると三重県の県境である熊野川を渡ります。天守閣は残っていませんが再建計画もあり、国の史跡の一つです。
速玉大社前停留所からは2人ほど乗車されました。突き当たりに大鳥居が見えており、熊野三山の一つです。
紀伊半島を海沿いに結ぶ国道42号に入りました。道路沿いには昔ながらのお店やその先にはロードサイド型店舗も立ち並び、新宮市のメインストリート的な存在です。
新宮高校前停留所で停車。ここから30分近く八木新宮線が停まるバス停はありません。一方で熊野御坊南海バスが同じルートを走っており、そちらは途中のバス停に止まってくれます。
これより新宮市から大阪府枚方市まで紀伊半島を貫く、国道168号にお世話になります。
熊野川の河口で発展する新宮市ですが、越路トンネルを抜けると一気に雰囲気が変わりました。
これからずっと熊野川沿いを北上、これが県境になっており向こう岸は三重県紀宝町です。
土砂崩れ修復の工事も行われており、道中では片側交互通行の場所もいくつか存在していました。
石灰石が採れるのか、ところどころコンクリートやセメントの工場も見られます。
向こうにも県道740号があって、浅里の集落まで町民バスが運行されています。重要なライフラインとしてあんなところを走っているのは驚いちゃいますね…。
左手には白見ノ滝が現れました。刀のように岩を細く切り裂いている姿には迫力があります。
写真には映っていませんが、下には崩落した旧国道の橋が残っているそうです。
このあたりで対岸は紀宝町から熊野市になりました。
道の駅瀞峡街道熊野川を通過します。
ここには熊野川川船センターが入居しており、熊野川舟下りや瀞峡めぐりを楽しめます。
2011年に台風12号がこの地を襲っており、紀伊半島大水害の碑も立っています。8.27mの高さまで水位が上がったそうです。
熊野御坊南海バス川丈線とすれ違いました。こちらは今走ってきたところの途中でポツポツと止まっていきます。
久しぶりの停留所、神丸で年配の方2人が降車されました。
集落に寄ったのち、国道168号へ戻ってきました。
ここからは県道780号が分岐しており、三和大橋では補修工事が行われている最中。その名の通り三重県と和歌山県に架かっています。
熊野川を一望できるレストランもある、瀞峡めぐりの里熊野川を通過。
2021年から休止してしまっていますが、渓谷を巡る遊覧船としてウォータージェット船がここからでていたそうです。
ここで国道311号が分岐していきました。宮井橋の手前で北山川と熊野川が合流しており、和歌山県と三重県の県境は熊野川ではなく、北山川になりました。
この国道311号を北上すると、日本唯一の飛地市町村である、和歌山県北山村へ行くことができます。
新宮市から田辺市に入りまして、このまま国道を進めば熊野本宮大社というところ。
一大観光地を目の前にして、脇道に入りました。
向かう先は熊野本宮温泉郷、「川湯」「渡瀬」「湯の峰」です。熊野の山中にある小さな温泉ですが、非常に人気のスポットになっています。
最初にやってきたのは川湯温泉。あまりに透明度が高い川になっており、船を浮かべたら浮いて見えそうです。
外国人観光客の方が素っ裸になっていたのですが、川湯温泉は名前の通り川からお湯が沸いています。どこを掘っても温泉が沸くので、自分専用の即席露天風呂を作れるという面白いところです。
一体どうやって見つけるのか、外国人観光客の方が4人ほど乗ってこられました。
トンネルを抜けて左に曲がり、国道311号へ。
今度はわたらせ温泉を見渡せました。バス停は高い位置の国道にあって、やはり外国人観光客の方が2人乗られます。
渡瀬温泉は比較的新しい温泉地で、温泉に加えてトレーニングルームなど整備されたクアハウスがあり、近代的な湯治ができるところです。
再び山に阻まれつつ、今度は湯の峰温泉へ。
日本最古の湯と書かれているほど歴史があって、歴代上皇の熊野行幸で広く知られました。
絵に描いたような静かな歴史ある温泉街。
日によって七回湯の色が変化するという、世界遺産にもなった「つぼ湯」が有名です。やはりここからも4人ほど外国人観光客の方が乗車されました。
もう少し進んで熊野古道の入口へ突き当たり、ここで転回して引き返します。
今度は川湯温泉を経由せず、国道311号を走っていきました。
そして熊野川沿いの168号まで戻ってきます。
温泉街を経由して遠回りしつつ、熊野本宮大社エリアへやってきました。
参道でよく見る、古さとオシャレさを兼ね備えたお店が並んでいます。
まず右手には熊野本宮大社旧社地が現れます。
熊野本宮大社は熊野川、音無川、岩田川の合流点、大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中州にあったのですが、1889年の大水害で社殿の多くが流出してしまいました。
そのため水害を免れた4社が、現在の熊野本宮大社へ遷座されたのです。
熊野三大大社の一つで、残り一社は熊野那智大社になります。
バスは目の前にある和歌山県世界遺産センターへ。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産として登録。それに合わせて2005年に開館しました。
外国人観光客の方含めてほぼ全ての方が下車。車内には他に2人だけです。
引き続きバスは熊野川沿いを走りつつ、蛇行部分をショートカットするところは山をくねくね。
これまでご紹介してきた3つの温泉地、熊野本宮大社、そして熊野古道の玄関口が近いこの地。アクセスの拠点として道の駅奥熊野古道ほんぐうが整備されています。
国道168号では幹線道路の五條新宮道路が整備されているところです。部分的に開通が進んでおり、あちらに見えているのは本宮道路。
いわゆるバイパス線が所々で見られるようになります。
一方で路線バスは集落を経由するため、従来の国道を走っていくことが多いです。
そして和歌山県田辺市から奈良県十津川村に入りました。
十津川村は日本一面積の広い村、672.4㎢に及びます。
七色の集落を通ったのち、十津川道路の七色高架橋へ登ってきました。
この区間は2005年春に開通、見た目的にはまるで高速道路みたいです。
現在開通済みの十津川道路は1.7kmだけ。ここから先は十津川道路(II期)として工事が進められています。
プツッと途切れていて、明らかにここから繋がっていくのでしょう。
右下には1962年に竣工したアーチ式ダム、二津野ダムを見下ろせました。アーチのところは道路になっており、対岸の集落への生活道路です。
引き続き熊野川沿いを走っていますが、十津川村に入ると十津川と呼ばれます。「都や津(港)から遠い」ことから「十津川」と名付けられたそうです。
ここから今戸トンネルを出るまで、国道168号と国道425号の重複区間になります。
今回走る区間はそこまでですが、御坊市から尾鷲市まで紀伊半島を横断する国道425号は、日本屈指の「酷道」として知られる道路です。特に奈良・和歌山の県境は元々林道で、対面通行不可能な道路も長距離に渡って続きます。
このバスは一度、十津川温泉ホテル昴に寄ります。十津川村の中でも代表的なホテルで、木の温もりを感じられる館内に、源泉掛け流しの温泉を楽しめる宿です。
来た道を戻りまして、民宿や旅館が立ち並ぶ集落を通りながら、穏やかな十津川を眺めます。
そして奈良交通十津川営業所に到着しました。
運転士さんの休憩も兼ねて、ここで10分ほどお手洗い休憩となります。
日除け暖簾には、ちゃんと「日本一長い走行距離を誇る路線バス」と書かれていました。
ここには源泉かけ流し足湯もありまして、駆け足ながら入ることもできます。
八木新宮線を一本の柱としつつ、十津川村営バスも各方面へ運行されています。十津川村は広大な面積を有しているので、公共交通機関も非常に重要です。
八木新宮線の旅は4分の1を過ぎましたが、まだまだこれからです。
ここで運転手さんより、八木新宮線記念乗車証をいただきました。新宮駅でどこまで行くか聞かれたのはこのためです。
縦長の路線図は乗車距離の長さを視覚的に伝えてくれます。
記念乗車証のしおりには川上村の吉野杉が使われており、香りを楽しむこともできました。
12:14 十津川温泉 発(5分遅れ)
到着時点で少々遅れていましたが、休憩時間は十分に取られて出発。温泉街の中を走っていきます。
十津川道路2011年開通区間を延長する形で、十津川温泉北トンネルを含めた1.7kmが2019年に開通しました。このバスは従来の道路を走りますが、真っ白な新しいトンネルの入り口を目にすることができます。
村内唯一の高校となる、県立十津川高校を通過しました。
1864年に京都御所で文武館開設の御沙汰を賜ったことが起源であり、奈良県最古の高校とされています。
2011年9月の台風12号で被災した箇所を越え、折立の集落へきました。
まるい体育館が目を引く、十津川村民ひろばが見られます。
十津川温泉北トンネルを抜けた十津川道路が近づいてきましたが、バスは脇道へ逸れていきます。
これは今戸の停留所に寄るため、ここで転回して来た道を戻ります。
そして今度こそ十津川道路へ、今戸トンネルに入ります。
今戸トンネルを抜けまして、グルーっとループ線を降りてきました。
山あいの川上にはちょっと不釣り合い、突如現れたジャンクションみたいです。これで酷道425号との重複区間は終わります。
対岸の集落には十津川第一小学校があります。十津川村では2017年に4校の小学校が閉校しており、現在開校しているのは第一小学校と第二小学校だけです。
十津川道路は大津路トンネルを抜けて来たところで終点、従来の道路から小原交差点で合流しました。
村内唯一の十津川中学校はこの辺りの対岸にあります。
小原は十津川村のちょうど真ん中に位置するエリアです。
道の駅十津川郷を通過、伝統民具を展示した「むかし館」や特産品コーナー、足湯などを設けています。
そのすぐ近くにあるのが、十津川村役場です。やはりその面積に比例してか、山あいの村役場にしてはそれなりに大きな建物という印象でした。
村役場の前では、災害対策本部拠点施設の新築工事中です。木造2階建となっており、広報誌に「連絡ブリッジ」と記載されていたことから、おそらく村役場と繋がるものと思われます。
少し先には温泉地温泉、1552年に存在が確認できる文献があり、十津川村ので一番歴史のある温泉です。豊臣秀吉をはじめとした戦国時代の武将が訪れたとも言われています。
バイパス道路ではないのですがトンネルや橋が連続しており、しっかり各集落を結んでいました。
池穴大橋を渡った先で山崎小学校跡の下をトンネルで抜けましたが、こちらは1964年に廃校となっています。今でも木造校舎が残っているそうです。
しばらくすると山を結んで横断していく、野尻水路橋の下を潜ります。
風屋ダムから十津川第一発電所へ向けて水を送っており、最大直径4.2mにも及びます。その長さは217mです。
山をぐんぐん登っていくと、風屋大橋から風屋ダムを見られました。
ここで朝一番に大和八木駅を出発した、八木新宮線とすれ違いました。
9:15に出発しているのに、お昼を過ぎてようやくここです。まだまだこの先頑張ってくださいな。
風屋のバス停近くには郵便局や駐在所があって、それなりの集落という印象。やっぱり郵便局があるかないかでその規模感が違いますね。
この辺りはダム建設によって、リアス式海岸が誕生したイメージ。
鋭い半島をショートカットするトンネルが連続しており、バスはすれ違う車を待って侵入していきます。
風屋大橋の辺りからバイパス道路風屋川津工区の建設が行われており、トンネルを抜けた先の合流地点がありました。
しばらくすると2016年春に開通した、川津道路の国王トンネル入り口が見えています。
お決まりですが路線バスはトンネルを通らず、川に沿って集落を経由します。
シャッターが降りていてもお店や住宅など建物が集まっているだけで、街にやって来たという思いです。
上野地停留所にて、20分の休憩となります。
この近くには十津川村でも屈指の観光地があり、ふらっとそこへミニ観光もできちゃうんです。
それがこちら、谷瀬の吊り橋。
長さ297.7m、高さ54mは生活用吊り橋として日本一とされています。
その姿がこちら。上野地から谷瀬までまっすぐ貫かれており、周囲のワイヤーによる集中線効果で美しさに拍車をかけます。
谷瀬の吊り橋ができる以前、ここに架けられていたのは丸木橋。洪水の度流されることを受け、1戸あたり20万円を出し合って完成させました。当時の教員の初任給が7800円だったそうで、かなりの大金に驚かされます。
せっかくなので真ん中あたりまで渡ってみました。
幅1mもない木の板は歩くごとにコツコツと軽い音を立て、進むにつれて風で揺れるのでスリル満点です。
非常に広い川原ですが、明治22年の大水害までは耕地や集落がありました。
その被害を受けて新天地を求めた先が、今日の北海道新十津川町です。かつて日本一早い最終列車が出ていたことから、鉄道ファンには有名な場所でした。
13:37 上野地 発
ぐんぐん山を登っていき、さらに高いところから谷瀬の吊り橋を見下ろせます。戦後間もない頃でこんなの作れてしまうの、人間の底力って感じです。
川岸に見えてきた長殿発電所、2011年の台風12号では建屋ごと流出してしまいました。7年かけて再建され、2018年6月に運転再開しています。
ここは特にカーブが多く、バスは左右に頭を振りながら掻い潜っていきます。
城門トンネルを抜け、十津川村から五條市に入りました。
こちらは2005年に五條市へ編入合併された大塔村です。
大塔村でも2011年台風12号により深層崩壊の被害を受けました。これは表層だけでなく、深層の岩盤部分から崩壊する現象です。
1998年に開通したふれあいトンネルを迂回し、再び国道へ。
そのまま辻堂バイパスの高架橋を渡るかと思ったら、脇道に入っていきました。
閉君停留所に止まりまして、元来た道を戻ります。
今戸停留所と同じようなことをしていますが、戻ってきまして辻堂バイパスへ。
夢翔(ゆめかけ)大橋を渡る直前で、大塔村中心部の道路に抜けていきました。
合併前、大塔村は人口747人(2004年度)。2018年度に旧大塔村地区の人口は270人にまで減少しています。
山の上には洋館を思わせる、大塔村役場跡があります。ここからは見られないのですが、調べてみると近代まで役場として機能していたとは思えない建物が残っているようです。
旧大塔村の役場機能については、こちらの五條市大塔支所に移りました。
十津川村内では十津川と呼ばれていた熊野川、五條市に入ってこれより北は天ノ川と呼ばれます。
この辺りには奈良県初の本格的なダム、猿谷ダムがあります。
西へは県道53号が分岐しており、和歌山県高野方面へ繋がっています。
トンネルをくぐりまして、阪本と呼ばれる集落に入ります。
バイパス道路阪本工区のトンネルから続く、橋梁建設工事が進んでいました。
新阪本橋の向こう側には阪本トンネルの入口が見えています。
そして新宮から名前を変えつつ並行してきた熊野川ですが、ここでお別れです。
今回通っている新宮〜大和八木、その一部区間の五條〜新宮には国鉄五新線という鉄道路線で結ばれる予定でした。
結局列車が走らなかった未成線であり、阪本にはその遺構である天辻トンネルの入口が見えています。
全長5kmに及ぶこのトンネル、現在は超低雑音の観測所「大塔コスモ観測所」として活用されています。
一方で道路はヘアピンカーブにより、勾配を緩和しながらの山越えです。
UFO型の建物をした道の駅吉野路大塔、天文台やプラネタリウムを備えています。
そして1959年に開通した、新天辻トンネルに入りました。
トンネルを抜けてもやはりヘアピンカーブ、山をじっくり降りていきます。
天辻峠を境として、大塔村と共に五條市へ編入合併した西吉野村のエリアへ。こちらは2004年度でも人口3613人と、比較的多くなっています。
ここからは五新線の未成線を頻繁に見ることができます。
まるで高規格道路かと思ってしまう、こちらは宗川橋梁。五新線で最も大きな鋼橋遺構で、桁と橋脚が一体化した方丈ラーメン構造です。
天辻トンネルを抜けてきた橋梁の先からも、高架橋が繋がっています。
五條市西吉野支所の裏側を抜けてきました。
そしてここには、五新鉄道トレインパーク、奈良交通専用道城戸があります。
五条駅〜城戸の鉄道用地はバス専用道として整備され、国鉄・西日本JRバスが路線バスを運行していました。しかし、並行する国道168号の改良が進み、利用者も減少したことから、2002年にJRバスが撤退。
バス専用道を走ることはなくなり、現在は奈良交通が国道168号を中心に運行しています。
賀名生第七橋梁と交差。
鉄道は来なくともBRTのように、バスがこの上を走っていたんだと想像を膨らませられます。
未成線跡は完全に村に溶け込んでおり、まるで駅のような空間も存在しています。
次の丹生川橋梁も見られまして、先程と同様の形状です。
賀名生大橋から国道を外れ、山を登っていきます。
その先にあるのは五條市立西吉野農業高校。10人ほど生徒さんが乗って来られました。
再び国道へ戻りまして、今度はアーチ橋。こういう特別な形は目を引いて良いですね。
しばらくするとお店も増えてきて、街っぽくなりました。
街の中には五條市立西吉野農業高校桜花寮があって、五條病院の停留所で多く降りて行かれました。甲子園で有名な智辯学園も五條市中心部にあります。
未成線のコンクリート土台を真横に交差します。
五條病院の玄関口まで乗り入れて行きました。路線バスは病院を経由することが多いですが、そう言えば病院に寄ったのはこれが初めてでした。
次の停留所は五条駅。新宮駅以来の鉄道駅が現れました。
こちらはJR和歌山線の駅。国鉄五新線はここに繋がるはずでした。生徒さんは2人ほど下車されます。
バスの拠点は近くのイオンに併設された、五條バスセンターとなっています。
ここで15分ほど休憩です。
国鉄の自動車駅を思わせる、島式のプラットホーム。降車ホームに停まりまして、発車5分前くらいまでに戻ることになります。
乗り込んだ後、乗車ホームまで連れられました。
五條バスセンターを出発しまして、少しの間JR和歌山線と並走して行きます。
自動車専用道の京奈和自動車道が現れまして、十津川で見た高規格道路とはやっぱり違う規模感です。
御所市に入りまして、かもきみの湯を経由。日本書紀にも記述がある歴史ある温泉で、天然温泉を楽しめる施設です。
近鉄御所線の終点、御所駅に到着。鉄道では直接行けないルートを短絡するように、路線バスが結んでいます。
道路を挟んで向かい側には、和歌山線の御所駅もあります。このバスは近鉄の御所駅にだけ寄っていました。
近鉄御所線の隣駅、忍海駅でもロータリーに入って停車します。
こちらでもしっかり下車客がいて、どちらにも停まる意味があるのだなと感じました。
やはり立派なロードサイド店舗が立ち並ぶ、国道らしいところを走って行きます。
近鉄の中でも主要路線、近鉄南大阪線の高架を潜ります。
高田市駅前の停留所に到着。大和高田市の中心駅になっており、路線バスは御所から高田市を短絡しています。
国道168号はここで右へ曲がり、この先の今里から県道12号との重複区間を経て、後戻りして大阪府枚方市を目指します。
JR和歌山線を越えまして、国道166号へ。
高田市から分岐しているJR桜井線と並行しました。
右手にはイオンモール橿原が現れます。元々は2004年に「ダイヤモンドシティ・アルル」として開業、2007年にイオンモールと合併して現在に至っており、「アルル」の愛称が現在でも浸透しています。
国道24号との交差点では、京奈和自動車道の橿原高田IC〜橿原北IC建設工事が行われていました。
国道24号の大和高田バイパスが近づいて来まして、その出口部分へ合流。
吉野方面の世界遺産や橿原神宮などの看板も現れまして、奈良県第二の都市の様相が見られます。
国道24号に入り、奈良県立医科大学の横を走って行きます。左側の平成記念病院と挟まれていました。
JR桜井線の下を潜りまして、この近くには畝傍駅。橿原神宮へのアクセス駅として、天皇陛下が利用したこともあります。
八咫烏のモニュメントがシンボルの橿原市役所を通過。
カンデオホテルが現れまして、下には橿原市の施設も残っていました。
そしてついに終点、大和八木駅の表示が現れました。
新宮駅からの運賃は5350円。長距離であるが故、路線バスとは思えない高額運賃になりました。
近鉄大阪線と近鉄橿原線が立体交差する主要駅、大和八木駅に到着です。
16:54 大和八木駅 着(6分遅れ)
駅南側には広いバスロータリーが整備されており、その一角に停車しました。
7時間におよぶ路線バスの旅。やっぱり長い旅に違いなく、変わりゆく車窓に釘付けでした。
休憩もあって散策もできる、勝手に路線バスツアー。ぜひ一度足を運んでみて下さい。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。