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【全駅紹介】飯田線最長列車で12時間!上諏訪発豊橋行き往復の旅

2022年10月23日

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  こちらは日が落ちつつある、中央本線の小淵沢駅です。 ここからは日本一高いところを走るJR路線、小海線が伸びてます。   最高地点である標高1375mをもじって、観光列車「HIG ...

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こちらは朝の中央本線上諏訪駅。

新宿~松本を結ぶ特急あずさ全てが停車する主要駅で、諏訪大社や諏訪湖など観光地が集積するこの地域の玄関口です。

 

駅舎内ではたくさんの風鈴が吊るされており、まだ暑い9月初旬の空気に涼しい風を生み出しています。

 

今回ご紹介するのは、上諏訪から豊橋を結ぶ普通列車です。発車標にある通り飯田線に直通し、所要時間は6時間54分。

日本でもトップレベルの長い時間走る普通列車です。

 

さらに、今回は豊橋駅到着後、豊橋駅から出発する上諏訪行きの普通列車に乗車。上諏訪~豊橋往復12時間15分の旅です。

 

また、飯田線はローカル線で異例な駅の多さでも知られています。これは、伊那電気鉄道、三信鉄道、鳳来寺鉄道、豊川鉄道の4社の私鉄で成り立っていたから。国鉄のような長距離輸送よりも、地域間輸送を重要視していたのです。今回はそんな飯田線の駅を全て紹介していきます。

 

豊橋まで食べ物を買い出しできないので、あらかじめNewDaysで買っておきましょう。

 

上諏訪駅はホーム上に足湯があることでも有名です。NewDaysで卵を買って、温泉卵を作ることもできます。

 

奥の駅事務室と同列、当たり前に足湯の存在が扱われているのも面白いですね。

 

跨線橋を渡った先、3番線ホームに停車中。313系電車、転換クロスシートによる運行です。



JR東日本中央本線区間

09:22 上諏訪駅 発

上諏訪駅から始まり上諏訪駅に終わる、長い旅が始まります。1番線に停車中の列車は、中央本線の普通甲府行き。

 

中央本線は一部が単線となっているため、上諏訪駅での行き違いが必要だったのです。

 

左手に注目していると、遠くには諏訪湖を見られます。非常に穏やかで真ん丸の形、中々綺麗な光景でした。

 

次の下諏訪駅でも、特急あずさ16号と行き違い。

 

この先も単線区間は続き、住宅街を見下ろす立派な高架線でありながら、単線電化というちぐはぐな感じがします。



岡谷駅から中央本線は二手に分かれます。

山の険しい区間となる、岡谷~塩尻駅間。特急列車含め山を迂回し、辰野駅を経由するルートをとっていました。

 

(Nard.tech ‧ | contributions| uploads - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58208417による)

そんな中1983年に塩嶺トンネルが開通し、トンネルで山を貫く短絡ルートが完成。辰野経由の路線は旧線の辰野支線とされ、特急列車も通らなくなりました。

この列車は辰野から飯田線に入るため、旧線の辰野支線に入ります。

 

ここで、普通松本行きの列車に追い抜かれます。飯田線へ乗り換えて来られる方も、十数人程いらっしゃいました。

 

松本行きが先の発車、あちらはみどり湖駅を経由する新線ルートを走ります。

 

向かいには伊那大島駅発岡谷行きの、飯田線の列車が停車中です。

 

岡谷駅を出発したところでまず目につくのが、長野自動車道の高架橋です。こちらは岡谷高架橋、高さ60mにも及ぶコンクリート橋で、非常に迫力がありますね。

 

特急ルートの中央本線新線は、だんだん高くなっていきます。

 

その後右へ移動しまして、塩尻まで一直線。全長5,994mに及ぶ塩峰トンネルに挑みます。



一方で旧線は長閑なもの。

諏訪湖から流れるゆったりした天竜川沿いを走ります。飯田線はこの天竜川と共に南下する路線、どう表情を変えていくか楽しみです。

 

岡谷駅と辰野駅の間にあるのが、川岸駅です。

飯田線の列車は辰野から中央本線へ直通するものも多く、飯田線の駅みたいな感覚。

 

辰野町は蛍の生息地としても知られ、松尾峡と共に辰野ほたる童謡公園でも見られるようにされています。ハウス内に蛍を集めてそれを鑑賞したことはありますが、やっぱりいつか自然の中で見てみたいですよね。



飯田線北部区間

飯田線の起点となる、辰野駅に到着。

JR東日本からJR東海エリアに入りますから、乗務員さんも交代します。

 

向かいには塩尻発辰野行の普通列車が停車中。辰野支線内だけを走る列車で、支線らしい短い運用です。

 

新ルート変更に伴って、定期優等列車が来なくなった辰野駅。

その見返りとして、駅舎はリュシオール辰野という駅ビルに建て替えられました。かつてはレンタルビデオ店やドムドムバーガー等が入っていたそうですが、現在テナントは全て撤退済みです。

 

中央本線は塩尻方面に向かって離れていき、この列車は飯田線に入ります。

 

辰野町市街地の中を貫くようにして南下、奥のバロー向かいに町役場があります。

 

宮木駅は簡単な造りの駅ですが、辰野町の中心部に近いことで、駅周辺は栄えていました。長野県辰野高校の最寄り駅もこちらです。

 

島式ホームで行き違い可能な伊那新町駅。駅舎側には民家が立ち並びますが、反対側は田んぼの広がる景色です。

 

羽場駅は標高723mに位置しており、飯田線内で最も高いところにある駅。

 

中央自動車道伊北ICがあって、近くには長野オリンパス本社が位置します。IC近くに工場を展開し、輸送面での利便性を向上させていることが分かりますね。

 

飯田線は東は赤石山脈、西は木曽山脈に挟まれ、天竜川沿いを走ります。

 

飯田線の長さは194.6km。沢駅の使われなくなったホームには190キロポストが打ち込まれていました。



箕輪町は長野県で最も人口が多い町で、24,624人(2022年10月1日現在)です。

ロードサイド型店舗として、西友やコメリも見られました。

 

その中心駅となるのが伊那松島駅、構内には伊那松島運輸区があります。

 

向かい側にはこれから車両基地に引き上げられる、中部天竜発伊那松島行き普通列車です。

 

伊那松島運輸区で乗務員さんが交代。中部天竜〜辰野駅という広範囲を担っており、飯田線北部の拠点になっています。

 

隣も木ノ下駅は長野県箕輪進修高校の最寄り駅。利用客数は418人/日(2018年度)で、伊那松島駅の506人/日(2018年度)と共に多めです。

 

マクドナルドやはま寿司、自遊空間など大手チェーン店も揃っていて、かなり驚きました。



南箕輪村の中心駅は北殿駅。

コンクリート造りの駅舎中央部、屋根には吹き抜けがあり、元々は村の木のアカマツが植えられていたそうです。

 

南箕輪村には信州大学農学部のキャンパスがあって、日本で唯一国立大学のキャンパスが所在する村です。村中心駅の北殿駅よりも田畑駅の方が近くにあります。

また長野県内の市町村で唯一、2040年まで人口増加が予想されています。

 

南箕輪村は伊那市への通勤通学にも便利で、ベッドタウンとしても発展している側面があります。



辰野駅並みの大きな駅、伊那北駅に到着。

近くには伊那北高校、上伊那農業高校、バスで行く範囲には高遠高校があって、通学需要が大きいです。

 

また、ビジネスホテルも隣接していました。

 

伊那北駅から0.9km、伊那市駅まで市街地が続いています。伊那市の中心駅はこちらですが、伊那北駅と双子見たいです。

かつて「伊那谷駅弁」さん経営の駅そば屋さんが駅弁販売を行っていましたが、現在ではキヨスクと共に撤退しています。

 

その先では中部地区で展開されるショッピングセンター・アピタの裏を走ります。

 

国道153号沿いにロードサイド型店舗が多く展開されており、車中心社会で非常に栄えている様子を窺えました。

 

そんな中にあるのが、下島駅です。車掌さんは毎回の駅できっぷ回収に奔走されており、非常に大変なお仕事だなと感じます。体力が必要な配属で、運動部出身の方が多いと聞きますね。



2020年に完成したばかりの沢渡駅の駅舎。

多角形の小さな駅舎に、くり抜かれた丸窓が可愛らしいです。

 

沢渡~赤木駅には、JRで一番の急勾配「40‰」の区間があります。

40‰とは、1000m先で40m上がっている坂道の傾きを表します。

急勾配と言えばもっと山岳地帯や峠越えを想像しそうですが、こちらは普通に住宅街もあって、イメージとの乖離が感じられました。

 

坂を上った先の赤木駅の標高は637m。沢渡駅は614mでその差は23mです。

 

宮田村の中心、宮田駅にて行き違いのため5分ほどの停車。

 

車掌さんが、豊橋まで乗られる方は自販機で飲み物を買うと良いですよ、という放送までしてくださいました。

 

反対から来たのはオレンジと緑の帯を巻いた213系電車、飯田発上諏訪行きです。

 

長野らしく山がたくさんの山々が連なり、清流が流れているところ。この大田切川橋梁は、撮影地としても知られているそうです。

 

駒ヶ根市に入りまして、大田切駅は急カーブ上にホームが作られています。



駒ヶ根市の中心、駒ヶ根駅です。

留置線が引かれていまして、広い構内を持ちます。

 

2面3線で一番端っこのホームに入線。この駅は中央アルプスへの登山客も多く、駅舎内には登山届を提出するポストがあります。

 

右手にはスキー場もある、駒ヶ根高原が広がります。

市役所は市営グラウンドに隣接する形で、行政機能がここに集積しているようです。

 

小町屋駅は長野県赤穂高校の最寄り駅で、市役所も近いことから利用者が多いです。

ホームはバリアフリー化されて、誰でも使いやすいような駅になっています。

 

次の伊那福岡駅も、長野県駒ヶ根工業高校の最寄り駅です。

1982年に廃止された住友セメントへの専用線があり、岐阜工場からセメントを貨車で搬入していました。

現在はその工場も無くなっているようで、おそらく駅近くのニシザワ福岡食彩館やコメリなどは、跡地に立ったものではと推測されます。

 

中田切川を渡りまして、奥には中央アルプスの山々。

白っぽく中くらいの石がゴロゴロしていて、上流である感じが分かります。

 

まもなく田切駅という手前、現在は小さな踏切ですが、かつての田切駅周辺です。

 

田切駅は1984年に現在の位置に移転しました。

先程の場所には田切駅舎跡として、記念碑が立っています。

また駅前の駐車場には、アニメ聖地巡礼発祥の地記念碑が立てられています。そのアニメは「究極超人あ〜る」で、1991年から今まで聖地巡礼に来られる方がいらっしゃるとのことです。



飯島町の中心駅、飯島駅は自治体管理の簡易委託駅。

駅周辺はかなり整備されていて、新しい住宅地が広がっています。

 

飯島町には与田切駅も流れており、水量が中田切川よりも多い印象です。

 

与田切川を渡る部分だけわざわざカーブしていて、また飯島駅と同じ経度に戻ります。

 

伊那本郷駅は2009年に新駅舎が完成し、丸窓が水玉模様のように沢山あるコンクリート駅舎です。

 

七久保駅からは日本石油伊那油槽所へ分岐する専用線が伸びており、名古屋は汐見町駅からの貨物列車が来ていました。

そもそもの油槽所が閉鎖されると、1996年に貨物の取り扱いが廃止、2002年には七久保駅もJR貨物の駅から廃止されています。

 

高遠原駅は2021年春の青春18きっぷポスターに採用されました。駅背後に桜と雪のかぶった中央アルプスを映しており、それは素敵な写真です。

 

中川村唯一の駅である伊那田島駅。

ここまでは少なくとも20人/日程度乗車人員がいたのですが、伊那田島駅は9人/日(2018年度)。飯田線らしい小さな駅です。

 

ビニールの被った畑も広がっていまして、高原を思わせる長野県らしい風景になります。

 

上片桐駅からは日本セメントの上片桐サービスステーションへ専用線が伸びていました。1996年の貨物列車廃止により、線路も剥がされています。

 

片桐松川を渡りまして、松川町の中心部へ。



伊那大島駅にて反対方向の列車と行き違い。

駒ヶ根駅と同じく中央アルプス方面への登山客が利用します。

町内コミュニティバスの他、大鹿村へのバスも発着。この地域の交通の要衝です。

 

左手を見下ろすと、秋の色付きを見せ始める田園風景が広がっていました。

 

山吹駅の駅舎側ホームには、駅名にちなんでヤマブキが植えられています。上りホームは廃止されましたが、その跡がはっきりと分かりますね。

 

国道沿いにはMEGAドン・キホーテがありまして、十分な需要を有していることが分かります。

 

その近くにあるのが、下平駅。天竜川の向こう側は豊岡村で、結構近くに境界が引かれていることには意外性を感じます。

 

高森町の中心駅が市田駅。1969年からのコンクリート駅舎はタイル貼りとなっており、高度経済成長期を感じさせる古さです。

 

下市田駅周辺には郊外店が多く、国道沿いには町が企業誘致を行った地域があり、鉄工所や運輸倉庫が集まっています。



飯田市通学圏

元善光寺駅はかつて飯田工業高校の最寄り駅でしたが、統合のために利用者が半減。現在は飯田OIDE長姫高校という、とても公立高校には似つかわしくない名前の高校になりました。

駅の近くには太平洋セメント飯田サービスステーションがあり、かつてはここへ専用線が伸びていました。1996年に貨物運行を終えましたが、JR貨物の駅として車扱貨物の臨時取扱駅です。

 

駅近くには長野市や甲府市で有名な善光寺の中でも最初の地、元善光寺があります。列車からでも朱色の大きな屋根が分かりますね。

 

住宅が眼下に広がる中、イオン飯田店も目立っていました。



元善光寺~伊那上郷駅ではリニア中央新幹線が交差し、その地点に長野県駅が設置される予定です。飯田線と乗り換えられるよう新駅設置の可能性もあります。

伊那上郷駅は飯田高校、飯田女子高校の最寄り駅で、名前からしても大きな高校。たくさんの生徒さんがこの駅を利用します。

 

ここ、伊那上郷〜下山村駅の線形は、飯田駅を経由するためΩカーブになっています。

そのため、伊那上郷駅で降りても下山村駅まで走れば、同じ列車に追いつくことができます。下山村ダッシュと呼ばれており、ある意味イベント的なものです。

 

桜町駅もまた、長野県飯田風越高校のアクセス駅です。飯田駅との中間地点に位置しており、それぞれから通学する生徒さんがいらっしゃいます。



上諏訪駅から3時間、飯田駅に到着しました。実はまだ片道の折り返し地点にも至っていません。

ここでも停車時間は僅かです。駅舎はリンゴを思わせる真っ赤な屋根が特徴的。また、飯田市は人口1万人あたりの焼肉店舗数が日本一でも知られています。

 

飯田駅までJR東日本の211系電車が入って来ます。

これによってJR東海が乗り入れまくっている辰野~茅野との、車両使用料の相殺がされている訳です。

 

切石駅は非常にカーブがきつい中にある駅。

危険防止のため、車内放送では車両前後のドアから降りるよう案内がされていました。

 

鼎駅は下伊那農業高校、飯田OIDE長姫高校の最寄り駅です。

かなえという駅名にちなんで、有人駅時代には合格祈願の入場券が販売されていました。無人化された現在であっても、飯田駅にて鼎〜桜町駅の乗車券を購入すると、台紙がプレゼントされるとのことです。

 

伊那上郷駅から走れば間に合う、下山村駅です。今回往復するので走る企画やっても良かったですが、結局またの機会になっちゃいましたね。



伊那八幡では特急伊那路1号と行き違います。

豊橋~飯田では特急列車が運行されており、この列車は日本一特急とも言われる列車です。その道のりの険しさはこれからご覧に入れる通り。

飯田から東京、名古屋へは高速バスが圧倒的に便利で安いです。それでも短距離需要を汲んでいるためか、1日2往復でありながら維持されています。

伊那八幡駅近くには飯田女子短期大学や、飯田市立病院があります。

 

毛賀駅近くには樹齢300年に及ぶ、毛賀くよとのシダレザクラが育っています。

 

ちょっと古そうですが、大きな輝山会記念病院が近くに見られました。

 

1989年に交換設備が撤去された駄科駅。ホーム跡は草ぼうぼうになっています。

 

駄科駅の駅舎は1998年、放火によって駅舎が全焼しました。現在は簡素な待合室です。

 

時又〜天竜峡駅では2001年、治水のため線路付替え工事が行われています。時又駅でも配線の付け替えがされました。

 

もっと川沿いを走っていた飯田線ですが、この地域は1961年、1983年に大水害を受けています。

 

2001年行われた線路付け替えで、川路駅は完全に移転。新駅みたいな見た目です。

特に1961年の大水害では旧駅の駅舎が屋根まで水に浸かる被害。周辺の住民は他の地域に移住したため、駅の周りには一切民家が無くなってしまいました。



秘境駅エリアへ

12:48 天竜峡駅 着

ここで車掌さんも交代。伊那松島駅から2時間半に渡って、同じ方が担当されていました。

 

駅周辺には国指定名勝「天竜峡」があって、遊歩道や展望台から迫力ある景色を楽しめます。

 

天竜ライン下りの港があるため、ホーム上にその船が置かれていました。

 

ここから中部天竜駅までは飯田線の代名詞、秘境駅のオンパレードです。

駅前の看板には秘境駅号発着駅と書かれていて、飯田線毎年恒例の観光列車と化しています。飯田線秘境駅号は2010年から運行を開始、豊橋から天竜峡・飯田を往復し、途中の秘境駅に立ち寄っていく列車です。

 

右手には、そらさんぽ天竜峡・天龍峡大橋が見えてきました。その名の通り歩いて通ることができて、飯田線を走る列車を見下ろせます。

 

これまでの景色とは完全に異なって、列車は山中に挑んでいきます。

 

最初の停車駅は千代駅。駅の上には数軒の民家、ホームの目の前には畑があって、程よい秘境感といったところ。

秘境駅ランキング(2022年度)では20位にランクされています。

 

長い年月かけて谷間を作り上げてきたであろう天竜川。山は鬱蒼たる森と化していて、自然が自然に飲み込まれているような中を、列車は堂々と走ります。

 

次の金野駅は秘境駅ランク6位で、飯田線内でもトップクラスの秘境度を誇ります。

 

駅出口の先には何も無く、このシンプルさこそ秘境駅という感じ。

 

森の奥へ橋が架かっており、ずっと進んでいくと集落へ繋がっています。

 

天竜川ライン下りは天竜峡港から唐笠港まで。迫力ある急流と景観を楽しめます。

 

港の最寄り駅となっているのが、唐笠駅。シーズンには天竜峡駅へ戻るお客さんも多いです。

 

駅近くの長瀞橋を渡ると、泰阜村から下條村に入ります。

峰竜太の故郷としても知られる他、1997年度から少子化対策に取り組み、2004年、2014年の出生率は2%を超えています。

 

泰阜ダムと泰阜発電所が見えてきました。

 

その近くにある門島駅は、ダム建設の資材輸送、舟運に代わる貨物輸送のために開設された駅です。



次の田本駅は秘境駅ランク5位。

コンクリートの絶壁に、狭すぎるホームが特徴的です。この壁が落ちそうになっている岩を固めてくれています。

 

温田ぬくた駅は泰阜村の中で一番大きな駅。以前平日に乗った時には、10人くらい生徒さんが降りていかれました。

 

その訳が、南宮大橋を渡った先にある阿南高校。温田駅は泰阜村に所在していながら、対岸の阿南町へのアクセス駅でもあります。



秘境駅ランク13位の秘境駅、為栗してぐり駅。どう考えても初見では読めません。

「為(して)」は水(天竜川)を意味する「湿(しと)」が変化したもので、「栗」は「刳(えぐる)」に由来。これを合わせると「水にえぐられた所」という意味になります。

 

天竜川の川岸に集落が点在していましたが、平岡ダム完成によって水没。駅周辺に人が住んでいそうな人家は見当たりません。

 

為栗〜平岡駅は1951年に線路が付け替えられており、あの吊り橋の先には旧遠山口駅跡があります。



天龍村の中心駅、平岡駅に到着しました。

駅舎と一体化して龍泉閣という施設があり、レストランや宿になっています。ここに泊まれば夜から朝にかけて、列車が発着する様子も楽しめます。

 

平岡〜鶯巣駅にかけても、1982年に線路が付け替えられ、藤沢トンネル一本になりました。右手には橋の跡を見ることができます。

 

鶯巣駅もまた小さな駅、集落ごとに小さな停留所が作られているようです。

 

冬には工事をしていた天竜川橋も終わりまして、集落からの重要なインフラになっています。

 

行き違いが行われた伊那小沢駅は、2018年から飯田線秘境駅号の停車駅に加えられました。

 

長野県最後に位置するのが中井侍駅。

秘境駅ランク10位でありますが、急斜面に向かってお茶畑が広がっていて、人の営みが感じられます。

 

列車は長野県から静岡県に入りまして、どんどん山の中になります。



飯田線で一番の秘境駅、それが小和田駅です。

小幌駅、尾盛駅に次ぐ秘境駅で、3位にランクされています。かつてあった集落はダムに沈み、この駅だけが残されたのです。

 

皇后陛下の旧姓が小和田であることにちなみ、ご成婚の際には水窪地区で募集した一組が、小和田駅前で結婚式を行いました。

 

駅舎の無い秘境駅が多い中で、ここは駅舎がそのまま残っています。まさに古民家のような雰囲気を漂わせていて、とても素晴らしいです。

 

発車したところには貨物ホームが残っていまして、かつての繁栄ぶりを思わされました。

 

トンネルを抜けた先、大嵐おおぞれ駅に到着。駅舎は東京駅をモデルにしています。所在地は浜松市天竜区なのですが、看板には豊根村と書かれていました。

 

これは、駅正面にある鷹巣橋を渡ると愛知県豊根村富山地区であるため。2005年11月に豊根村に合併されましたが、この地域は元々富山村で、同年10月の人口は218人。離島を除く日本一人口の少ない自治体でした。

 

大嵐駅からは郵便局員さんが乗られました。飯田線では郵便配達を電車で行う光景を日常的に見ることができます。

 

飯田線は佐久間ダム建設により線路が水没するため、1955年に新線へ付け替えられました。大嵐駅を出発するとすぐに東へ舵を切り、5,063mの大原トンネルに入ります。

 

トンネルを抜けた先、旧水窪町の中心地を見下ろすことができます。

 

新線付け替えによって生まれた水窪駅に到着。駅周辺は結構賑やかで、特急伊那路も停車します。

 

向市場駅で郵便局さんが降りていかれました。

駅周辺には中学校もありまして、結構栄えている印象です。



向市場〜城西駅には、わたらずの鉄橋と言われる第6水窪橋梁があります。

鉄橋は天竜川を渡って、集落のある右岸へ。それをかすめるようにして元に戻ります。

元々は左岸の山を、向皆外トンネルで抜ける予定でした。しかし、トンネル掘削中に壁面の剥離や山全体が水窪川に向かって滑り始めたことでこれを放棄。代わりに鉄橋で迂回することにしたのです。

 

城西駅は結構広い構内を持っていますが、2008年に駅舎側の線路が取り外され、1面1線となりました。

 

佐久間ダム建設によるルート変更区間は、相月駅まで。3,619mに及ぶ峰トンネルに入ります。

 

旧線内にあった白神駅、天龍山室駅、豊根口駅がダムに沈みました。これらは天竜川沿いに設置されており、大嵐駅と同様に対岸の富山村(現・豊根村)からの利用者も多かったそうです。



トンネルを抜けまして、佐久間駅に到着。

佐久間図書館と一体化した駅舎です。駅には佐久間町れの歓迎看板がありますが、この辺り一帯の町は2005年に浜松市に合併されました。

 

天竜川を渡るところでは、佐久間発電所を見られます。旧線時代の佐久間駅はあの辺りに設置されていました。



従来の線路に戻ってきまして、中部天竜駅に到着。

かつては駅に隣接して、佐久間レールパークという鉄道資料館がありました。プラレールやNゲージなど模型の他、飯田線の車両を展示していたそうです。

2009年に閉館しまして、現在は名古屋市臨海部のリニア鉄道館へ移転しています。

 

全国屈指の秘境区間は、中部天竜駅まで。それでもまだまだ険しい山を楽しめます。



浜松市〜奥三河

天竜川は飯田線から外れまして、浜松市中心部へ南下します。ここからは天竜川より分かれる、大千瀬川沿いです。

 

1面2線の島式ホームで、駅舎もあった下川合駅。交換設備も駅舎も撤去されまして、棒線駅になっています。川合の集落は大千瀬川を渡った先です。

 

早瀬駅は道路から階段を降りる構造の駅。

 

浦川駅は行き違い可能な駅で、周辺には大きな集落が広がっています。

小野田セメントの貯蔵施設へ専用線が伸びていたことも。1980年に専用線発着の貨物は廃止されました。

 

完全にバス停みたいな待合所となっている上市場駅。

駅近くには宿泊施設やテニスコートを備えた、さくま自然休養村で観光開発を行いましたが、2015年に廃止されています。

 

初見では絶対に読めない出馬いずんま駅に到着。

飯田線は駅間距離が短いことで有名ですが、先程の上市場駅からは0.6kmしか無く線内で最短です。



浜松市天竜区を走り続けてきましたが、ここから愛知県の奥三河地区に入ります。

東栄町唯一の駅、東栄駅の駅舎は花祭の象徴、榊鬼をモデルにしています。建物内にはカフェが入居していて、薪ストーブがあったりと素敵な場所でした。

 

新城市は愛知県で、豊田市に次いで面積の広い市です。

池場駅は日本らしい風景として、2001年公開の映画「いちばん美しい夏」のロケ地にもなっています。

 

何やら左手には工事が行われているところ。見た感じトンネル残土の盛り土でしょうか?

 

1923年に鳳来寺鉄道の終着駅として開業した三河川合駅。これより北は三信鉄道の区間であり、会社境界駅になりました。

1958年に完成した宇連ダムの工事では資材の輸送基地であり、その後は木材の積出し駅でもありました。

 

柿平駅は秘境駅ランク170位の駅。

2019年から下り飯田線秘境駅号の停車駅に追加されました。

 

三河槙原〜湯谷温泉駅は2022年5月、落石で不通となりました。ここ三河槙原駅で足止めされた213系から部品が盗まれ、静岡県の高校教師が捕まったこともありましたね。

 

鳳来湖から続いている、宇連川沿いを走ります。かなり大きくゴツゴツした岩も目立っていまして、結構迫力ある光景です。

 

湯谷温泉駅には特急伊那路も停車する駅です。

駅周辺には昔ながらのレトロな温泉街が広がっています。

 

三河大野駅周辺は宿場町として発展し、宇連川に沿った地域では中心的な役割を果たしていました。

駅前通り沿いには国の登録有形文化財にも指定された大野宿鳳来館(旧・大野銀行本館)があることからも、かつて栄えていた過去を思い知らされます。



本長篠駅からは鳳来寺方面へ、1968年に廃止された豊橋鉄道田口線が分岐していました。

特急伊那路も停車し、豊橋〜本長篠駅は1時間に1本の本数があります。

奥三河各方面へバスが発着し、重要な交通の中枢です。

 

次の長篠城駅は、織田信長が初めて鉄砲を用いた戦いとして有名な、長篠の戦いゆかりの地。待合室もお城風のデザインです。

 

鳥居駅は長篠の戦いの逸話で有名な、鳥居強右衛門(すねえもん)からとられています。

長篠城で武田軍に囲まれた強右衛門は家康へ援軍を求めに行き、長篠城へ戻る際に武田軍に捕らえられました。武田軍は「援軍はこない。降参した方がよい」と仲間が籠城する長篠城へ言えば命を助けると言いましたが、強右衛門は「援軍がすぐ到着する」と叫びます。これによって強右衛門は磔に掛けられ殺されますが、籠城を継続したことで長篠の戦いは織田・徳川連合軍が大勝しました。



大海駅は1900年に豊川鉄道の終着駅として開業、1923年に鳳来寺鉄道により延伸され、会社境界駅になりました。

貨物営業が次々廃止された飯田線南部の中で、最後まで残っていた大海駅。1984年に廃止され、旅客船溶駅として残っています。

 

新東名高速道路と交差しまして、新城IC付近を走ります。

 

その近くには道の駅もっくる新城があり、東京〜大阪を結ぶ青春昼特急が立ち寄ります。

 

2021年秋から青春昼特急のルートが新東名経由になり、乗務員交代場所が新城になったことで、ここでの乗降も可能になりました。

 

道の駅へは、三河東郷駅が最寄り駅です。

豊橋〜東京のアクセスにおいて、飯田線で三河東郷駅まで来て、道の駅から昼特急に乗るというルートもできました。

 

茶臼山駅はトンネル状の待合室です。

茶臼山と言うと愛知・長野県境の茶臼山スキー場を連想します。実際はそれと関係なく、長篠の戦いで織田信長が陣取った茶臼山本陣に由来しています。

 

東新町駅周辺は、新城市中心部の東端。2019年3月に新城高校と新城東高校が統合してできた、新城有教館高校の最寄り駅です。

2012年3月まではみどりの窓口もあり、現在も簡易委託で窓口が継続されています。



新城・豊川

新城駅より南は30分に1本の列車本数があり、需要が大きくなってきます。

蔵のような大きい駅舎であり、駅前ロータリーが整備されました。2021年にはエレベーターも設置され、新城市の玄関口として重要視していることが分かります。

 

野田城駅は1932年からの駅舎が残されており、非常に雰囲気が感じられます。

近くの横浜ゴム新城工場脇にはゴジラを模したオブジェがありまして、「タイヤランド」と名付けられています。

 

山あいからだいぶ開けてきまして、田んぼの中を走ります。

 

豊川市に入りまして、最初の駅が東上駅です。

安産祈願で有名な、わくぐり神社が近くにあります。

 

この辺りでは簡易駅舎が基本ですが、こちらは駅舎の無い停留所型の駅。木造の白い待合所が置かれています。

 

現在は2002年に建替られた簡易駅舎の長山駅。以前は正八角形で茅葺き屋根に丸窓という駅舎でした。

1932年には集客のため、豊川鉄道による長山遊園地が開園。初代豊川駅舎を中心に公園のような広場、鳥や小動物の小屋など、戦前の簡単な遊園地です。

太平洋戦争中に閉園し、現在は住宅地になっています。

 

宝陵高校の最寄り駅、三河一宮駅は木造駅舎が残されており、なかなかの年季が入っています。

 

右手に注目していると、線路が合流してきました。

これは日本車輌製造豊川製作所から伸びる専用線です。

新幹線車両も作っている大きな工場。名鉄やJR在来線の車両は、この専用線を通って入ってきます。

 

豊川〜豊橋駅は15分に1本列車が出ています。

おそらく飯田線では唯一の、近代的な橋上駅舎です。

 

また、名鉄豊川線の豊川稲荷駅と乗り換えも可能。名古屋方面へ直通する急行列車が走ります。

 

豊川〜豊橋駅は複線での運行。それでも駅のところでちょうど行き違いました。

 

小坂井町は2010年に豊川市へ編入されたため、駅名標が修正してあります。

名鉄豊川線がなかった頃、名古屋本線の伊奈駅から豊川鉄道小坂井駅へ小坂井支線が伸びており、豊川まで乗り入れていました。

 

飯田線はカーブしていきまして、この先名鉄名古屋本線と並走します。

 

と思ったら、それどころか名鉄名古屋本線と合流しました。

 

(ButuCC (原作者はAがpenpen、BがButuCC) - File:Hirai s g penpen.PNG (A)File:Hirai Junction wiring diagram.png (B)Aを元にBを作成し、Bを元に作成, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=13660450による)

JR飯田線と名鉄名古屋本線は、平井信号場〜豊橋駅において線路を共用しています。これはそれぞれの私鉄が複線を引くほどの経済力がなかったため、それぞれが上り線と下り線を敷設し、一緒に使うことにしました。

 

この列車は普通ですが、下地駅、船町駅を通過します。その両駅については豊橋〜豊川を往復する列車が停車、1本/30分に本数が半減します。

 

船町駅は非常にホームが狭い駅です。

駅の目の前には、豊橋オフレールステーションが隣接しています。

 

JRに乗っているのに、同じJRの路線上を走る名鉄特急とすれ違う。この上ない不思議な感覚です。

 

豊橋駅に併設する車庫には、特急伊那路として待機する373系電車。1日2往復だけの役割です。



16:16 豊橋駅 着

上諏訪駅から6時間54分、遂に豊橋駅に到着しました。

 

お隣のホームには名鉄の最新型車両が引き連れた、急行列車が入線してきます。

 

ここまででも十分飯田線を満喫し尽くしていますが、まだ終わりません。



電光掲示板には上諏訪行きの表示。

帰りはこの普通列車に乗ります。

 

一回くらい外に出ておきましょう。豊橋駅は東海道新幹線ひかり号も停車する、三河地方最大のターミナル駅です。

日本で初めての駅ビルができたのも、豊橋駅とされています。

 

上諏訪行きの普通列車は213系電車による運行です。お隣には名鉄特急パノラマスーパーが停車中、それを横目に再び普通列車の旅が始まります。



(帰り)豊橋→上諏訪

16:42 豊橋駅 発

特に豊川まで乗られる多くのお客さんを乗せて出発。立ち客も出るくらいです。

 

373系電車もお休み中、18:20に飯田行きの特急として発車します。

 

先程もご紹介しました、名鉄との共用区間を走ります。

 

上り線は真っすぐ進みますが、下り線は右へ分かれていきます。

 

地上の平井信号場へ進入、左へ行くと名鉄名古屋本線、右へ行くとJR飯田線です。

 

名鉄名古屋本線の上り線の下をくぐります。

 

そして小坂井駅に到着、一連の様子は動画でご覧ください。

 

牛久保駅の駅舎は解体工事が進められます。みどりの窓口も廃止方針の話が聞こえているところです。

 

豊川駅に到着しようとするところで、ちょうど名鉄豊川線が国府方面へ出発してきました。

 

豊橋駅を過ぎますと、単線になるため三河一宮駅で行き違い。

砥鹿神社は三河国一宮だったところ。一宮という地名は頻繁に駅名に使われますね。

 

奥三河と言える地域の玄関口、新城駅まで戻ってきました。

 

空も夕方の様相に変わります。三河大野駅で特急伊那路と行き違いました。

 

豊橋駅では稲荷寿司を買ってきました。豊川稲荷の名物、甘い油揚げに酢飯がとっても美味しいです。

 

18:40、中部天竜駅に到着したところで、もう夜になっています。

 

お客さんは他に2人だけ。1人は上諏訪まで豊橋から乗られていたようでした。

 

夜の小和田駅に到着。真っ暗な闇の中の秘境駅でも、駅だけは明るいです。



伊那小沢駅にて行き違いのためしばらく停車。

やっぱり列車の中と外では全く空気が違います。

 

空を見上げると、月も空を照らしていました。森の中に迷い込んだみたい。

 

秘境駅でもこのように行き違います。

 

駅舎に宿泊施設が備えられた平岡駅。ここに泊まってゆっくり休みたい…。

 

天竜峡の川下り人形も寂しげです。

 

久しぶりに街の灯りが見えてきました。飯田市街です。

 

20時半頃、飯田駅に到着しました。

高校生の生徒さんが帰宅されるぐらいの時間帯、それぞれの駅へ帰っていくようです。

 

煌々としたドンキホーテも悪目立ちしてました。

 

駒ヶ根駅では天竜峡行きと行き違います。

 

アピタ伊那店の横にあるのは、アピナ伊那店。こっちはゲームセンターです。

 

22:17、北殿駅にて飯田行き普通列車と行き違い。飯田まで行けるのはこれが最終列車です。



左手からは中央本線がやって来ました。

遂に飯田線の旅も終わりです。

 

22:40ごろの辰野駅、駅名標にはホタルが描かれていました。

 

豊橋から続いた飯田線はここで終了、JR東海からJR東日本の乗務員さんへ交代されます。

 

ここからは中央本線に入ります。ここまで来ると時間的にも利用者さんはいません。

 

冷たい寒色ラインの211系、中央本線に戻ってきた実感が湧きます。

 

高架橋の下をくぐりますが、あんなに立派だったのが闇にに隠れちゃいました。

 

岡谷駅に入線中、やっぱりこれまでとは駅の格が段違いに見えます。

 

下諏訪駅を過ぎまして、見えるはずのない諏訪湖を眺めながら、遂に終点上諏訪駅です。



23:03 上諏訪駅 着

丸一日飯田線とともにした今回の旅、ようやく上諏訪駅に戻りました。

 

当然ですがとにかく長くて、帰りは疲れもあります。しかし、飯田線の魅力を最大限に感じ取ることができた点では良かったです。

 

この記事も、ものすごく長くなってしまいました。最後までご覧頂いた方には一大の感謝です。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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