2020年5月に廃止された札沼線(北海道医療大学〜新十津川)。
特に末端部の浦臼〜新十津川は1日1往復の運行で、新十津川駅の列車は日本一早い最終列車として知れ渡っていました。
この区間が廃止された現在、日本一列車本数が少ない路線とはどこなのでしょうか。
それは山口県で走る、小野田線本山支線です。
その本数は1日3本。あまりに寂しい終着駅に、特徴ある電車。なぜこの路線が存在するのかその理由を探るとともに、小野田線の魅力をお届けします。
やって来たのは朝6時の宇部新川駅です。
山陽本線にはいかにも宇部市の中心駅らしい「宇部駅」があります。しかし、宇部市の中心市街地があるのはそこから分岐する宇部線の途中駅、宇部新川駅周辺です。
駅舎内は山口線の山口駅ぐらいの規模感を思わせ、みどりの券売機が設置されています。右端に3本ラインが映っていますが、セブンイレブンも入居。乗車人数は828人/日(2019年度)で、赤字ローカル線にしては利用者が多い印象です。
この辺りの路線はけっこう複雑な形をしています。
新山口駅から宇部駅まで、海側を走るのが■宇部線です。そして、宇部線の居能駅から■山陽本線の小野田駅には■小野田線が接続。さらに途中の雀田駅から長門本山駅までちょろっと伸びている路線、これが今回注目する■本山支線です。
小野田線の列車は宇部新川駅まで直通しており、時刻表には小野田線本線と本山支線の列車がまとめて表記されています。それにしても、小野田線自体の列車本数が少なく、宇部線と比べてもかなりの格差です。
宇部線は輸送密度2000〜4000人/日なのに対し、小野田線はJR西日本が収支状況を公表している赤字線区。輸送密度346(人/日)で中国山地のローカル線並み、100円を稼ぐのに1172円かかっています。
貴重な1日3本だけの長門本山行きの列車。朝の便に乗るためには宇部新川駅での前泊が必須、駅周辺にはビジネスホテルや快活クラブが揃っています。
無人の改札を通りますと、真正面に駅名標がお出迎えしてくれました。番線表記もレトロチックで、ホーム上の水場など独特です。
木造の跨線橋を渡りまして、4番線に長門本山行きの電車が停まっています。
この123系電車は山口地区でしか走っておらず、かなり特徴ある車両です。
最大の特徴は、電車にも関わらず1両編成であること。ディーゼルで走る気動車は1両だけで走れるようになっていますが、電車はどんなに短くても2両1組で走るのが基本。なぜか巨大化した路面電車みたいなことになっています。
その理由は元々123系電車が、お客さんではなく荷物や郵便を運ぶクモニ143形だったためです。荷物車・郵便車としての車ならば、一両の電車も存在していました。
しかし、1986年に手荷物・郵便輸送が廃止され、荷物車が余ってしまいます。そこで旅客輸送用に改造することで、1両でも十分な電化ローカル線へ投入したのです。
かなり独特な過去をもつ列車の方向幕には、長門本山の表示。いよいよここへ向かうんだという意気込みが湧いてくるものです。
発車時刻の直前、向かい側のホームには宇部線の宇部発新山口行きが到着しました。
朝早いですが6,7人ほどの下車。一応接続はとっているみたいですが、こちらへ乗り継いで来られる方はいらっしゃいません。
乗客は僕1人だけを乗せまして、6:39に宇部新川駅を出発です。
宇部市は人口16万人(2023年)の都市で、下関市、山口市に次いで県内第3位のまち。
セメントを中心とした工業で栄えており、宇部新川駅近くの中心市街地でも宇部興産のセメント工場をたくさん見ることができます。
宇部線、小野田線は貨物輸送のために建設された鉄道で、美祢線も走って原料となる石灰岩を運んでいました。しかし、私道の宇部興産専用道路が造られたことで貨物列車は無くなり、これら路線は旅客輸送だけになったのです。
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宇部線と小野田線の分岐駅である居能駅からは、鉄道ファンの方がお一人乗ってこられました。朝の下り列車なので予想はしていましたが、この先途中から乗って来られる方はいらっしゃいません。
居能駅を出発すると、宇部線と小野田線はYの字を描くようにしてお互い離れていきます。
かなり幅の広い厚東(ことう)川を渡りまして、奥には工場の大きな煙突と宇部湾岸道路が渡っているのを見られました。それよりも奥にあるのが宇部興産専用道路、宇部市から美祢市まで31.94kmに及ぶ日本一長い私道です。
宇部線と比べても小野田線はかなりのローカル線ですが、住宅街が広がっておりそんなに田舎という感じはしません。鉄道が利用されていない理由はやはり車社会の進行、駅から一歩大通りへ出ると、とにかく車通りが多くて驚きます。
右手には国道190号沿いに立つホテルルートイン宇部が見られまして、駅からのアクセスが考慮されていない点からも明らかです。
小野田線最初の停車駅、妻崎駅に到着。
どこかの地方私鉄ですかと思ってしまうレベルの駅舎には、驚きを隠せません。建物自体は非常に立派なため、だんだんと朽ちていく様子が目立ちます。
そこから僅か700m先にあるのが、長門長沢駅です。どちらも1929年に開業した駅で、元々宇部電気鉄道という私鉄だったからこそでしょう。
ホーム上の花壇がとても綺麗で、小さな鉄道駅でも身近な存在としている方がいらっしゃるのだと再認識させられます。
線路沿いには住宅が並びますが、その向こう側に工場があり、それぞれ密接に根付く様子が見受けられます。
列車は雀田駅に到着、本山支線はここから分岐します。
雀田駅は本山支線と小野田線本線が分かれるところに位置しています。
ホームはその分岐の分かれ目に作られており、その上に駅舎が建っています。ちょうど小野田駅から宇部新川へ向かう本線の列車がやってきました。
こうして見ると、ホームが三角形になっているのよく分かりますね。
一応あちらからの接続を取っていたみたいですが、やはり乗り換えのお客さんはいらっしゃいませんでした。
お客さんの状況はそのままに、雀田駅を発車。
ここまではローカル線として常識的な本数がある本線でしたが、いよいよ1日3往復しか走らない本山支線へ。
田んぼの向こう側、右手に見られるなだらかな山は竜王山です。雀田駅辺りから入っている山陽小野田市のランドマーク的存在で、四季折々の自然を楽しめて、両市街地が広がるばかりか、関門海峡や四国まで見渡すことができるそう。
長門本山支線内で唯一の途中駅、浜河内駅に到着です。
駅舎は無くバス停みたいな開放的な待合室、非常に簡素な作りとなっています。
この路線は住宅街の中を走っていますが、海沿いには西部石油山口製油所や太陽石油などがあって、隙間からその上部を見ることができました。
少しの区間だけ山を拓いた部分を走りまして、線路の真横に畑があるような生活感溢れる住宅街へ再び出てきました。長門本山駅はまもなくです。
07:03 長門本山駅 着
雀田駅から始まった本山支線は2区間6分で走り切りました。今日この駅を出発する3本のうち1本目が到着です。
かつては駅舎があったそうですが、いつしか簡素な待合室が立つだけに。まるで終着駅とは思えません。
待合室にはとにかく長いベンチがあります。1日の乗車人数は11人/日(2020年度)、きっちり詰めれば全員座れて姉妹そうです。
そして駅の時刻表を見てみると、ご覧のとおりスカスカ。これこそ日本一本数が少ない路線の終着駅です。
設定されているのは7時台に2本と18時に1本だけ。2012年春のダイヤ改正で16-17時台の2往復が廃止されて以来、10年以上この状況が続いています。
駅名標は終着駅であることをはっきり示しており、鳥居型の駅名標1つだけが立っているのもローカル感溢れます。
線路を延長した先、本山ドリーム体育館近くの歩道には、壁画が描かれていました。
こちらの車両は2003年まで小野田線本山支線を走っていた、クモハ42形です。旧型国電と分類される列車が走った、最後の路線がここでした。
完全に博物館で見るような車両、これが2000年代にも走っていたとは信じられません。
と言っても、つい最近のことのように思ってしまいましたがもう20年前のことなんですね…。
折り返し列車には、高校生3人と地元の方1人、先ほど乗っておられた鉄道ファンの方が乗って行かれました。
ダイヤからもお分かりいただけると思いますが、完全に高校生の通学に合わせたダイヤ。2002年に週休5日制が導入されるまで土曜日日中に1往復運行されていたことからも、それは明らかです。
次の列車は雀田行きで、「長門本山↔︎雀田」の方向幕が出るのは1日1回だけ。雀田駅で折り返し、7時台2本目の列車として長門本山駅に再びやってきます。
せっかく次の列車があるので、この列車は見送ってみました。車体を左右に揺らしながら、ゆっくりと加速していきます。
列車が見えなくなると、この終着駅の寂しさは何倍にも膨れ上がります。それにしても、この本山支線は何故できたのでしょうか。
本山支線は宇部電気鉄道の路線として1937年に開業、1941年の宇部鉄道合併を経て、1943年に国有化されました。
戦前に線路を引いて国有化までされたということは、それだけの価値がこの路線にあったということ。
その価値とは何かというと、石炭の貨物輸送です。
かつてこの地域には本山炭鉱があり、本山支線は石炭輸送を担っていました。特に戦時中は石炭輸送が最重要であり、だからこそ国有化されたと予想できます。
しかし、これは1963年に閉山しまして、同時に貨物取り扱いも廃止されました。現在は1面1線の単式ホームがあるだけですが、奥の方がクネッと曲がっていることから、左側にも分岐していたのでしょう。また、奥の方には炭鉱住宅も見られ、炭鉱のまちだった名残を観察できます。
今回は訪れませんでしたが、徒歩圏内に旧本山炭鉱斜坑抗口が保存されています。こちらもその歴史を知るという面からおすすめの場所です。
次の列車までは26分あります。せっかくなので途中駅の浜河内駅まで行ってみましょう。
沿線には昔ながらの住宅街が広がっており、商店も見られません。
朝にしては車通りも少なく、高校生が自転車を高速で駆け抜け、トラック2台が畑へゆったり走っていったばかりでした。
ちょっとだけ寄り道しまして、本山支線と道路が交差するところで電車を観察。こうして見ると、1両編成なのに架線が張ってある違和感が凄いですね。
時間が迫っているので小走りで浜河内駅へ。これを逃したら10時間後なのでシャレになりません。歩けば良いんですけどね(笑)
長門本山駅から浜河内駅までは、GoogleMapによると徒歩14分。電車の撮影などしなければ、全く焦らず間に合うかと思います。
踏切のすぐ近くに設置されています、浜河内駅に到着しました。あまり整備されていない公園の、草むした遊歩道みたいな坂道。
その先には金属板が貼られた、無機質な待合所が構えています。
浜河内駅は1957年に開業した新設駅です。国有化以前は2つ途中駅がありましたが、それ以来1区間だけの路線だったということですね。
朝の通勤通学時間帯では最後の電車。1両編成の車内には高校生2人、スーツを着た通勤客が1人、その他生活利用者が2人いらっしゃいました。先ほど少し映り込んでしまいましたが、浜河内駅からも通勤客の方が1人乗られます。
朝2本設定されている列車は、高校生を中心とした方々の毎日を支えています。そうは言っても鉄道にこだわるべき利用状況ではなく、いつバス転換されてもおかしくないのが正直なところです。
本山支線が分岐する、雀田駅に戻ってきました。
このホームに列車が停まるのも、おそらく1日5回だけ。小野田線自体初めて乗ったのでそこまで貴重に感じませんでしたが、本来は朝夕だけに見られる光景なのでしょう。
駅舎は最近塗装したようなオレンジ色の屋根が特徴的ですが、こちらは2018年にリニューアルされました。これを行ったのが小野田青年会議所と山陽小野田市立東京理科大学の学生有志ら、オレンジ色は大学のスクールカラーとのことです。
雀田駅は山陽小野田市立山口東京理科大学の最寄駅で、小野田線で通学する方もそれなりにいらっしゃいます。
東京理科大学の地方キャンパスといえば長万部キャンパスが有名ですが、こちらも相当。そもそも市立になっちゃってますし…。
駅舎内には手作り感あるテーブルと椅子が並んでいました。窓口跡なども塞がれていまして、分岐駅とはいえ小さな無人駅です。
時刻表に注目してみますと、本山支線の本数の少なさが目立って見えると思います。
次の列車は2,3時間後もザラの、小野田線本線が多く感じてしまうというバグです。
行灯式の列車接近案内も現役。小野田線内の各駅に設置されているようです。
その案内通り、小野田方面の列車がやってきました。本山支線と接続していますが、1人だけ乗り換えていらっしゃったように記憶しています。
これから宇部新川駅へ向かう本山支線の列車とお別れ。
宇部新川駅前泊が必要ですが、やっぱりもう一度乗ってみたいですね。あの終着駅の雰囲気はかなり気に入りました。
小野田線本線に乗車しまして、そのまま小野田方面へ向かいます。先程右手に見られた竜王山、今度は左手に移っており山を挟んでいることが分かります。
そして海沿いの埠頭に形成されました、工業地域のすぐ横を走ります。関東で都会のローカル線と言われる、鶴見線と同じ雰囲気です。
ご覧いただいたように太平洋セメントや共英製鋼などが広がる中、そこに位置するのが小野田港駅です。地名は「セメント町」と付けられているほど、セメント工業が地域に根付いています。
小野田港駅で新山口行きの列車と行き違いました。小野田線から宇部新川駅より東の宇部線まで直通する列車は、この1本だけです。
かつて小野田港駅から小野田セメント(現・太平洋セメント)へは貨物専用線が伸びており、ここ小野田線でも石灰輸送が行われていたのでしょう。
先程の小野田港駅は、1915年にここ南小野田駅の位置で、セメント町駅として開業しました。
1943年国有化時に小野田港駅に改称し、1947年に先程の位置へ移転。ここにあった旧・小野田港駅は小野田港駅北口とされ、1962年に南小野田駅として独立しています。
工業地域から抜け出し、そこに隣接する市街地の中を高架で走ります。
雀田駅と同じく、南中川駅の駅名標はラインカラーでもないオレンジ色です。
これはJリーグのレノファ山口の練習場「山陽小野田市立サッカー交流公園」の最寄駅であることから、2020年に変更されました。
工業地域から山陽小野田市街を繋ぐ道路と一緒に走ります。やはり自動車の利用率が高く、通勤で鉄道を利用する方は非常に少ない状況です。
有帆川沿いへ出てきました。川の河口に位置する日産化学工業小野田工場へは貨物専用線が伸びていたとのこと。
目出駅から分岐していたとのことで、右側へカーブする堤防がまさに廃線跡でしょう。1983年に無人化されており、その時に廃止されていると思われます。
有帆川を渡りまして、進行方向右手からは山陽本線が近づいてきました。
小野田線の終着駅である小野田駅に到着。階段下が倉庫になっているであろう大きな木造の跨線橋が、戦前からの歴史を伝えてくれます。
特に鉄道ファンに刺さりやすいポイントが沢山の小野田線、しかしこの路線の存続はかなり厳しい状況と言わざるを得ません。
2018年度には宇部市とJR西日本が中心となって宇部線・小野田線のBRT構想が始まったものの、宇部市は整備関連事業費が153億円に上ると試算。採算が厳しいためこの計画は凍結されました。
特に小野田線は利用者が少なく、中国山地のローカル線と同じレベル。全区間が山陽小野田市内に存在することから、鉄道廃止の議論を進めやすい状況が整っています。
戦前からの歴史を色濃く残し、工業地域の真ん中を走っていく様子も魅力的です。小野田線に乗ることを第一目的にしないと乗車が難しいですが、ぜひ足を運んでいただけたらと思います。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
山陽小野田観光協会公式HP『さんようおのだ観光ナビ』に、この記事が掲載されています。ぜひ併せてこちらのサイトもご覧ください。
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