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【毎年ダム湖に沈む橋】日本一美しい廃線「タウシュベツ川橋梁」見学ツアーに参加[2305タウシュベツ(3)]
日本一美しい廃線跡と言われる、タウシュベツ川橋梁。 毎年ダムに沈み、-20℃で凍てつく厚い氷に削られていきます。 これがあるのは北海道の内陸部、帯広駅から十勝三股駅を結んだ国鉄士幌線の廃 ...
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帯広〜札幌を結ぶ特急とかち号でやってきました、こちらは石勝線の新夕張駅です。
炭鉱の町として栄えた夕張市。現在では市内唯一の鉄道駅ですが、かつては石炭輸送のために多くの鉄道路線が伸びていました。
その中で最後まで残っていたのが、夕張市街地までを結ぶ夕張支線です。2019年春に廃止され、100年以上に渡る歴史に幕を下ろしました。
夕張市から廃止を提案し、『攻めの廃線』とも形容される夕張支線。4年経った駅の様子と、廃止による効果をご紹介します。
他に新夕張駅で下車するお客さんはいらっしゃいません。
石勝線の列車が発着するのは1,2番線ホームだけで、左側の3,4番線ホームは現在使われていません。
かつて夕張支線が発着していたのは、向こうの3,4番線ホーム。乗換案内として「南千歳・札幌・帯広」とありますが、乗り換えられる路線がありません。
駅名標を見てみますと、夕張支線の隣駅である沼ノ沢駅が透けていました。
また、夕張方面と書かれていた乗換案内は、しっかり隠されています。
帯広方の線路を見てみますと、左側へ分岐する様子が分かります。あちらが夕張支線へ繋がっていた線路です。
階段を下りまして、コンコースへ。
夕張と言ったらやっぱり夕張メロン、パステルチックな看板にお出迎えされます。
コンクリートに囲まれた空間へ降りると、体全体を冷やされる感覚に。
パーテーションで目隠しされていますが、向こう側に3,4番線ホームへ上がる階段がありました。
ここから夕張支線のキハ40へ乗り換えた、今となっては思い出の域です。
土休日は改札業務を行っておらず、特急であっても車内改札で済まされてしまいました。
新夕張駅は高架ホームになっており、1階部分にロータリーや駐車場が整備されています。
茶色い壁が特徴的、かなり年季の入った雰囲気です。
その駅前にあるのが、新しそうなバス乗り場です。
夕張支線を廃止するにあたって、夕張市はJR北海道に対し、新夕張駅前のバス停ロータリー整備を求めました。
これによって屋根付きのバス停が出来上がっています。
夕張支線代替バスを運行しているのは、夕鉄バスです。
この他にも新さっぽろ駅前へのバスも運行していますが、こちらは2023年10月に廃止予定です。
駅ロータリーから階段を降りると、道の駅夕張メロードがあります。
道東自動車道夕張ICの近くに位置しており、車もかなり集まっていました。
交通量が多い道東自動車道はJR石勝線の特急列車にとっては驚異的な存在。一方で夕張にICができたことで、賑わいをもたらしてくれています。
道の駅では夕張どらやき「たんどら」を買ってきました。
炭鉱を思わせる黒い生地で、メロンクリームが挟まっています。
それでは新夕張駅に停車中の、夕鉄バスに乗車します。
こちらは夕張支線の廃線代替バスではなく、新さっぽろ駅へ向かうバスです。
10月に廃止となるこちらの路線バスで、途中の南清水沢駅近く「りすた」へ向かいます。
新夕張駅を発車し、特急列車も走る石勝線の高架下をくぐりました。
その先では夕張川を渡る夕張支線、立派な橋梁が残っています。
廃線跡は国道沿いへ近づいてきますが、植物で隠れてあんまり見えません。
跨線橋で廃線跡を越えると、右手に橋梁を見られました。
まもなく沼ノ沢駅跡を通過。
駅舎には「レストランおーやま」が入居していましたが、駅廃止後に撤退しています。
しばらく注目していると、線路が残っている様子も確認できます。
鉄道廃止から4年経っても、ほとんどの区間がそのままの状態で残っているようです。
踏切部分については立入禁止の柵が組まれており、これは他の廃線と同様になります。
再び夕張川を渡る時、橋梁の全体像を間近にすることができました。
夕張市唯一の高校、夕張高校を通過します。
その近くにあるのが、「夕張市拠点複合施設りすた」です。
バスは一度こちらを通り過ぎまして、ぐるっと回り込んできます。
夕張支線の中で利用者が多かった、南清水沢駅横を通ります。
こちらでは乗車券販売も行っていて、収集鉄の方に向けて郵便販売まで受け付けていた駅です。
南清水沢駅周辺の町をぐるっとまわりまして、夕張市拠点複合施設りすたで下車します。
こちらは2020年にオープンした施設、夕張支線が廃止された直後にできました。
夕張の「り」とSTATIONの「STA(すた)」を由来としており、新たな「まちの駅」。夕張市はコンパクトシティ政策を推し進めており、「りすた」は公共交通の拠点としても位置付けられます。
その核にあたるのが、りすた図書館です。
財政破綻した夕張市は図書館も失っていましたが、この施設がオープンしたことで学習スペースが確保されました。
また、誰でも利用できる開放的な多目的ホール。
バドミントンやボードゲームなど自由に借りることができます。
今日は土日なので閉まっていましたが、教育委員会も入居していました。
ここに示されているのは人口と世帯、2023年5月時点で6686人です。
夕張市には人口1万人切っちゃった市というイメージを持っていましたが、その減少に歯止めがかからず、7000人も切ってしまいました。
「りすた」は夕張支線の廃線跡すぐ横に位置します。
路線廃止条件のひとつとして夕張市は、南清水沢地区に整備する複合施設に用地を一部譲渡することを提示していました。
そのため、このあたりは夕張市が有する土地として無償譲渡された範囲であり、線路なども撤去されています。
近くにある南清水沢駅跡の様子を見にいきましょう。
踏切から線路に向けては立入禁止の看板が掛けられており、これが全ての踏切跡に設置されていました。
この先でも見た限り、踏切は全て撤去されて道路になっているようです。
南清水沢駅跡には、お蕎麦屋さん「そば天国」が入居しました。今日はお休みみたいで暖簾が仕舞われています。
ホームには木が渡されており、これはわざとっぽい感じ。
線路上にはフキが繁茂して、だんだんと廃駅感が出てきました。
後続の夕張石炭博物館行きのバスに乗車。
こちらは夕張市内線で、夕張支線の廃線代替バスにあたります。
夕張市はJR北海道に路線廃止の条件として、持続可能な交通体系再構築の費用7.5億円の拠出を求めました。これは1日10往復の路線バスを20年間維持するためです。
バスは廃線跡から少々外れまして、かつての炭鉱住宅が集まる住宅地を結びます。
清陵町バス停からは、北炭夕張新炭鉱通洞跡を見られました。
日曜日ということでグラウンドにて子供たちが野球を楽しんでいる、夕張市立ゆうばり小学校のロータリーへ入ります。
夕張市には小学校が6校あったのですが、2011年に統合する形で開校。市内唯一の小学校になりました。
ここで左手に廃線跡が戻り、踏切部分の柵が見えてきました。
次は清水沢駅跡です。
その最寄駅となるのが、清水沢3丁目バス停。かなり広い駐車場があります。
駅構内は非常に広く、夕張支線のホームはかなり遠くに位置していました。
それでも敷地へ入れないよう、手前部分で柵が設けられています。
斜めになった駅名標も、枠部分だけになりました。
清水沢駅は夕張支線で唯一、駅舎が解体済みとなっています。
2022年11月ごろに足場が組まれ、翌月には完全に解体されて更地と化していたようです。
ここからは三菱大夕張鉄道が分岐しており、その線路が駅舎側にあったため、夕張支線のホームは最後までポツンと残されました。
再び線路を越えまして、進行方向右手に移ります。
廃線跡が離れてしまうところで左手に注目していると、夕張自動車教習所跡が現れました。
異世界のように崩れそうな建物、教習所のコースも廃墟そのものとして有名です。
それを活用したサーキット場が2023年春にオープン。YouTubeでもサーキット場として再生する動画が上げられています。
その近くには木がほとんど生えていない、直線的な山が現れます。炭鉱の街で見られるズリ山で、質の低い石炭などをここに捨てていました。
夕張市平和運動公園では子供たちがサッカーをしており、車もたくさん停まっています。
こういったところはどこの町でも同じ、夕張の活気溢れる姿を見られました。
右手に続いている夕張支線跡ですが、そろそろ1975年に廃止された夕張鉄道線の廃線跡も合流するあたりです。
夕張鉄道は函館本線の野幌駅から室蘭本線の栗山駅、夕張支線の鹿ノ谷駅を経由して夕張本町駅に至った路線。2023年10月に廃止される、夕鉄バス新さっぽろ駅行きのバスが、廃線代替バスとなっています。
ここはそのひとつ、夕張鉄道の若菜駅跡です。周辺には郵便局や商店跡が建ち並んでおり、かつての繁栄を物語っていました。
若菜小学校グラウンド跡地では、夕張市立診療所が建設中。
夕張市役所の北側にあるのですが、南側の市街地へ移転します。
夕張鉄道本社もここにありまして、現在ではバス営業所です。
待合室の両側に2つずつ乗り場が設定されており、小さなバスターミナルという印象を濃くします。
道道3号が至る丁字路は、札幌・北広島から夕張への玄関口。観光地それぞれへの案内が示されていました。
最後の途中駅となる、鹿ノ谷駅跡を通過。
奥の方には残された駅舎を確認できます。
夕張鉄道が接続した駅で、最終的には1面1線の棒線駅になったものの、非常に長い跨線橋がかつての構内の広さを物語っていました。
ここまで見てきた鉄橋は全て残っていましたが、こちらは途中でプツンと途切れています。
ここで、夕張支線終点の夕張駅跡に到着しました。
その最寄りバス停となる、レースイリゾート前で下車。
廃止から4年経った終着駅の様子を見てみましょう。
1990年に建設されたチャペル風は夕張市が所有の建物。
現役当時から入居している『Cafe&Sweets和』さんが、そのまま営業されていました。
そのほか夕張観光案内所が撤退した代わりに、雑貨屋さんが入っています。
今でも車止めが残されている終着駅。簡単なプラットホームから駅舎までは距離が取られており、屋根付きの通路で繋がっています。
現役時代には小さな黄色い旗が万国旗のように吊られていて、『幸せの黄色いハンカチ』をモチーフにしているようでした。
「夕張の鉄路にありがとう!」の横断幕が残されており、時が止まったような感覚に陥ります。
ホームへ入れなくなって駅名標など取り外された以外、特に変わった様子はありませんでした。
夕張駅跡の目の前には、ホテルマウントレースイが建っています。
新型コロナウイルスの影響を受けて2020年3月に休業、その後も事業継続が困難になって12月に破産申立てを行いました。
マウントレースイにはスキー場が併設されており、こちらだけ2021年12月に再開業しました。ホテルについては再開の見通しが立っていません。
夕張駅は何度か移転を繰り返しており、2019年に廃止された夕張駅は3代目のものです。
夕張市がリゾート開発に力を入れていた頃で、ホテルマウントレースイ前に移転させました。初代、2代目の夕張駅は、さらに奥まで続いていたのです。
線路の延長線上には盛土があって、こちらが線路跡と思われます。
さらに伸ばすと道沿いの空き地に繋がっています。このまま北上してかつての夕張駅跡を見に行ってみましょう。
やってきたのは夕張市役所、道から仮設っぽい金属製の階段が下されていました。
これを降りたところにあったのが、2代目夕張駅跡です。
夕張鉄道の夕張本町駅跡地に作られまして、石炭輸送ではなく旅客輸送に重点が置かれるようになった時代。より便利な市の中心部を終着駅としたようです。
市役所を過ぎて左手に見えてきたのは、夕張図書館跡。
財政破綻後にその役割を終えて図書館を失っていましたが、先程訪れたりすたにて図書館が復活しています。
ゆうばりホテルシューパロさんも、ホテルマウントレースイと同様に夕張リゾートの運営。破産手続きによって休業状態が続いています。
夕張市街地の北端とも言える、石炭博物館へ続く道までやってきました。
一本だけ煙突が残されただだっ広い空き地、こちらが初代夕張駅跡になります。
ちょうど1920年当時の写真がありましたが、列車が停まっている様子が分かります。
ここで採掘された石炭を直接貨車へ載せて、室蘭などへ送っていたのです。
最後に石炭博物館も訪れてきました。
炭鉱の町として大いに栄え、閉山後観光へシフトしようとするも、財政破綻へ。
その歴史を詳らかに紹介されており、かなり分かりやすかったです。
その輸送を担った鉄道も深い関わりがあるもので、三菱大夕張鉄道や夕張鉄道で使われていたものが数多く展示されていました。
夕張支線が廃止されてから4年。廃線や廃駅の現状をお伝えするとともに、夕張市の再生についても触れさせていただきました。
あまり時間がなかったので鉄道に注目したものとなりましたが、今度訪れた時にはその歴史に重点を置いた上で、夕張市のこれからについてもご紹介できたらと思います。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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