JR北海道 北海道 廃線

【なぜかJRで延命】函館本線のおまけで残った上砂川支線 道内一小さな上砂川町[2305タウシュベツ(5)]

2023年5月30日

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多額の赤字に苦しめられていた国鉄。

経営再建のために特定地方交通線が選定され、多くの赤字ローカル線が廃止されました。

廃止対象基準の網の目を掻い潜り、民営化後もJR線として残った路線があります。それが上砂川支線です。

 

上砂川支線は函館本線の支線扱い。

実際の利用者は少なく、貨物輸送密度も基準の4,000tを満たしていなかったのですが、函館本線に組み込まれていたお陰で、1994年にまで残っていました。

1kmほどしか離れていない歌志内線は独立した路線だったため1988年に廃止されており、この2路線を引き合いに、特定地方交通線選定の杓子定規が話に出されたりします。

 

この路線が走るのは、北海道で一番面積の小さい自治体である上砂川町。函館本線にくっついた小さな支線の廃線跡をご覧いただきましょう。



上砂川支線の廃線代替バスは、北海道中央バス歌志内線が担っています。

上砂川支線の起点駅は砂川駅、駅より少し離れた砂川十字街から乗ることができます。

 

今日は札幌から高速バスで来たので、高速砂川吉野入口からの乗車です。

 

砂川駅から分岐している上砂川線、しばらくはバス通りから離れているのですが、このあたりから盛土部分が見えてきました。

 

砂川町から上砂川町へ入りました。上砂川支線の駅は上砂川町内のみです。

 

草が蒸して少々分かりづらいものの、廃線跡は歩道を挟んですぐ向こう側になります。



うずらのバス停を過ぎた先、ここに最初の途中駅である下鶉駅がありました。

駅跡地に駅舎は残っておらず、その基礎部分だけが露呈しています。

 

次の鶉駅跡についてはブルーシートが掛けられているものの、現在でも駅舎が残っていました。

現役時代から使われなくなった事務室がコーヒーハウスになっていましたが、駅廃止後に廃業してスナックに。この時に建物が改装されているそうです。

 

駅構造は1面1線、路線距離も短いため簡素な作りだったとのこと。



この地域は福井市坂井郡鶉村の出身者を中心に、開拓されました。これに因んで『鶉』の地名が付けられています。

上砂川町には2軒コンビニがあって、そのうちの一軒セイコーマート上砂川店は鶉地区に存在しています。

 

そのお隣にあるのが上砂川町立上砂川中学校。

 

さらに先には認定こども園ふたば、上砂川町立中央小学校があります。

これらは上砂川町内唯一の教育機関であり、ここに全てが集まっているのです。



公営住宅の目の前、最後の途中停車駅となる東鶉駅跡です。

上砂川支線の途中駅には全て「鶉」が入っており、路線開業後しばらくして上砂川町と三井鉱山が設置費用の一部を負担し、開業した駅たちです。

 

上砂川町役場を過ぎまして、町の中心部へ入りました。

人口2547人(2023年4月末)の小さな町。空が広いシャッター街でありながら、レトロさを感じるメインストリートになっています。

 

町内のコンビニ、もう一軒はローソンです。飲食スペースも設けられています。

 

建物の向こう側に隠れていた廃線跡が見えてきて、まもなく終点の上砂川駅跡です。



このバスは歌志内市へ向かうため、一度転回場でUターンして戻ってきました。

上砂川駅跡の最寄バス停、「中央一丁目」で下車します。

 

こちらが現在でもそのまま残されている、上砂川駅の駅舎です。

 

この地には三井鉱山があり、砂川炭鉱専用線として開業したのが上砂川支線の始まりです。

終着駅は鶉駅になる予定だったのですが、三井が砂川の名前を入れることを主張し、パンケ歌志内川の上流であることから、上砂川駅に。1949年に現在の砂川市から分かれる時、上砂川町として町名にも採用されました。

 

駅舎の裏側へ来ると、扉や窓の形などからレトロな学校と似た雰囲気を感じます。

プラットホームに似せた盛土がされており、駅名標と名所案内が立っていました。

 

分割民営化後もしばらく維持されたことから、見慣れたJR北海道の駅名標です。

 

ここにはヨ8000形車掌車と、スユニ60形客車が静態保存されていました。

 

客車の中を覗かせてもらうと、テーブルと椅子が並んでいます。

ストーブまであったので、何か使うことがあるのでしょうか。

 

近くには日本通運営業所跡の建物が残っていました。

 

錆びついた看板には「国鉄」の文字が残っており、国有鉄道が来ていたことを伝えます。



駅舎本屋が残っている上砂川駅ですが、現在の場所は線路跡上に移築された結果です。

現役時代はもう少し奥にあって、向きも90°回転されており、右側から入り口に入る形でした。

 

現役時代駅舎があったのは、バスを降りて正面のこちら。今でも基礎部分が残っています。

 

上砂川町の案内看板が立っていますが、この真横に駅入り口があったようです。

信憑性は定かではありませんが、ショッピングセンターを作る用地確保のため駅舎を移築し、向きも変えられました。しかし、実際に建ったのは公衆トイレとバス待合所だけです。



場所は大きく変わったものの、そのままの姿が残っている駅舎。

上砂川駅の他に、「悲別かなしべつ駅」の看板が立てかけられていました。

 

上砂川駅は1984年の日本テレビドラマ『昨日、悲別で』にて、ロケ地として使用されました。

現在でも根強いファンが訪れているため、町は保存する方向で駅舎内も開放しています。

 

かなり広々した空間が広がっていて、廃止後に施されたであろう塗装も綺麗です。

 

作品内でどのように使用されたのか、各場所で案内がされていました。

 

テレビドラマの他、2013年にリリースされた川野夏美の『悲別』も、この駅を舞台とした楽曲です。こちらのポスターもまた同様に展示されていました。

 

駅舎内を反対側より、窓口と荷物の収受場所が並んでいます。国鉄時代には宅配便のような業務を鉄道が担っており、低めの台で荷物の受け取りを行っていたのです。

 

窓口上には運賃表が貼られており、駅スタンプまで置いてありました。

 

かつてここで売っていた硬券入場券ですが、現在でもレプリカを上砂川岳温泉パンケの湯にて販売しているそうです。

 

現在こちらからは出入りできませんが、この扉の先に改札のラッチがありました。

 

黒板に白文字の時刻表が掲げられており、砂川駅からの接続まで記載されています。

1日6往復と本数はかなり少なく、10往復ある現在のバスの方が便利です。

 

上砂川駅だけでなく、鶉駅の時刻表まで残されていました。

 

先ほど映した名所案内の看板裏は、『悲別駅』の駅名標です。



空知地域はかつて炭田で栄えた町であり、ここ上砂川町も例に漏れません。

上砂川支線は上砂川炭田に向けて敷設され、道内外へ輸送を担っていました。

かつての駅構内はだだっ広い広場となっており、ここには沢山の線路が並んでいたのです。

 

奥の方には、明らかに炭鉱採掘時のものらしき構造物が見えています。ちょっと近づいてみましょう。

 

こちらは三井砂川炭鉱中央立坑櫓です。1987年に閉山しており、現在でもそのまま残されています。

 

これからのまちづくりを考えた結果、立坑と立坑櫓を利用した地下無重力実験施設を誘致。

1991年に開設され、700m以上の落差でカプセルを櫓から落下させる方式でした。地上で10秒以上無重力時間を保持するのは世界一だったとのことです。

 

しかし、1回あたりの経費が200万円以上とされ、利用率が低迷し2003年に閉鎖。20年経った今でもそのままです。

 

上砂川町の宇宙開発への貢献から、はやぶさが探査した小惑星イトカワのクレーターには、「上砂川」と名付けられたものがあります。

実際にサンプルを採取した場所の、「ミューゼスの海」にあったクレーターのため、かなり重要なポジションです。

 

向かいには1994年完成の無重力科学館、しかし残念ながらこれも閉館してしまったみたい。

 

昔上砂川にお住まいだったという方にお会いでき、炭鉱で栄えていた時には、一帯住宅が立ち並んでいたとのこと。

更に奥に行けばもっと団地がひしめいていたそうで…。



上砂川駅よりバス通りを戻るようにして歩きます。

駅前広場周辺の商店街も、もっと沢山のお店がずっと続いていたそうです。今ではその数も減らし、シャッターが降りたり普通の家になったりと、様子が変わっています。

 

小さな町にしてはかなり立派な町役場。銀行も入居しており街の中心部です。

 

線路跡を渡りまして、歌志内市との境界である文珠峠へ。

 

今度は日本一人口の少ない市、歌志内市をご紹介します。

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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