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【なぜかJRで延命】函館本線のおまけで残った上砂川支線 道内一小さな上砂川町[2305タウシュベツ(5)]
多額の赤字に苦しめられていた国鉄。 経営再建のために特定地方交通線が選定され、多くの赤字ローカル線が廃止されました。 廃止対象基準の網の目を掻い潜り、民営化後もJR線として残った路線があります。それが ...
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今回ご紹介するのは日本一人口が少ない市、北海道は歌志内市です。
かつて炭鉱都市として栄えたのですが、エネルギー革命による石炭の需要減少により産業が衰退。
最盛期の1959年には42,532人だった人口は、現在2,735人(2023年4月末)まで、崩れ落ちるように減少しています。
もはや町どころか村レベルの人口ですが、「市」から「町村」へ変えるのにもお金がかかるため、規模の小さな自治体ではそれもできないというのが現状です。
この地域には函館本線の砂川駅より、歌志内線と上砂川支線という鉄道路線が伸びていました。
これらも廃止されており、両路線を代替する北海道中央バス歌志内線が走っています。
これに沿う形で前回は上砂川町を訪問。その続きということで併せてご覧いただけたらと思います。
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【なぜかJRで延命】函館本線のおまけで残った上砂川支線 道内一小さな上砂川町[2305タウシュベツ(5)]
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上砂川町より文珠峠を越えてきました、歌志内市です。
北海道の市町村にはカントリーサインという看板が建てられており、これをカードにして引き当てたところに飛ばされるのが、正しい旅のしかたです。
こちらには市内観光地のひとつである、かもい岳国際スキー場が描かれています。
山を降りてきまして、歌志内市の町が見えてきました。
歌志内市は非常に山が多く、面積も道内最小の市。ほとんど道道114号沿いに建物が集中しています。
こちら文珠地区には三井文珠坑があり、炭鉱で働く人々が集まっていました。
市の西端に位置するのですが、かつて炭鉱住宅だった市営団地が数多いです。
突き当たり交差点にあったのが、文珠小学校跡地の石碑です。
1979年に統廃合された小学校、二階建てコンクリート造りのノスタルジックな校舎は、2008年に解体されました。
現在その場所にあるのが、市立歌志内認定子ども園あおぞらと、市立歌志内学園です。
かつては多くの小中学校があった歌志内市、2010年に西小学校が歌志内小学校へ統合してから、歌志内小学校と歌志内中学校の各1校でした。
これら計2校も統合されることになり、こちら義務教育学校歌志内学園は2021年4月に開校したばかり。生徒数は計70人です。
小中学校1校ずつの維持も難しい市とは、中々の深刻さを物語っています。
大通りには店舗も何軒か見られますが、やはり閉まっているところが多い印象。
一方で、昭和末期ごろに建てられていそうな建物が多く、崩れ落ちそうな光景は見受けませんでした。
何やら花壇っぽいものが残っている、こちらの空き地が歌志内線の途中駅、文珠駅跡です。
三井文珠炭鉱や住友歌志内炭鉱の炭鉱住宅地があり、戦前から村長が駅設置を要望し、1947年に開業しました。
市内の字別人口を調べてみると、文珠は本町とほぼ同じ人口を有しています。
歌志内市にあるコンビニ2軒のうち、1軒が文珠地区にあります。
色々写真を撮っている様子を店員さんに見られ、「こんなとこ来ても何もないでしょ」と言われちゃいました(笑)
こちら文珠高台団地公営住宅は1977〜2000年度に建てられたとのことで、割と新そうに見えます。塗装も最近塗り直された様子で、緑の山々に馴染んでいました。
その向かい側にあるのが、スーパーマーケットDa・マルシェ歌志内店。実は2023年4月15日にオープンしたばかりなのです。
市内最後のスーパーマーケットが閉店してから、14年ぶりの開店。人口が少ないため売り上げ金額も小さくなりますが、文珠会館跡地に市が4億円で建物を建設、道北アークスが賃料を支払う形で出店が決まりました。
100円ショップWattsも入居しており、地域交流施設も併設。
これまで買い物の不便さが市外転出の大きな理由になっていたため、この出店は非常に大きな意味を持ちます。
日本一人口の少ない市ということで、一体どんな惨状なのかと思っていましたが、失礼しました。
確かに空き家が目立ったりしますが、実際歩いてみると今のところ、道道沿いは綺麗な町という印象です。
歌志内市にいると「チロル」という文字を随所で見かけます。こちらの高齢者住宅にも付けられていました。
この「チロル」とはスイス・オーストリアのチロル地方のこと。
歌志内市は、かもい岳山麓を中心に山間に延びる街並みが、アルプスの景観や情景と似ていることから、歌志内スイスランド構想を進めています。
そのデザインは公共施設や公営団地にも取り入れられ、今では歌志内市全体の景観が「チロル」の町と言える美しい街並みです。
公営住宅や団地は元々炭鉱住宅だった建物、人が住まなくなってもあまり廃墟感を感じさせず、明るい雰囲気を保っています。
パッと思いつくチロルチョコの「チロル」も、「チロル地方のように爽やかなイメージを持ったお菓子にしたい」という思いを込めているそうで、実は繋がりがありました。あんまり爽やかってイメージないですけどね。
歌志内線の廃線跡も分かるようになってきました。
おそらく鉄道橋台を転用した遊歩道の橋、こちらも欧米庭園風のデザインに揃えられた印象があります。
その近くにあるのが、西歌駅跡です。背の高い草に包まれていますが、整備された広場の一角になっています。
2021年から22年にかけて、歌志内市地域おこし協力隊員の提案により、旧歌志内線の駅跡5駅に駅名標レプリカが設置されました。
こちらもその一つで、裏側にはその歴史が解説されています。
遊歩道は陸上競技場のように整備されており、かなり歩きやすいです。
交差点の向こう側に見えるのは、養護老人ホーム楽生園です。
こちらもまたチロル地方をイメージしたデザインになっています。
この老人ホーム奥の山に注目してみると、何やらトンネルらしき遺構が見られました。
詳しくは分かりませんでしたが、石炭採掘時への立坑を連想させます。
廃線跡は道路を渡っていまして、木々に囲まれた遊歩道となっています。
「ニトリ応援基金」という石碑があって、どうやらニトリが植樹を行ったようです。
遊歩道を歩き続けまして、大きな建物が見えてきました。
こちらは道の駅うたしないチロルの湯。1998にオープンしています。
残念ながら月曜休みということで、中には入れず。売店、レストラン、軽食コーナーは2019年に閉店してしまいました。
砂川方面から赤平へ抜ける道道沿いということで、それなりに訪れる方はいらっしゃるみたいです。
道の駅の上にあるのが、うたしないチロルの湯です。
旧炭鉱から湧出している天然温泉で、1992年に開湯。建物も山小屋風になっています。
今回は時間的にゆっくり温泉に浸かるのが難しそうだったので、隣接するレストランでお昼ご飯をいただきました。
歌志内の郷土料理なんこ(馬の腸)の小鉢と、歌志内産の野菜を使ったサラダです。
歌志内含む北海道の炭鉱には東北・北陸から多くの移民が入植しました。なんこ料理は秋田県から伝わったと考えられており、馬肉料理から馬腸料理へ姿を変えています。
しっかり煮込まれており、非常に柔らかく独特な風味。一方で親しみやすい味噌の味付けには安心感も感じます。
歌志内では農業も行われ、チロルレタスもブランドの一つになりました。
道の駅近くのバス停、中央団地入口から乗車します。
日中のバス本数は1,2時間に1本程度、年配の方が5人ほど乗っていらっしゃって、それなりの利用者がいる印象でした。
引き続き車窓からは、見た目には新しそうな団地を多く見受けられました。
神威駅跡の向こう側に見える白い建物が、歌志内市立病院。
ベッド数20以上のため病院となっており、この点は夕張の市立診療所と異なる点です。
歌神駅跡の近くでも、炭鉱住宅由来の建物が見えています。
ここより山を登ると、かもい岳国際スキー場があります。歌志内市がスイスのデザインを建物に取り入れたのは、かもい岳センターハウスが最初。この周辺から町へと広がっていきました。
歌志内市では短期移住生活体験も行っており、2泊3日滞在して歌志内での生活を味わうことができます。
小さな市ですが歴史や観光地も濃く、かなり興味が湧くところです。
歌志内市で一番人口の多い、本町へ向かいます。
夕張でも見覚えのある青屋根の建物。炭鉱住宅由来の公営住宅と言ったら、このイメージが刷り込まれています。
道道の南側に位置している歌志内市役所、かなりコンパクトで無機質さが現れた建物です。
歌志内市街で下車しました。
こちらのバスは赤平中央行きとなっており、根室本線の赤平駅まで行くことができます。
そして目の前に建っているのが、郷土館ゆめつむぎ。歌志内線の終着駅である歌志内跡に作られました。
歌志内市の歴史を知れる博物館でぜひ見てみたかったのですが、今日は月曜日のためお休み。非常に残念ですが、また訪れる理由ができました。
その横には消防本部があるのですが、かつて歌志内ショッピングセンターでした。
14年前に閉店するまで市内唯一のスーパー、先程のDa・マルシェがオープンするまで、スーパーが市内から無くなってしまったのです。
駅跡地周辺には、かつて商店街が広がっていたであろう、レトロな雰囲気を感じられました。これこそ個人的に歌志内へ求めていた景色かもしれません。
その中に溶け込みつつも、目を引く建物が大正館。
1920年に建てられており、生活用品などがアンティークコレクションとして展示されているそうです。
郷土館ゆめつむぎから階段を降りまして、こちらが廃線跡になっているようです。
歌志内駅跡にも駅名標が立っていました。
ぷっくりとした字体で「うたしない」と書かれているのは、モノクロ写真時代の国鉄感があります。
ちょっとミスプリですが、明治24年の開業。岩見沢〜歌志内の空知線は北海道で2番目の鉄道です。
石炭輸送を担っていた頃の1962年には、国鉄4番目の黒字路線だったという記録が残されています。
貨物輸送がメインの終着駅ということで、構内はかなり広かったはず。
旅客列車は歌志内駅まででしたが、さらに空知炭田に向けて線路が伸びていました。
こちらにはメモリアルパークが整備されており、2000年に歌志内開基100年を記念して作られました。中央のブロンズ像はシンボルキャラクター「ホルン」くんです。
公園の遊具も塗装されたばかり、65歳以上が半分を占める超少子高齢化が進む歌志内市ですが、こちらにも手をかけてくれています。
駅跡地から少し離れ、東光地区の入り口へ。
レンガ調のデザインがこちらにも取り入れられています、歌志内交番です。
「赤歌」警察署には「赤平」と「歌志内」の合成地名が取り入れられています。
少し進んだところにあるのが、最後の小学校だった歌志内小学校跡地です。
小中一貫の歌志内学園になったことで閉校。このあたりの子供たちは、スクールバスで通っているみたいです。
先程バスからもご覧に入れました、昔ながらの2階建て公営団地です。
その横には比較的新そうな公営団地。
人口減少のため平屋でも問題なく、むしろ階段の上り下りが無くなって高齢者でも住みやすくなりました。
ここにあるのが市内2軒目のコンビニ、セイコーマート歌志内東光店です。
北海道おなじみのコンビニたちは、歌志内市でも重要なライフラインになります。
今度は駅跡周辺の市街地へ。
その一角にはサツキとメイの家みたいな、洋風の木造建物がありました。
こちらは北海道炭礦鉄道が明治30年に建設した、社員合宿寮です。1954年からは接待専用の倶楽部となり、空知炭礦へ引き継がれました。現在では「こもれびの杜記念館」として保存されています。
近くには歌志内市コミュニティセンター「うたみん」があります。
市立図書館やホールが入居しており、2月には歌志内なまはげ祭りが行われるとのことです。
その前には廃墟や崩れた建物も見受けられ、道道沿いは新しかった町並みも、一歩足を踏み入れると実情を目の当たりにしました。
滝川行きのバスに乗り込みまして、歌志内をあとにします。
札幌から特急が停車する函館本線の砂川駅、滝川駅よりバスで一本。そんなに訪れるのが難しい町ではないかと思います。
人口最少の市という地理オタ受けに限らず、石炭産業で栄えた遺構や、チロル地方をイメージした明るい街並みなど、かなり面白い場所でした。
マイナーイメージの看板を背負う歌志内ですが、それも一つのきっかけとしてぜひ一度訪れていただけたらと思います。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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