北海道 廃線

【-28℃りくべつ鉄道】ふるさと銀河線廃線跡を観察 北見バス利用状況は?[史上最長片道切符の旅(96)]

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【三セクで残った池北線】ふるさと銀河線途中下車の旅 廃止後の現状とは[史上最長片道切符の旅(95)]

国鉄分割民営化を機に、多くの赤字ローカル線が廃止された北海道。 その中で唯一第三セクター鉄道として、存続を決めた路線がありました。それが国鉄池北線です。   根室本線池田駅から石北本線まで、 ...

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おはようございます。朝6時、旧陸別駅の2階で目を覚ましました。

日本一寒い町の気温はいかほどか、胸を躍らせつつ下へ降りると…

気温は氷点下28℃、経験したことのない寒さです。

普段感じるのとは違う、肌の細胞ひとつひとつが固まるような感覚。北海道の方が「しばれる」と表現される、痛いと感じる寒さになります。

 

ホテル室内へ避難すれば超快適、北海道の冬は室内なら全く寒くありません。足寄方面へ行く6:45発のバスがやってきまして、通学の生徒さんが乗っていかれました。

 

暖房で温もりをチャージしつつ、気温が低くならないか確認しに行くのを繰り返します。



車で気温計を撮影しに来る方も、頻繁にいらっしゃいました。

駅前のポケふたにはオーロラが描かれており、この建物も「オーロラタウン93りくべつ」という名前です。

そういうイメージかと思ったら、本当に陸別でオーロラを観測しているというから驚き。

オーロラは太陽表面の爆発「フレア」で吹き出した電子が、地球上空の空気の分子にぶつかり光る現象です。フレアの規模が大きいと、低緯度の北海道でもオーロラが観測されることがあります。

2023年2月末には、陸別で8年ぶりに低緯度オーロラが観測されました。



だいぶ日が昇ってきまして、-19℃とかなり暖かくなりました。

昨日お世話になった十勝バスが停車中、帯広・池田〜陸別の運行を担っています。

 

陸別駅を境に運行バス会社が異なっており、これより北側は北見バスによる運行です。

鉄道時代は池田〜北見の直通列車が1日5往復走っていましたが、配線代替バスは陸別駅の乗り換えが必須になっています。

 

陸別町には高校が無く、足寄高校へ通学する生徒さんが多いです。



現在でも残っています、道の駅から入れる陸別駅構内へ。

CR-75形気動車2両が停車中、ラッピング列車銀河鉄道999号として走っています。

ちょうどここを訪れた直後の2023年2月13日、『銀河鉄道999』の作者である松本零士先生が永眠されました。車内にメッセージを残された他、運転もされたとのことです。

 

廃線跡を活用して運転体験ができる、ふるさと銀河線りくべつ鉄道として引き継がれました。

陸別駅〜分線駅のコース5.7kmは国内最長です。

 

修復工事が行われた跨線橋の先には、反対方面のホームが残されています。

 

道の駅のカウンター席で作業していたら、団体旅行のお客さんが大勢やってきました。

止まっていたのは、昨日足寄でも立ち寄っていた宗谷バス。日本最北のバスが日本一寒い町にやってきました。

 

朝の通学時間帯を過ぎると、次のバスは11時前。北見行きのバスがやってきました。



10:54 陸別 発

ここから乗車されたのは他に1人だけ。陸別から北側には峠があるため、南側との結びつきの方が強いです。

 

陸別町はキャラの強さから認知度が高いですが、人口2265人(2022年度)の小さなまちになります。鉄道廃止時期の2006年度は2961人で、減少率は落ち着きつつあります。

 

車両が置かれていたり、ポイントがあったりするのか、シェードが掛けられていました。



右手には百恋駅の駅舎、この駅は現役当時設置されていなかった施設です。

りくべつ鉄道の運転体験「銀河コース」の新設に併せて、2013年に作られました。仮設の乗降設備があって、踏切保安要因の乗降に使われているとのこと。

駅舎は町内にあった川上駅の駅舎を模しています。「百恋」は地名でなく、陸別町のミネラルウォーター「百恋銘水」にちなんでおり、「冷やっこい」が語源です。

 

まだ運転体験の区間であり、冬が明ければ列車が走ります。雪の間からは鉄橋が姿を見せていました。

 

鉄道保存展示施設のため遊具扱いのはずですが、第4種踏切も残っています。

 

分線駅跡を通過、運転体験ができるのはここまでです。

現役当時はここが陸別駅の隣駅であり、プラットホームや駅名標が残っています。

 

ちょうどここで線路の上を交差するため、上から見ることもできました。



線路跡が左手へ移ってきます。

川上駅跡には携帯電話の中継所があって、周辺には民家が見られない状況です。

1920年開業当時からの木造駅舎が廃止後に撤去され、先ほどの百恋駅がそれをモデルにしました。

 

少し離れたところの集落近くにバス停が設置され、転回場も備えられていました。

 

利別川を渡りまして、再び廃線跡を越えます。



右手には小利別しょうとしべつ駅の駅舎が見られました。

ふるさと創生事業の一環で改築した、コミュニティセンターとの合築駅舎です。

ホームなどは撤去されており、廃線跡にはソーラーパネルを敷設してあります。

 

左手には陸別小利別ICの入り口が分岐していきました。

 

ここは十勝オホーツク自動車道の始まりになっており、北見までを結びます。

 

現在自動車専用道で繋がっていない足寄IC〜陸別小利別ICが開通すれば、北見へのルートがより充実することになります。

 

池北峠を越えまして、陸別町から置戸町に入りました。

ここには釧北仮乗降場が設置されていましたが、1957年に廃止。小利別駅〜置戸駅の駅間距離は15.9kmに及びます。



久しぶりに街が広がりました、置戸の中心部です。

ここまでお客さんは他に1人だったのですが、公進橋バス停から1人乗車されました。

 

常呂川を渡りまして、ふるさと銀河線もここで渡っていたはずです。

 

置戸駅周辺の街並み整備事業は、2002年に手作り郷土賞を受賞しています。林業で発展してきた置戸町、照明やベンチなどに木材を使用し、メインストリートにおける無電柱化が行われました。

置戸町は道内有数の木材資源が豊富な町。地域クラフトブランド「オケクラフト」が設立されており、エゾマツやトドマツのアテ材に特殊な加工を施して、緻密な木目の美しい器などが人気です。



置戸では1人の下車、高校生の生徒さん6人が乗車されます。

置戸駅は2階建ての駅舎で、1996年に改築しました。

ホームは撤去されましたが、線路が残っているとのこと。駅事務室は歯科診療所になり、コミュニティセンターやカフェなどが入居した今でも町の中心です。

 

置戸卸売市場と学友橋でも1人ずつの乗車。町内各バス停から北見への流動が見られます。

 

石北本線の駅もある留辺蘂へ北上する国道242号から離れ、道道50号で北見へ向かいます。

 

太陽光パネルが並ぶあたりに豊住駅跡が位置しており、板張りホームの簡単な駅でした。

 

境野駅跡には人型のモニュメントが残っており、鉄輪が保存されています。駅跡を示す石碑も設置されていました。



置戸町から訓子府くんねっぷ町に入りました。

境野の地名はオケト原野とクンネップ原野の境をなす境川があり、原野の境という意味から付けたとされています。

 

西訓子府駅跡に敷設された太陽光パネルのこちら側に、バス待合室が設置されています。

 

訓子府町の中心部へ入りました。正直沿線の中ではあまり知らなかったのですが、農業や酪農が盛んな人口4500人ほどの町です。

味の素食品北海道本社があったり、十勝オホーツク自動車道が通ったりと勢いがあるように感じます。



訓子府駅は2000年に改築した駅舎です。

農業交流センター「くる・ネップ」が入居しており、名物の訓子府カツ丼などを食べられるみたい。

 

1番線ホームだけが残されており、2番線ホームはバスの転回場に。1人降りられまして、2人乗車されます。

 

この先も訓子府で1人、訓子府東町で2人の乗車。訓子府温泉入口で1人下車されました。駅跡も中心部としての機能を持ち合わせていますが、やはり各バス停から乗車される方が多い印象です。

 

穂波21号線で1人下車。こちらは穂波駅跡になります。

 

訓子府石灰工業日の出工場が見えました。

その手前にあったのが日ノ出駅、駅跡地は日ノ出公園になっており、1998年に建て替えられた駅舎が残っています。



訓子府町から北見市に入りました。

道内最大の面積を占める北見市、訓子府町と置戸町も含めた合併協議が行われていました。その後離脱した訓子府町、置戸町での合併協議も行われましたが、訓子府町での住民アンケートで反対が半数を占めたため、現在まで残っています。

 

上常呂では2人の乗車、北見市における主要集落のひとつです。

 

上常呂駅は2面2線の交換可能駅、1994年に「上ところコミュニティセンター」併設の駅舎へ改築されて、現在でも残っています。

バスについてはそこまで乗り入れることはしません。

 

上常呂小学校で1人の乗車。

陸別からの利用者は少なかったですが、峠を越えた先から北見市街地へ向かう乗客が多いことがよく分かります。

 

置戸町を通らなかった十勝オホーツク自動車道は、訓子府から北見へ。

 

右手には北海商科大学北見キャンパスが見えており、最寄りバス停の北光社で1人下車されます。

ここに北光社駅が設置されており、次は北見駅でした。



訓子府川を渡った先の北光4号線では、3人ずつの乗降が見られました。

ここで大通りから住宅街の中へ入りまして、常盤通を走行。

北光小学校で1人の下車、北光2号線で1人乗車されます。

 

バスが北へ曲がる十字路で廃線跡のカーブと接しており、廃線跡と共に北見駅へ北上します。

 

無加川を渡っているところ、ふるさと銀河線の橋台らしき構造物も見つけられました。

中の島公園入口で1人乗車されます。

 

南大通りの交差点より右手側、2018年に撤去されましたが、ふるさと銀河線この道路を高架線で交差しており、道路はアンダーパスになっていました。

常盤町バス停では1人ずつの乗降です。

 

戦前ハッカ生産で栄えた北見市、世界の市場のうち70%も占めていました。

廃線跡向こう側の工場跡地には、ハッカ記念館が開館しています。

 

そして石北本線も地下から合流してきています。北見市街地の中を都市トンネルで貫いており、道路交通を阻害せず線路の除雪作業を行う必要もありません。

 

北見駅を手前にして、本町1丁目で4人の降車。

 

そして終点の北見駅に到着です。

北海道ちほく高原鉄道の本社は、駅に隣接したアサヒビール園北見店の跡地に入居していました。この建物も取り壊され、新しいバスターミナルが作られています。



12:34 北見駅 着

ふるさと銀河線の北半分、1時間半かけて陸別から北見まで到達しました。

 

JR北見駅の駅舎は、1983年に改築された鉄筋コンクリート造りです。

 

石北本線は1977年、日本初の地下化による連続立体交差事業が行われ、北見トンネルへ潜っていきます。

引き続き左側で地上を走っていたのが、ふるさと銀河線です。

 

現在はここで行き止まりになっており、使われていない線路となっています。



北見駅の改札を抜けまして、最後に駅構内も見てみましょう。

2面3線構造の駅となっており、向こうの島式ホームには石北本線の普通列車が停車中です。

 

島式ホームへ来まして、西側の先端に注目。

3番線ホームを切り欠いたところに旧3番線ホー厶があって、これが池北線発着ホームだったのです。現在の3番線ホームは、旧4番線ホームでした。

 

国鉄分割民営化後も第三セクターで維持されてきた、ふるさと銀河線。現在でも主要駅跡には中心的機能を託されており、賑やかな印象を持ちました。

運転体験ができたり、道の駅への活用がなされていたりと、楽しむことができる廃線跡です。ぜひローカル路線バスで巡っていただけたらと思います。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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