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【バスすら廃止】廃線代替バス10時間後!? 標津線で空港のまち中標津へ[史上最長片道切符の旅(92)]

2023年4月28日

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国内屈指の観光路線として人気を誇る釧網本線。標茶しべちゃ駅まではSL冬の湿原号がやってきて、釧路湿原の自然と蒸気機関車ならではのレトロな鉄道旅を楽しめます。

 

 

ここ標茶駅からはかつて国鉄標津線が伸びていました。

2路線から構成されており、標茶駅から根室標津駅の本線と、中標津駅から厚床駅の厚床支線です。国内屈指の酪農地である自然豊かな根釧台地を走っていましたが、1989年に廃止されました。

現在は廃線代替バスとして、阿寒バスが標茶〜標津、根室交通が中標津〜厚床を結んでいます。

このうち阿寒バス標津標茶線、標茶〜西春別の運行について、2025年3月に廃止する方向と報道がありました。

 

遂にバスでも走破できなくなってしまう国鉄標津線、今日は標茶駅から中標津までの本線部分をバスでたどります。



標茶駅の島式ホームには、現在でも標津線起点の柱が立っています。

元々電柱だったのを再利用しており、標茶町の木であるナラを使っているそうです。

 

標津線が出ていたのは一番端っこの3番線ホーム。現在では使用を停止しています。

 

1989年に廃止された標津線、代替バスを運行するのは阿寒バスです。

 

運行本数は平日3本、土祝日2本のみ。

非常に本数が少なく完全に高校生の通学需要に特化した運行を行っていますが、これでも維持ができないというのが現実。

 

SL冬の湿原号を観察しまして、バスの時間までかなり待つことになりました。

 

今回は駅近くの喫茶店「たいむ」さんで過ごさせていただくことに。

とても滑らかなチーズケーキとコーヒーは非常に美味しかったです。

 

SL撮影を目的にした鉄道ファンの方も多く来られるというお話もされており、観光客にも人気のお店のようです。



標茶駅に戻ってきまして、こちらはバスターミナルを兼ねた建物内。

SLが停まっていた時間帯は観光客でごった返していたのに、待合室には誰もいません。

外国人観光客に向けた貼り紙も数多い中、かなり寂しいですね。



さて、ロータリーには乗車する阿寒バスが到着しました。

写真を撮影していたら運転士さんが話しかけてくださり、どこから来たのと聞かれました。

バス廃止についてお話しまして、ニュースが出てから遠方より来られる方も、時々いらっしゃるようです。

 

標津行きの表示がされており、実際にこの車両が標津まで走ります。

しかし時刻表上は西春別行きで、標津行きのバスに接続する形をとっているようです。

 

標茶駅から乗車される方はいらっしゃらず、旅行者がこのバスを利用することはほどんどなさそうです。



16:00 標茶駅 発

早朝6:15から10時間ぶりに標茶駅を出る、西春別行きのバスが出発しました。

 

駅前大通をまっすぐ進んで釧路川を渡り、標茶町の中心部に入ります。

 

町役場などの横を素通りしたのち、標茶高校前に到着。5人ほど生徒さんが乗車されました。

 

日本一広い高校とされており、敷地面積はなんと255万k㎡

大学を含めても北海道大学の660万k㎡、東京大学の326万k㎡に次いで広い、国内3番目の敷地面積を有する学校です。

 

再び釧路川を渡りまして、標津線代替バスとしての運行を続けます。

 

少しの間、釧網本線沿いを走っており現役の踏切も見られました。

 

この辺りで釧網本線から標津線へ線路が分かれ、ここには多和駅が設置されていました。

元々仮乗降場だった駅で板張りホームの小さな駅。2年間だけJR北海道の路線であり、その期間は仮乗降場から駅に格上げされています。

 

釧網本線の上を立体交差し、ここから標津線が向う東へ走り出します。

 

ただし、暫くは標津線跡と離れたところを走行するため、廃線跡を見ることはできません。

 

途中現れた弥栄地区には、弥栄国際交流館が現れます。

満州国にあった彌栄村の人々が戦後引き揚げ、ここに入植したことから弥栄いやさかと名付けられました。



そして、この丘からはとんでも無く綺麗な夕焼けが広がっていました。

でこぼこした雪原と不規則に木々が集まる森がどこまでも続いており、夕日にグラデーション掛けられた空色にも感動しました。

 

道道13号から951号へ右折するところで、別海町へ入ります。

公的な読み方は「べかい」ですが、町は「べかい」でも認めると宣言しました。「にほん」と「にっぽん」に似たところを感じます。

 

2008年に閉校した光進小学校周辺を走行。子供が遊ぶ声の枕詞とも言える夕陽ですが、その対象が無くなっていることは寂しいばかり。

 

見た目にはあまり分かりませんが、丘が連続しているため上下走行が続きます。



ここで、左手には標津線が現れました。

赤い橋梁とそれを支える橋台が残っており、見つけた時の高揚感がたまりません。

 

標津線と交差しており、泉川駅の方向を見ています。

2面2線の行き違い可能な駅で、戦時中木材輸送のために信号場として開設されたのが始まりです。

 

近くのバス停には待合室が設置されていますが、周辺には住宅が見られません。

除雪もされておらず、利用者さんはあまりいらっしゃらない様子。

 

本当に並行して鉄道が走っていたのが不思議なくらい、ジェットコースターの道路でグッと上がります。

標津線最急勾配は25‰に及びます。上り坂で所要時間が掛かることも理由の一つとして、当時の泉川信号場が設置されたのです。

 

光進駅跡へ続く道が続いており、現在でも鉄骨製でコンクリートの板が載せられた、簡単なプラットホームが残されているそうです。

 

左手には防雪林に守られた標津線が、少し離れたところをずっと走り続けています。

もう少し近くへ来てくれないものかと、無茶なお願いをしたくなる微妙な距離感。

 

西春別の街へ入ったところで、国道243号を走り始めます。網走近くの美幌町から根室まで屈斜路湖近くを経由して結ぶ国道で、パイロット国道の愛称が付けられました。

これは近代的で大規模な酪農先進地帯を意味する、パイロットファームに因んだものです。



1643 西春別駅 着

そのまま標津行きになるので同じ車両なのですが、ここで系統が分離されるため一旦運賃を支払います。

今回のように中標津へ行くとしても、標茶〜西春別1000円と、西春別〜中標津950円を別で徴収されるため、時刻表上でも標津行きに乗車した場合の標茶〜中標津1730円よりも少し高くなります。

 

西春別駅は別海町鉄道記念公園として整備されており、こちらの建物は資料館です。

 

サハリン向けのD51形蒸気機関車が保存されており、前照灯が大きく、極寒地向けに機関室の背面を密閉したなど、異なる点を見られるそうです。

 

駅構内跡はアイススケートリンクになっており、親子?1組が滑っていらっしゃいます。

西春別駅はバスの終点になる程重要な駅で、貨物の取り扱いもできる広い構内を有していました。

一方で標津線のルート選定時にはここを通らない可能性もあり、1000人の住民署名と農業生産物の生産状況資料と共に、鉄道大臣・道知事へ駅設置を請願したそうです。

 

西春別駅からは国鉄バス釧根線も走っており、別海駅までを結んでいました。

標津線だと中標津を経由する一方で、こちらは直線的。現在は別海町生活バス西春別線として維持されています。

 

表記されていませんが、この標津行きのバスは中標津を経由します。

標津線の本線は標茶〜標津、せっかくなら終点まで行ってもよかったですが、どうせ真っ暗なので中標津から先はまたの機会に。



1655 西春別 発

ここから先はこれからも存続される区間、特にバスの廃止は言及されていません。

一方で、2023年10月から減便運行するという話も。

 

 

今走っている根釧台地の航空写真を見て見ると気になるのが、大きい格子状の模様です。

 

その正体は格子状防風林

バスに乗っていると、この模様と交差する体験ができます。実際に来ると等間隔で森に迷い込んだみたいです。

 

その格子の中、一本分断する線があります。これが同じ太さで鉄道防雪林に囲まれた、標津線跡です。写真は上春別駅跡の方向を向いています。

2020年に別海町地域おこし協力隊がホーム周辺を整備し、現在でも小さなホームが大事に残されているそうです。

 

暗くて反射してしまうので撮影していませんが、左手にはコンクリート製で割れたティーカップの欠片を伏せたような、掩体壕えんたいごうが見られます。

近くに旧陸軍計根別第一飛行場が近くにあり、戦闘機を空襲から守るためのものです。



別海町から中標津町に入りまして、計根別へ。

計根別地域のバスターミナルともなっている、農高前に到着。

道立中標津農業高等学校があって、15人以上生徒さんが乗ってこられました。

 

計根別駅は貨物取扱も行っていた比較的大きい駅、ちょっとした公園として整備されて、当時の様子はあまり分からないようです。



当時の姿はほとんど分かりませんが、開栄駅、当幌駅を過ぎて中標津町の中心部へ。

そこには鉄道がいなくなった街とは思えない、発展した中心街が広がっていました。

中標津町は人口22,402人(2023年3月)、2010年まで人口増加すら続いていた町です。ここまでご覧いただいた根釧台地での酪農業が盛んで、多くの人口を有することで町の機能も充実しており、発展を維持していると考えられます。

 

かつての駅前大通を走りまして、奥のイルミネーションされたツリーを目指します。



1740 中標津BT 着

中標津バスターミナルで下車しました。頭を突っ込む形の停留所となっています。

農高前から乗られた生徒さんも途中でちらほら降りていらっしゃいましたが、ここから親御さんの車で帰宅する方が多いようです。

標茶駅からお世話になった運転士さんも、ここで業務を終えられます。最後に挨拶しまして、お疲れ様です。

 

中標津町といえば、市街地から車で5分ほどのところに根室中標津空港があります。

 

根室交通ターミナルには全日空の営業所が入居していまして、まさに空港がある町とインプットされます。やっぱり第一印象が肝心です。

 

今日宿泊するのはゲストハウスusiyadoさんです。

町内には割とビジネスホテルが充実していますが、ゲストハウスまである町とはかなり嬉しいですね。

 

立地も交通ターミナルのすぐ近くで非常に良く、モッツァレラチーズや牛乳をいただけてサービスの充実度も高かったです。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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