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青春18きっぷを〇〇空港駅だけに!九州→北海道1500km日本縦断[18きっぷ空港駅(1)]
鉄道と航空機は長距離輸送においてライバル同士の関係です。特に新幹線と速達性・輸送力で競い合っており、交わらない存在にも思います。 しかし、空港は大都市から離れたところに作られるため、中心部〜空港の輸送 ...
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ここ旭川駅に止まっている普通列車は、稚内駅まで宗谷本線を走破します。
(地理院地図を改変)
宗谷本線といえば日本最北の鉄道路線。しかし、もともと宗谷本線は音威子府からオホーツク海側を迂回するルートを取っていました。
現在の宗谷本線が開通すると、オホーツク海を経由する路線は天北線に。国鉄分割民営化に合わせて1989年に廃止されています。
現在、音威子府〜稚内駅を天北線沿いに結ぶ路線バス天北宗谷岬線が運行されています。しかし、音威子府〜浜頓別に関しては2023年10月にデマンド交通へ転換予定です。
今回は途中下車しながら、天北線の廃線跡など見ていきたいと思います。
【天北線の分岐】音威子府駅
宗谷本線と天北線の分岐駅、音威子府駅で下車しました。
稚内行きの普通列車はそのまま北へ、降りたのは僕一人だけです。
2面3線の大きな駅、かつては3番線より向こう側にも倍近くの線路が敷かれていました。
現在の音威子府駅は天北線廃止に合わせ、交通ターミナルとして新しく生まれ変わった駅舎です。
駅舎内のキヨスク跡には充電スペースができて、かなり便利な空間になりました。
天北線との分岐点として、音威子府駅では蕎麦が人気でした。駅舎内にも駅そばがあったのですが、店主の方が亡くなり閉店。
さらに、音威子府そばの製造もこの夏頃終わるとされています。駅から一番近くで食べられるのが、道の駅おといねっぷの天北龍さんです。
しかし、提供時間が11:00〜14:00に変更。本当はここで食べてご紹介できればと思いましたが、時間が合いませんでしたね…。
音威子府そばは蕎麦の実の殻をそのまま挽いているため、黒い麺なのが特徴。深い香りも一緒に楽しむことができます。
今日は諦めて、いつものセコマスパを頂きました。
天北線資料室
駅舎内には天北線資料室があって、天北線や宗谷本線の鉄道資料が展示されています。
天北線では路線廃止まで、札幌〜稚内を天北線経由で結ぶ急行天北が走っていました。
方向幕やサボ、ヘッドマークが展示されています。
こちらは天北線廃止直前、小頓別駅に掲げられた看板。思い出お〜い天北線きっぷと名付けて、記念切符が販売されました。
バスのきっぷ販売窓口がありまして、ここで予めきっぷを買っておけます。
最初に下車するのはピンネシリ温泉前です。バス停の名前が変わったのか、敏音知が押されました。
【バス廃止区間】音威子府〜敏音知
稚内駅前ターミナル行きのバスが到着しました。
本当はこれを乗り通してみるのも楽しいと思うのですが、それは又の機会ということで。
一番後ろの中央の座席は、鹿が飛び出して来た時急ブレーキで危険なため、着席禁止。野生動物は本当に身近ということを感じさせられます。
11:20 音威子府駅 発
同業者っぽい方を1人乗せて、北へ向かいます。
道の駅を過ぎると、すぐに山の中へ。左右には植物が繁茂しています。
宗谷本線の下をくぐりまして、天北線はこの直前で分岐済み。国道275号の横を走ります。
しかし、植物の中に埋もれているので、全く分かりません。
次の駅は上音威子府駅は、「上音威子府という地域」の駅です。
上音威子府駅は修復されたプラットホームと、国鉄仕様の駅名標レプリカが設置されており、道路からでもちらっと見られました。
2015年には駅名標の除幕式が行われています。
廃線跡は道路の下をくぐって、左側へ移りました。写真だと分かりづらいですが、おそらく木が無くなって草が生い茂る部分です。線路はここから天北トンネルに入ります。
天北峠を越えまして、音威子府村から中頓別町へ入りました。
右手奥に見える建物は、2009年に廃校となった小頓別小中学校跡です。
小頓別駅跡まで来まして、バスは橋を渡り駅前広場まで入ります。
小頓別駅は2面2線の交換可能駅で、急行天北も発着。駅員さんもいらっしゃる大きな駅でした。
東側にあたる歌登・枝幸地域への結節点です。
新しめのバス待合室には、小頓別駅の看板が掲げられていました。おそらく現役時代のものと思われます。
郵便局がありますが相当小さな集落、かつて林業で栄えたこの地域も、今や人が住んでいそうな家は少ないです。
道路沿いには牛の横断注意の看板。近くで酪農などしているのでしょうか。
左側に注目していると、ちょっと盛り上がっているところがあります。おそらくそこが廃線跡でしょう。
上頓別駅跡は棒線駅に縮小された無人駅。
鉄道とは関係ないですが、獣魂碑という石碑がありました。
ほんの一部分に限りますが、廃線跡が国道275号に並行する道路に転用されています。
雪国ならではの矢印が立ち、家が面している道路です。
廃線跡の道路はこちらへ合流して来て、この辺りには仮乗降場だった恵野駅がありました。
再び廃線跡を乗り越えまして、右側へと移ります。
【駅跡が残る!】敏音知駅
11:54 ピンネシリ温泉前 着
ここでは敏音知駅跡が、モニュメントのようにして残されているのです。
道の駅ピンネシリの西側、踏切とホームがありまして、ここが敏音知駅跡です。
低めのプラットホームに駅名標が建てられた、シンプルなモニュメントです。
線路上にはタンポポが咲き誇っているのに加え、そこらじゅうをバッタが飛び交いまくります。
自然からの飲み込まれ具合も丁度良いです。
仮乗降場は駅名標に書かれないため、隣の駅は上頓別駅と松音知駅。全部縦長の大文字で書かれたえい魚表記がどこか懐かしいです。
裏側では天北線の解説がされていました。見た目的には結構新しそう。
ここにはピンネシリ温泉があって、宿泊もできます。
入湯料は400円、券売機にシャンプーがありますが、共同で置かれていました。
真湯と温泉で分かれており、ナトリウム・マグネシウム系の泉質です。
続きまして、道の駅ピンネシリへ。
蜂蜜の試食なんかもできました。こうして比べてみると濃厚さや植物由来の香りなど、違いを楽しめます。
道内の観光地でよくある、白い恋人ソフトも。
僕にとってはもう世代ではない、瓶コーラの自動販売機も置かれていました。
【キハ22展示】敏音知駅〜中頓別駅
16:39 ピンネシリ温泉前 発
4時間半以上滞在しまして、ようやくバスに乗り込みます。
廃線跡は、原野の中で連なる木々よりも奥です。頓別川に水を求めたことで、川沿いに木が集まることになったのでしょうか。
道の向こう側にあったのが、元仮乗降場の周磨駅です。
牧草ロールが沢山転がっていて、まさに北海道の自然という感じ。
まだ駅舎やホームも残っている、松音知駅跡を通過。
駅舎保存のために個人の方が所有しているそうなのですが、近くで撮影禁止という曰く付きの駅。公道の国道からであれば流石に問題ないはずです。
天北線で駅舎が残っているのは、かなり貴重なのですが…。
茂みの向こうには、仮乗降場だった上駒駅。
中頓別町市街地の入口、この斜めになっている道路の先には廃線を活用した道路があります。
住宅や店舗なども見え始め、久しぶりの街の中心部です。
国道から一本逸れまして、駅前通りに入ります。正面に構えるのが中頓別ターミナルです。
ニセコ駅の駅舎みたいなデザインの建物。駅舎は解体されており、1990年に天北線メモリアルパークとしてオープンしました。
駅前には青色に塗装した、キハ22形が静態保存されています。
中頓別ターミナルでは天北線の展示が行われているので、ピンネシリではなくこちらに来るのも良さそうです。
【鉄橋残存】中頓別駅〜浜頓別駅
次の寿駅は道路から離れた所にあった、仮乗降場の小さな駅。
道路沿いは結構広々した寿公園で、ゴーカートやパークゴルフ場もあります。
ここには蒸気機関車9600型「49648」号機が静態保存されています。
国鉄最後のSLと言えば1975年12月14日の室蘭本線ですが、こちらは1976年3月まで、国鉄で実作業に使用された機関車です。
寿トンネルを走っていきます。
トンネルを抜けた先、右側の道を行った所に仮乗降場だった、新弥生駅がありました。
頓別川を境としまして、浜頓別町に入ります。
道路のすぐ近くに廃線跡が復活してきました。
そして、ハッキリ残されているのが鬼河原川橋。
バス車内からここまで近く天北線の鉄橋を見られるのは、おそらくここだけです。
集落に入りまして、太陽光パネルが並ぶ地域が見られます。
さらに家々の向こう側に空き地が広がるのですが、そこが下頓別駅跡です。
プラットホームや駅名標も残されていますが、バス車内からは確認できません。
■11/5(木) 北海道新聞朝刊(留萌宗谷版)P.17
「下頓別駅跡 隠れた名所に~浜頓別・大山さん 環境整備続け31年」・旧天北線下頓別駅跡の環境整備
・駅名標の塗りなおしや周辺の草刈りなど続け31年
・鉄道マニアの聖地として浜頓別の隠れた名所
・分かりにくい場所人…
・国道改良工事で近接? pic.twitter.com/G1to6kXH04— 幌延まちおこし隊。糠南ガンバ✊ (@horo_nukanyan) November 4, 2020
いきなり草を食む乳牛たちが現れて、驚きの光景。やっぱり普段では考えられない長閑な場所です。
途中廃線跡らしきところで工事が行われており、盛り土が表面に。道路改良と看板が出ていましたが、どうなるのでしょうか…?
市街地の入口部分から、廃線跡左右の森が斜めに伐採されています。
何やら送電線を引いているみたいなのですが、航空写真でこの辺りを見ると模様になっていて面白いです。
浜頓別高校から生徒さんが5,6人ほど乗車。浜頓別町の中心部へ下校されます。
浜頓別町の中心部に入ると、廃線跡はアメニティ公園として整備しています。
信号のない環状交差点を通りまして、浜頓別ターミナルに到着です。
【浜頓別駅跡】道の駅北オホーツクはまとんべつ
17:27 浜頓別ターミナル 着
浜頓別ターミナルは浜頓別駅跡にあたります。
2019年に北オホーツクはまとんべつがオープンし、バスターミナルも同じ建物に入居しました。
そのため、浜頓別駅の跡は分からなくなっています。
地元の方にも非常に人気の、こんがり堂というパン屋さんがあります。
パンだけでなく、鮭やホタテまんもありました。
とってもクリーミーでオススメです!
バスターミナルに展示されて天北線関連の資料は、郷土資料館に移されました。
こちらは9:00〜17:00の平日のみオープンしています。
今夜は頓別ホテルさんに宿泊します。
外壁からも結構レトロな雰囲気を感じられますね。
昔ながらの温泉旅館的な和室。
扇風機やエアコン無しでも何とかなる、そんな気候です。
温泉もヌルヌルした泉質で、体に良さそうな感じでした。それではまた明日、北へ向かいましょう。
【熊出没で立入禁止】浜頓別〜猿払
おはようございます。街にはクッチャロ湖から霧が流れ込んでいます。
今朝は浜頓別ターミナルからスタートです。
道の駅では車中泊されている方も多く、北の大地を満喫するご旅行中でしょうか。
今日も窓口にて乗車券を購入。ちゃんとターミナルにされています。
乗車するのは手前の鬼志別行きです。
奥には枝幸行きのバスが停車中。浜頓別駅からはオホーツク沿いを南下する、興浜北線が分岐していました。
8:28 浜頓別ターミナル 発
ここまで走ってきた国道275号は浜頓別で終わり、ここからは国道238号を走ります。
ちなみに国道275号は札幌市苗穂から続いていました。
コハクチョウの中継地であるクッチャロ湖から、オホーツク海へ注ぐクッチャロ川を渡りました。
浜頓別から猿払までの21.3kmはサイクリングロードになっています。しかし橋の老朽化や熊の目撃情報が多発したことで、現在は通行禁止です。
よつ葉乳牛宗谷工場がありまして、こういった産業もなされています。
次の山軽駅は荒廃しているものの、ホームや待合室が残っているそうです。
浜頓別町から猿払村に入りました。
安別駅跡は電光掲示板のある道の先に。この駅跡でヒグマに遭遇した方がいらっしゃるので、本当に気をつけなければなりません。
次は仮乗降場だった飛行場前駅。
駅名は、大日本帝国陸軍の浅茅野第一飛行場があったためです。1944年に建設されましたが、戦争終結のためすぐに役割を終えています。
(100yen - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1176987による)
今でもボロボロになった板張りホームと駅名標の枠が残っています。
実は、昨日の夕方にここへ来て折返しのバスで浜頓別へ帰ることもできたのですが、クマの出没が怖くてやめちゃいました。
浅茅野小学校の横を通過。
左側の建物の手前に、浅茅野駅のホームや駅名標レプリカが立てられています。
サイクリングロードの橋が森の中で僅かに見えました。
浜猿払のバス停にて、海沿いを行く国道238号から内陸へ入りました。
集落の中を通りまして、猿払バス停へ。
突き当り左手の広い空き地は猿払駅跡。
猿払村の中心ではなく、棒線駅で無人駅に。急行天北も通過していました。
猿払駅跡で突き当り右へ曲がり、猿払鬼志別線を入ります。この道路は廃線跡を転用したものです。
キモマ沼とポロ沼に挟まれています。
芦野駅周辺にて廃線跡を離れまして、国道238号ヘ。
オホーツクホタテロードと呼ばれる元の道へ戻りました。
後ほど訪れますが、道の駅さるふつ公園を素通りします。
浜鬼志別で多くの下車。浜頓別から乗って来た若い方でした。
バスは猿払村の中心部、鬼志別に向かって内陸へ。
猿払村国民健康保険病院がありまして、結構綺麗な建物が集まっているのが分かります。
【猿払村の中心部】鬼志別駅
09:25 鬼志別ターミナル 着
鬼志別駅の跡地に、鬼志別バスターミナルが建てられました。
駅前には駐車場、昔から歴史を紡いで来たであろう建物も並んでいます。
バスターミナルの裏にはホーム跡らしき盛土も見られました。単式ホームと島式ホームを合わせた2面2線の交換可能駅。猿払村の中心液として急行天北も停まっていました。
線路はこのまま真っすぐ進み、蛇行する川を渡ります。
ターミナル前の歩道には、国鉄鬼志別駅の中心点が埋め込まれていました。
【猿払村内資料】天北線の資料展示
1階には天北線の資料が展示されています。
こちらは路線廃止に際して、さよなら列車含む運行の様子です。急行天北やディーゼル機関車の姿もあります。
更に、立派な木造駅舎を構えた各駅達。
北海道では貨車駅舎へ置き換えられて来ていますが、仮乗降場でなければ、このような駅舎だったのです。
更に、貴重なきっぷ類も様々。
硬券の入場券や乗車券、急行券なども好きな方が多いでしょう。
現地から降ろされた駅名標も、ここに集められています。
ホーロー駅名標も本来ならレトロに感じるのでしょうが、今でも各駅に設置されているからか馴染みあるものです。
鬼志別駅構内で使用されたレールは、カットして全世帯に配られたそうです。
こちらは晩年の発車時刻表。1日6.5往復も運行されていて、今のバスより便利ですね。
運賃表には今は亡き名寄本線、この当時ですら廃止されていた羽幌線の駅もうっすら分かります。
かなり興味が引かれる展示物が沢山あるのでオススメ。鬼志別では10分くらい停車することもありますから、その時でも良いでしょう。
猿払村はホタテを中心とした漁業により、財政的にも非常に豊かな村です。
人口は2,825人(2010年度)と決して多くなく、少子高齢化と人口減少は続いています。しかし、北の果ての村にしてはその流れも緩やかです。
住宅街もなんとなく立派なものが多い印象。カラフルで北欧感も漂います。
11:45 鬼志別ターミナル 発
路線バスにて、浜頓別方面へ引き返しましょう。
道の駅さるふつ公園
11:56 さるふつ公園前 着
オホーツク沿いの浜鬼志別地域に戻ってきまして、さるふつ公園にて下車します。
ここには猿払村のシンボル的存在、インディギルカ号遭難者慰霊碑があります。
インディギルカ号はシベリアのマガダンからウラジオストクを目指していました。しかし暴風雨により宗谷海峡の位置を見誤り、1939年12月、トド岩に座礁転覆。
船員が浜鬼志別の住民に転覆を伝え、村民総出で救助に向かったとのことです。
700名以上が亡くなる大事故で、最終的に400名を救助。日本とソ連が対立する時代でしたが、吹雪の吹き荒れる冷たい海の中、多くの命を救いました。
こちらは、いさりの碑。
猿払村は昔から漁業が盛んでしたが、限りある海の幸を取り尽くしてしまった時期がありました。
そこで村と漁業者は、漁場造成や孵化・放流・育成事業を推進。豊かな漁場を取り戻し、現在の猿払村がある訳です。
隣にはホタテ化石群の岩が構えていました。
道の駅とこれらの碑は、地下歩道で結ばれています。
個人的に地下空間はあんまり好きではないのですが、この地下歩道はちょっと面白いところ。重い扉を引っ張ります。
階段を降りますと、歩道内はブラックライトで照らされていました。猿払を支える海の輝きを映し出します。
さらに森の景色についても表現されていました。
地球の歴史を伝える博物館みたいな雰囲気が漂います。
この道の駅にはホテルも併設されており、レストランもあります。折角なのでここでお昼ごはんを。
ここはやっぱり帆立を食べたかったので、ほたてラーメンを。これが想像以上に大きくてビックリしました。
しっかり歯ごたえもあって、塩の風味がしっかりと滲み出ます。
猿払村の帆立は朝日放送テレビの「相席食堂」にて、長州力さんが「食ってみな、飛ぶぞ。」という名言を放ったことでも一躍有名になりました。
その時食されていたのは、ソフト貝柱。8粒で1700円と大学生には厳しかったですが、それだけに美味しいんでしょうね。
13:44 さるふつ公園前 発
音威子府駅から来ている稚内行きに乗車、昨日最初に乗ったのと同じ便です。
おそらく音威子府から来ているのでしょうか、同業者っぽい方がお一人いらっしゃいました。
その他高校生も4,5人ほど。浜鬼志別や鬼志別で降りていかれます。
【天北線から逸れる】鬼志別〜稚内
ここから先、天北宗谷岬線は天北線と違うルートを取ります。
(地理院地図を改変)
天北線代替バスは鬼志別から青色のルートを取っていました。しかし鬼志別から宗谷岬を経由する現在のルートに変更、稚内〜曲渕だけは残っていましたが、それも廃止されています。
というわけで、ここからは単純にバスの旅を楽しむことになります。
鬼志別から浜鬼志別へ海沿いに戻ってきました。
ほたて加工工場の横には白い山ができていました。現代の貝塚でしょうか?
現在海岸沿いを走っている国道238号ですが、このままでは高波被害を受ける可能性が非常に高く、孤立状態も考えられます。
そのため高いところに国道を移す改築工事を行っているようで、左側では大規模な盛土を見られました。
猿払村北端の知来別地域へ。
猿払村は奈良県十津川村に次いで、日本で二番目に面積が広い村。そこまで感じませんでしたが、確かにいくつもの集落を出入りしましたね。
バス停の名前は鈴木宅前。田舎へ来るとこういう名指しバス停があるんですよね(笑)
猿払村を抜けまして、遂に最北のまち稚内へ入ります。
東浦漁港を過ぎると、海沿いから内陸側へ。
急に山の中を走るようになって、景色の変化が目まぐるしいです。
左手には幾重にも重なる丘陵が非常に美しかったです。
風の強い稚内の地形を活かしまして、このあたりでは昔から風力発電が盛んになっています。
再び海のすぐ横を走るようになって、やはり素晴らしい光景です。
稚内市にもほたて加工処理施設がありまして、同じく漁業が盛んになっています。
いよいよバスは本土最北端の地、宗谷岬に至ります。
駐車場にはさるふつ公園でも見た、宗谷バスの団体バスが停まっていました。
宗谷岬〜稚内中心部は利用者が多く、ガラガラだった車内も席が埋まります。
見慣れた三角形のモニュメント、あちらが宗谷岬です。ほとんどの方は稚内の中心部や稚内空港から来ますから、オホーツク川から来られたのは結構新鮮な体験でした。
ちょっと離れたところから見ると、最北端の碑が少し出っ張っているのが分かります。
稚内空港の横を通過しました。8割の人間がカメラを構えています(笑)
完全に忘れかけられている気がしますが、バスは稚内空港の西端から天北線の廃線跡と似たルートを歩みます。
2つの角が生えている稚内市、宗谷岬と勘違いされることも多い西側のノシャップ岬も見えています。
あちらには水族館があって、イルカの像が立つ岬からは夕陽が非常に綺麗です。
稚内市の中心外へ入りまして、潮見バス停に到着。わざわざ待合所のところまで転回しに行きます。
全国的にも有名な最北のマクドナルド横を通過。
このあたりにはロードサイド店舗が立ち並んでおり、賑やかです。
その中心に位置するのが総合スーパー西條です。ダイエーくらいの規模で、ロッテリアやミスタードーナツも入居しています。
天北線の終点、南稚内駅を過ぎました。
元々宗谷本線の終着駅は南稚内駅で、駅名も稚内駅。ここから樺太へのアクセスを向上させるため、北へ延伸した構図です。
高架線になっている宗谷本線をくぐります。
ドーミーインが現れれば、もう稚内駅はすぐそこです。
15:53 稚内駅前ターミナル 着
音威子府から稚内駅前ターミナルまで通して乗車すると、4時間33分の乗車時間になります。かなりの長丁場ですが、景色に注目していたらあっという間でしょう。
それでも各地で降りていった方がその地を楽しめましたし、ぜひ参考になれば嬉しいです。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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