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【鉄道150年】サンライズ出雲で夜更かし 寝台特急から深夜の東海道を観察

 

こちらは夜の大阪駅。列車の運行時間も終わりに近づき、人がまばらになってきた時間帯です。

時刻は0時になりまして、今日は2022年10月14日です。鉄道開業150年おめでとうございます

 

新橋〜横浜で本格的な鉄道運行が始まって150年。記念すべき今日という日は、寝台特急サンライズで始めようと思います。

 

発車標はどんどん黒く染まっていく中、最後に残るのは赤いサンライズ出雲・瀬戸号です。

 

黎明期、鉄道により長距離移動は遥かに容易になりましたが、まだ速度は遅くダイヤも結果的に夜行にならざるを得ませんでした。

鉄道が高速化された結果、定期夜行列車もこの一本だけです。

 

日本で二番目の鉄道は、1974年に開業した大阪〜神戸。サンライズ号は東海道本線の終端でもあるその区間を通りまして、大阪駅へやってきます。

 

遅ればせながら、11番線に寝台特急サンライズ号が到着しました。平日ですが、この列車に乗るのを楽しみにしていたであろう方々がたくさんです。



0:33 大阪駅 発(10分遅れ)

ホーム上では駅員さんが、乗り遅れのお客さんがいないか見回ります。特に待合室で寝てしまった方など確認されており、その上での出発です。

 

今回利用するのはB寝台個室ソロです。新しい寝台特急として1998年にデビューしたサンライズ号。それまでカーテンで仕切る程度の開放型寝台が基本でしたが、個室をスタンダードにした点でも、かなり突出しています。

 

一番価格が低く狭いのがソロですが、これだけのプライベート空間があるなら十分です。

 

まずは大阪のビル群に見送られながら、真っ暗な淀川を渡ります。

 

そして戦後復興の象徴として現代まで語られる、東海道新幹線が交差する新大阪駅を通過。

 

昼間は新幹線からの乗換客で大勢のお客さんがいるホーム。サンライズ号も停車せず、全ての列車の営業が終わっています。

 

あまりに広大な敷地を持つ、吹田貨物ターミナル駅。沢山のコンテナが一面にありまして、船舶輸送に足して鉄道貨物が不利な日本国内でも、これだけの需要がある訳です。

 

千里丘駅周辺でかなりスピードを落とし、貨物列車に追い抜かれました。

 

相当ゆっくり走っていましたが、イオンモール茨木を通過する辺りで通常通りの速度に戻ります。



高槻駅手前の明治なるほどファクトリー大阪には、ビッグミルチという大きな板チョコみたいな看板があります。

 

高さ27.6m、幅165.9mにおよび、世界最大のプラスチック製広告看板としてギネス世界記録にも認定されました。

 

新快速や特急が走る外側線を走っているので、左側では駅を通過しているのがほとんど分かりません。

そんな中で突然、室内に光が差し込んでくるのが高槻駅です。

 

向日町の車両基地には、特急列車を中心とした車両たちがお休みしています。

 

航空機のシェア拡大に合わせて、都市部から空港へのアクセスを担うようになった鉄道。

特急はるかは新型コロナの影響を受けて本数を減らしていましたが、11月1日より全便が運行再開予定です。

 

一方で特急スーパーはくとはディーゼル車両でありながら、高規格の智頭急行線と距離の短さが幸いして、関西圏〜鳥取の航空シェアを完全に奪っています。

高速バスと飛行機の台頭は鉄道にとって脅威で、それと差別化した利点が求められるようになりました。

 

向日町の車両基地への回送の役割も持つ貨物線が、東海道本線を乗り越えて左側に来ました。

特急はるかはこの線路を、原付並みの速度で走ります。

 

京都貨物駅では真っ青な機関車が牽引する貨物列車とすれ違い。



京都鉄道博物館にはレトロな機関車や列車がたくさん見られます。

ここにある日本最大の梅小路機関区の扇形機関庫は、アメリカによる原爆投下の目標にもなりました。終戦後の統治にあたって、日本からの恨みが強くなりすぎることを考慮し、京都への投下は見送られています。

 

1877年2月6日、京都〜大阪の鉄道が開業しました。京阪神が繋がったのは鉄道開業から5年後、明治期から富国強兵のため、多くの地域で鉄道建設が進められています。

 

京都府と滋賀県の境にある峠は、逢坂山トンネルで貫きます。

 

琵琶湖は鋭角の逆三角形をしていますが、渡っているのは尖った先の瀬田川です。闇に消えているものの、奥には広大な琵琶湖があるはず。

 

西明石駅から続く日本一長い複々線区間は南草津駅で終わり、守山駅を通過しています。

 

せっかくの寝台列車なので、所々眠りながら夜の東海道を見ていきたいと思います。



米原駅からJR東海エリアに入るため、乗務員さんが交代されます。

東海道本線が全通したのは1889年、最後に開通した区間は馬場駅(現:膳所駅)〜米原駅〜関ケ原駅で、特に関ケ原超えが厳しかったことが想像できます。

 

関ヶ原駅からは、垂井駅を通らない東海道本線の下り線、いわゆる新垂井線が分かれていきます。これは遠回りですが勾配が緩いため、垂井駅に止まらない下り特急列車や貨物列車が走ります。

新垂井線は太平洋戦争中、輸送力増強のために敷設されました。

 

大垣駅は関ヶ原を越える、機関車付替の拠点として栄えました。現在でも車両基地があり、その名残が分かります。

 

樽見鉄道、養老鉄道の分岐点でもあり、各方面へ鉄路が伸ばされています。

 

高架線に登りまして、岐阜駅周辺を駆け抜けているところです。

 

名鉄岐阜駅には、いくつか名鉄特急が停まる姿を見られました。

 

三大都市圏の中心地、名古屋駅を通過しました。名古屋駅を通過する列車はサンライズ号くらいかと思われます。

 

名古屋駅のビル群も暗くなっていまして、都会も眠りに就く丑三つ時です。

 

名鉄ホームを東海道本線と中央本線で挟む金山駅を通過。東京〜名古屋においては、東海道本線と中央本線どちらをメインルートにするか議論されていました。

現状東海道ルートが選ばれましたが、土木技術が向上し、リニア中央新幹線はアルプス山脈を貫く前代未聞のルートをとります。

 

熱田駅で運転停車。新幹線が無い頃、天皇陛下が熱田神宮へ行幸する際、利用されていました。

 

豊橋駅で上下列車ともに運転停車を行います。

 

列車は新幹線の高架とともに浜名湖を渡っています。

戦時中にはこの橋が落とされることを懸念し、浜名湖を迂回する二俣線(現:天竜二俣鉄道)が建設されました。



浜松駅で運転停車中。

東京発の下り便が停車した後は、始発列車まで駅が閉まります。ムーンライトながら号が走っていた時は、開放されていました。

 

駅を出ると、ハーモニカをモデルにしたアクトタワーがお出迎えしてくれます。

 

2020年3月に開業した御厨駅は、東海道本線で一番新しい駅です。東海道新幹線と東海道本線が並走しており、両方とも見下ろすことができます。

 

掛川の茶畑エリアは当然ながら真っ暗。

 

金谷駅を通過しますと、ぽつぽつと街灯が灯る平野が広がっていました。中には白い煙を上げる工場もあります。

 

そして静岡県でいちばん有名な川になっているかもしれない、大井川を渡ります。江戸時代には水量が多く、東海道の難所でした。



4:38 静岡駅 着

大阪駅の次に乗降できる駅です。まだ早朝で暗く、車通りもほぼ無さそう。

 

地方私鉄の静岡鉄道とぴったり並走。JRより多くの駅が設置されており、その様子も見られました。

 

まだ暗いですが、東名高速と国道1号、そして東海道本線がともに薩埵峠を越えていきます。



富士駅では、5:19発の身延線甲府行き普通列車に接続できます。

身延線沿線には、日蓮正宗の総本山大石寺や、日蓮宗の騒音残久遠寺など宗教関連施設が集まっています。特に創価学会が日蓮正宗に破門される前は参拝客の臨時列車も走り、鉄道の大量輸送の特性を十分に発揮しました。

 

富士と言えば製紙工場、大きな煙突が何本も生えていまして、夜でも迫力を感じられます。

 

段々と明るくなってきた朝の空、曇っていますが富士山のシルエットがくっきり浮かび上がっていました。



沼津駅からは御殿場線が分岐します。

1889年に全通した東海道本線ですが、当時は現在の御殿場線を経由するルートとして開業しました。

 

下りは国府津駅、上りは沼津駅で登坂専用の補助機関車を連結していました。

今ではローカル線のような扱いの御殿場線ですが、かつて大幹線だった名残を楽しめます。

 

東海道新幹線の駅も設置された三島駅も、熱海〜沼津が東海道本線として開通したときに開業しました。

 

御殿場線経由で東海道本線が開通したのは、険しい峠を迂回したから。丹那トンネルが開通したのは1934年で、これによって現在の東海道ができました。

 

コンクリート造りの温泉街の向こうには、海が広がっています。

 

熱海駅は1925年、熱海線の終着駅として開業していました。それが丹那トンネル開通により、東海道本線の駅になったのです。

 

熱海駅より先の区間では、相模湾の絶景を眺められます。その中でも有名なのが、根府川駅。東海道本線で初めての無人駅としても知られていました。

 

1923年に発生した関東大震災では、海沿いの崖上に位置した根府川駅が大きな被害を受けました。

崖崩れと地すべりにより、ホームや駅舎、到着しかけていた列車全体が相模湾に転落してしまったのです。

 

それだけ海に近く、素晴らしい光景を見せてくれる訳ですが、関東大震災の悲惨な記憶も忘れてはいけないものです。



小田急とともに通勤の雰囲気が出てきた、小田原駅に入線中。

後ろを振り返ると、小田原城が見られました。

 

小田原駅を過ぎると、サンライズ号は東海道貨物線を走ります。旅客列車の本数が多すぎるこの区間では、旅客線の他に貨物線を敷設しました。

これからラッシュ時間帯に入る東海道本線、サンライズはこれを避けるために貨物線を使って走ります。

 

国府津駅手前より、御殿場線が合流してきました。ここからは東海道本線の中でも特に歴史ある区間です。

 

貨物線と隣接して、相模貨物駅が設置されています。写真には映っていませんが、手前側にコンテナを積んだ貨物列車が停まっていました。

 

相模線の乗換駅、茅ヶ崎駅で東海道貨物線から東海道本線へ戻ります。

 

藤沢〜大船駅には2032年頃、新駅が設置される予定です。もし予定通り開業すれば、JR東日本管内の東海道本線駅では、熱海駅開業以来107年ぶり。

 

日本初の鉄道とされる新橋〜横浜は、現在の地名に置き換えると、汐留〜桜木町です。横浜駅は移転を繰り返していまして、初代の横浜駅はより港に近い桜木町駅にあたります。



6:44 横浜駅 着

当時は貨物輸送を重要視していた訳ですが、今はホームに大勢の通勤のお客さんがいる状態になっています。

 

鶴見駅からは埋立地の工業地帯へ櫛状に線路が分岐する、鶴見線が分かれます。都会のローカル線とも言われますが、工場の目の前まで従業員を輸送します。

 

神奈川県の最北東部に位置する川崎市は、140万人もの人口を有しています。

 

多摩川を渡りまして、神奈川県から東京都に入りました。

 

大井車両基地には山手線の車両が沢山ありまして、東京の中心部へ来ているという実感が湧きますね。



新橋〜横浜が最初の鉄道開業区間とされますが、6月12日(旧暦5月7日)、品川〜横浜で仮開業していました。

現在でも同じ位置にある駅としては、品川駅は日本で一番古い駅となっています。

 

2020年に開業した山手線と京浜東北線の新駅、高輪ゲートウェイ駅の横を通過。

 

ビルの隙間からは一昔前の東京のシンボル、東京タワーが見えています。現在では倍近くの高さがある、東京スカイツリーの方にそのイメージは移っているでしょう。

 

東海道新幹線と共に新橋駅を通過。

日本の鉄道は、ここから東へ200mくらいの地点より始まりました。

 

終点の東京駅は1914年の開業。新橋〜上野に高架線を引き、新たなターミナルを設置する計画で、皇室の前に置かれました。



7:08 東京駅 着

新橋〜横浜で日本初の本格的な鉄道運行を始め、150年もの年月。日本の生活を作り上げているとも言える状態で、ここまで鉄道が発展している国は無いでしょう。

 

楽しい鉄道の旅を提供し続けてくれている鉄道会社さんに感謝し、これから200年,300年と続くことを望みます。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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