佐世保駅から特急みどりに乗車、鳥栖駅で下車しました。
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鳥栖駅は長崎本線と鹿児島本線の分岐駅で、多くの特急列車が行き交います。
プラットホームにはかしわうどんのお店、中央軒さんが建っています。
中央軒は鳥栖駅のすべてのホームにありますが、営業時間はバラバラ。先程のホームの店舗は空いていませんでしたが、こちらは開いていました。
昭和30年から営業する歴史あるお店で、外側は綺麗にリニューアルされているものの、中は木造で当時のままに見えます。
ホーム上屋にはレールが使われていますが、外国製古レールであることが明記されていました。
イギリスのCAMMELLS(キャンメル社)によるもので、1897年製造と非常に貴重なものです。
今回鳥栖駅で下車したのは普通列車への乗り換えの目的と共に、この駅自体が素晴らしい駅だからです。
まずはこの駅舎をご覧ください。
逆光で少し暗くなってしまっているのが残念ですが、深緑の落ち着いた色合いになっていて、所々には西洋的な装飾が施されています。
まさに明治時代の西洋文化的な要素が感じられる駅舎です。
(鳥栖駅に展示された写真より)
1889年、九州に初めての鉄道が敷かれました。開業したのは博多〜千歳川北岸仮停車場(久留米の手前)です。
鳥栖駅もその時に開業した、九州で一番古い駅の一つです。
その後、1906年に鳥栖駅は移転。現在残っている駅舎はその頃からのもので、110年以上建っていることになります。
(写真は長崎駅)
鳥栖駅は長崎本線と鹿児島本線の分岐駅。さらにかつては貨物駅としての機能も備えていました。
そのため、1945年8月11日、鳥栖空襲に遭ってしまいます。鳥栖駅の構内でも被害はあったものの、駅舎は無事だったようです。
いつまでもこの駅舎が残っていてほしいと思いますが、折尾駅のように西洋風の駅舎を持っていながら解体されてしまった例もあるため、こちらも無くなってしまう可能性が十分あるのです。
そんな素晴らしい駅舎を近くで見てみようと思います。
灰色、水色、緑色を混ぜたような年季の入った色合いの柱が屋根を支えています。ヨーロッパの丘に建つ家のイメージです。
おそらく礎石とは違うと思われますが、教会にありそうなデザインとなっています。
ガラスも歪んだ感じで、古さが見られました。
ガラスというよりもアクリル板のようにも見え、違和感があります。
駅舎内にはサガン鳥栖のユニフォームが展示されていて、西洋のブランド店のような外観です。
その横には昭和館あふれる駅弁やさんがひっそり建っているのも趣があります。
みどりの窓口の辺りは仮設っぽく、この辺りだけは先程の駅舎とは違って、現代感がある場所です。
この時期は卒業シーズンだったこともあって、改札に入ると卒業生へのメッセージが書かれていました。
内容も歴史ある鳥栖駅だからこそ、のことが書かれていて、地元の人にとっても大切にされていると感じられます。
ここは駅舎と直結した旧ホームで、この先の通路と各ホームがつながった構造です。
線路1本分のスペースが空いていたり、上屋等にプラットホームらしさが表れていることからも、当時のことが懐われます。
地下通路のところには『線路下のギャラリー』がありました。鳥栖駅の歴史が紹介されていたり、昔からの写真が展示されています。
九州に寝台列車が来ていた頃の様子も飾られていました。
全く乗ったことがないのですが、多くの人々の移動を楽しませていたことは分かります。
鳥栖駅は鹿児島方面と長崎方面の分岐駅だったというだけでなく、たくさんの貨物なども行き交っていました。
現在では下側のオレンジのホームとその周辺の線路だけとなっていますが、かつてはもっと広かったのです。
当時の様子の写真も飾られていて、たくさんの汽車が行き交っていたことがありありと伝わってきます。
鳥栖は鉄道の街とも呼ばれていました。
このような鳥栖駅の歴史が紹介されているのは、鉄道の街というのを語り継ごうとされているためです。
昔の鳥栖駅の写真の寄贈もお願いしているとのことで、お持ちの方は是非。
地下通路から各ホームへは独特なカーブを曲がって上がることが出来ます。
先程、鳥栖駅は広い鉄道用地があったことをお話しましたが、現在では住宅や駐車場、広場などになりました。
268号蒸気機関車が展示されていたり、鳥栖操車場記念碑も設置されています。
操車場等の施設が無くなり、貨物の役割は鹿児島本線の隣駅、田代駅近くへ移されました。
操車場跡の敷地には他にもサガン鳥栖のホームスタジアムである駅前不動産スタジアムが建っています。なんとも独特なネーミングです。
ホームの所々には国鉄時代によく使われていたホーロー駅名標が残っています。
表面の汚れや文字体も古さが感じられました。
鳥栖駅で明治時代の雰囲気を楽しんでからは、鹿児島本線で原田駅へ向かいます。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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