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【バスすら廃止】国内最長路線バス天北宗谷岬線 最北の路線バス乗車記[史上最長片道切符の旅(86)]

2023年2月22日

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おはようございます。こちらは日本最北端の駅、稚内駅の朝です。

駅舎も駅前ロータリーも真っ白で、北の果てのイメージにぴったりの光景。

一方で、2011年に新しい駅舎へ建て替えられており、以前のコンクリート駅舎もそれはそれで旅情があったのだろうと感じます。

 

昨日は幌延駅から宗谷本線を北上してきましたが、今度は廃止された天北線で南へ戻ります。

元々宗谷本線(音威子府~南稚内)は浜頓別経由で建設され、のちに幌延経由の天塩線が開通。北見線に名前を変えて最終的に天北線として運行を続けていました。

第二次特定地方交通線に指定され、1989年に廃止されます。

 

稚内駅前のバス停にはこの天北線ルートを代替する、天北宗谷岬線という路線バスが停車中です。

稚内~音威子府を結ぶこのバス、1本のバスで走る距離としては日本最長を誇ります。

 

しかし、この路線バスですら利用低迷が深刻化。途中区間の廃止が決まっており数年以内に乗り通すことが出来なくなってしまいます。

以前は途中下車しつつ周辺の様子をご紹介したので、今回は最長路線バスとしての旅を楽しみたいと思います。

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9:39 稚内駅前ターミナル 発

新駅舎竣工と共に棒線化された、稚内駅のホームを横目に出発です。

 

この辺りは稚内市役所や病院などが集まるエリア。日本最北の高架橋下を潜ります。

 

稚内市は稚内駅よりも南稚内駅周辺の方が発展しており、ロードサイド店舗が立ち並びます。

 

南稚内駅の近くを通過。天北線はこの南稚内駅が分岐駅になっていました。

 

道北で展開するショッピングセンター、西條の横に停車。買い物のお客さんでしょうか、数人の乗降が見られます。

ここにはミスタードーナツやロッテリアも入居しており、ごく一般的な商業施設です。

 

その先には日本最北のマクドナルドがあり、ここには雪に埋もれたピエロがいます。稚内市はちゃんと大きな街なので、こういったチェーン店の最北店鋪が沢山あって見つけるのが面白いです。



稚内~札幌の高速バスも停まる、潮見バス停に乗り付けます。

稚内空港から宗谷岬へ向かうときは、稚内駅まで行くのではなく、ここで乗り換えるとスムーズです。

 

稚内市はノシャップ岬と宗谷岬が突きだした兜のような形をしていますが、それらの間にも声問岬がちょこんとあります。

 

潮見辺りから国道238号に入っていまして、これは稚内~網走319kmをオホーツク沿いに結ぶ長大道路です。

稚内市街地から宗谷岬は、宗谷ヒストリーロードと呼ばれています。

 

海沿いに出てきまして、奥の白い陸地こそが最北端の宗谷岬です。



稚内空港の手前、天北線はこの辺りから内陸に入ります。

廃線跡に完全に沿う形なら、本来ここを右に曲がらなければなりません。

 

しかし、天北宗谷岬線はこのまま海に沿って走り続けることになります。

天北線は曲渕を経由しており宗谷バス曲渕線というのがあったのですが、2020年3月に廃止されました。ここから鬼志別まで、天北線のルートから少し外れます。

 

右手には稚内空港の管制塔などを確認できます。稚内市街から空港へは通常の路線バスとは別に、空港連絡バスが運行されています。

 

稚内空港から先ではしばらく民家が見られなくなっていたのですが、富磯の集落が現れました。ここにあるのが日本最北のコンビニエンスストア、セイコーマートとみいそ店です。

 

宗谷小中学校などを過ぎた先は、間宮林蔵渡樺出航の地。ここから樺太が島であることを突き止め、ユーラシア大陸との海峡は間宮海峡と名付けられました。



いよいよ宗谷岬が見えてきました。

防波堤まで雪化粧となっており、あの辺り一帯すべてが凍り付いているようです。

 

実際は海の中にポツンと浮かぶ弁天島の方が北に位置しますが、あそこへ行く手段は漁船に頼み込むぐらいしかないでしょうね。

 

稚内駅から12人くらい乗っておられましたが、皆さんの目的地はやっぱりここです。ほとんどの方が降りていかれます。

 

というか、もう誰もいなくなりました。宗谷岬を素通りするのは相当な物好きみたいです。

 

宗谷岬を越えてオホーツク海側に行くと集落が広がっており、日本最北の学校、大岬小学校があります。

 

その先に広がる景色がとにかく素晴らしく、一面雪に覆われた宗谷丘陵を下っていくのは大迫力です。

全て自然が作り出した光景で、その中に何とか道路だけが引かれた事が分かります。

 

すぐ左手にはオホーツク海が広がるように。海は結氷もしておらず、深い青色をした海には不気味さもあります。

 

波の来ない港は凍っていて、船はお休み中です。



稚内市から猿払村に入りました。

この村はホタテ漁が盛んで、1人あたり平均年収が813万円(2017年)と高いことでも有名です。

 

長州力さんがそのホタテを食べて、「食ってみな、飛ぶぞ」と発言したことでも話題になりました。

 

漁港が集まる浜鬼志別にはセイコーマートもあり、猿払村の中でも大きな集落です。

 

バスは海沿いから外れまして、牧場の中を内陸方面へ。



11:13 鬼志別ターミナル 着

かつて天北線鬼志別駅があった場所で、猿払村の中心駅でした。

 

ここでは32分もの停車時間があり、休憩時間になっています。

自動販売機「つめた〜い」ばっかりですが、今は氷点下ですよ…。

 

建物内には天北線に関する展示が行われていて、ぜひこの時間に見学して欲しいところ。

 

駅名標を代表とした鉄道関連の備品が備わっていて、とても貴重なもの。お金をとっても良いレベルだと思いますが…。

 

黒地に白文字の時刻表や運賃表も掛けられていました。1日1往復、急行天北が天北線を経由して、札幌〜稚内を結んでいます。

 

路線廃止直前の様子も写真に収められており、住民の方々が見送った当時がありありと伝わってきました。

 

稚内では時間がなくて乗車券を買えなかったので、稚内〜音威子府のきっぷを購入。

料金は4010円とバスの料金には思えませんが、JR宗谷本線の特急だと5020円。同じ区間と考えれば納得がいく金額です。

 

こちらが駅前の通りになっていまして、旅館やパン屋さんなどレトロな雰囲気が漂います。



11:45 鬼志別ターミナル 発

引き続き音威子府行きのバスに乗車。先程来た道を戻りまして、海沿いの国道へ向かいます。

 

村役場や病院なども先程の鬼志別にあるのですが、浜鬼志別の方が大きな街に思います。

 

左手には猿払村のカントリーサインにも選ばれている、インディギルカ号遭難者慰霊碑が見えます。

1939年、宗谷海峡を見誤った旧ソ連の貨客船「インディギルカ号」が座礁転覆し、700人以上の方が亡くなりました。一方で猿払村の方が400人近くを救出、国境や時代背景を越えた関係性を今に伝えています。



国道から少し外れまして、天北線の廃線跡を転用した猿払鬼志別線に向かいます。

芦野駅跡近くには、絵の具で直書きしたような看板が立っていました。カナダの田舎に来たみたいな感覚です。

 

ここからが廃線跡を転用した部分。単線だった鉄道から道幅が広げられています。

 

バスの待合室含め、広い空き地が猿払駅跡。

駅名とは裏腹に猿払村の中心ではなく、急行天北も通過する無人の棒線駅でした。

 

廃線跡から国道に戻りまして、浜猿払の集落に出ました。カラフルなイラスト調の地図が立っています。

 

仮乗降場由来の板張りホームがまだ残る飛行場前駅跡。廃線跡をサイクリングロードとして整備したのですが、そこにヒグマが出て現在は通行止めになっています。

宗谷岬からずっと一人だったのですが、驚いたのはここから乗ってこられた方がいらっしゃったこと。キャリーバッグを持った旅行者っぽい方でした。



猿払村から浜頓別はまとんべつ町に入りました。

街のシンボルでもあるクッチャロ湖はラムサール条約にも登録されており、白鳥がやってきます。

 

浜頓別町は天北線の中で比較的大きな町。オホーツク海沿いを南下する興浜北線が分岐していました。

 

環状交差点をぐるっと回りまして、道の駅が併設する浜頓別ターミナルに到着です。



浜頓別ターミナルで10分ほど停車。

2019年に現在の浜頓別駅跡地へ移転しており、かなり新しい建物です。

 

浜頓別〜音威子府に関しては、2023年10月にデマンド交通へ転換予定になっています。ここから先は旅行者が訪れるのがこの上なく大変になります。

 

浜頓別駅周辺の広大な鉄道用地は、冬は雪に埋もれているものの広場に変わりました。

 

浜頓別高校があって、以前夕方に来たときは生徒さんが数人乗ってこられました。

 

郊外へ出るとキリスト教のポスターみたいな配色、ウソタンナイ砂金採掘公園の看板を見つけました。日本古来の方法で、砂金掘りの体験ができるそう。

浜頓別と中頓別では1898年に砂金が発見されて、噂を聞きつけて大勢の人が集まってきました。しかし、その繁栄も本当に一時的なもの、1901年にはほとんど採れなくなってしまいました。

 

こちらは下頓別の集落。

建物の影になって見られないのですが、小頓別駅跡ではプラットホームや駅名標が残されて、新聞でも報道されていました。



頓別川を渡ると、中頓別町に入りました。

そんなに長い訳では無いのですが初めてのトンネル、寿トンネルに入ります。

 

右手の山には中頓別町営寿スキー場が整備されていました。

 

そして左手には広々とした寿公園。

ここでは蒸気機関車9600型「49648」号機が静態保存されています。国鉄最後のSLと言えば1975年12月14日に運行を終えた室蘭本線ですが、こちらは1976年3月まで、国鉄内の実作業に使用された機関車です。

 

除雪による雪の壁で全然見えませんが、中頓別の市街地に入りました。



13:20 中頓別ターミナル 着

ここでも10分ほどの停車、ログハウス調の建物横にはブルーシートが掛けられていますが、キハ22形が静態保存されています。

駅舎は解体されており、1990年に天北線メモリアルパークとしてオープンしました。

 

中頓別の市街地を抜けまして、除雪車を追い越します。

 

天北線には駅舎が残っている廃駅が少ないのですが、松音知まつねしり駅は木造駅舎がそのままの貴重な駅。

保存のため個人の方が所有しているそうですが、近くで撮影禁止という曰くつきです。

 

中の川を渡るところでは、コンクリートの橋梁を確認できました。下調べの編みをかいくぐられて、狙わずに見つけられるのも発見した感がよき。



カメラに映したくないって言われてしまいましたが、道の駅ピンネシリ。

ここは敏音知ぴんねしり駅跡地で、駅名標やホームなどが保存されていました。ピンネシリ温泉で日帰り入浴もできます。

 

次の集落は小頓別、洋菓子店みたいな建物に郵便局が入居していました。

 

小頓別駅前のレトロチックな建物は旧丹波屋旅館、和館は1914頃に建設され、駅前の旅館として繁盛していました。ここは林業が盛んな地域で、木材を買い付けに来た材木商たちで賑わったそう。

1989年の天北線廃止と同時期に営業を終え、完全に鉄道と共に歩みました。

 

小頓別駅周辺はロータリーのようになっており、駅前広場の雰囲気を残しています。



ここからは天北峠を越えて、音威子府村へ。

3人乗せたバスは下り坂を滑らないように下っていき、前庭が坂になっていることを伝え続けます。

 

カーブも続きまして、なるべく勾配を緩やかにしています。明らかにこれまでの道のりとは異なる雰囲気です。

 

そんなところでもエゾシカはいます。この方たちはどこでも現れるんですよね。

 

平らなところまで降りてきますと、建設中の音威子府バイパスをくぐりました。

雪崩規制のある国道40号に並行して、音威子府と中川町を貫きます。

 

続いて音威子府川を渡る宗谷本線もくぐり、稚内以来の鉄路と再会です。

 

かなりの頻度でお世話になっている音威子府駅に到着。人口668人(2022年12月)の北海道で一番小さな村がお馴染みという、異常な状態です(笑)



14:25 音威子府駅 着

稚内駅からの所要時間は4時間46分、途中30分の停車時間があったにも関わらず、そこまで長くは感じませんでした。夏に乗った時はもっと景色の変化に富んでいるため、ぜひ乗っていただきたい路線バスだと思います。

 

稚内駅の一角には天北線資料室があり、天北線や宗谷本線の展示が行われています。

 

天北線経由で札幌〜稚内を結んだ急行天北、廃止直前に行われたキャンペーンの看板など、当時の様子を窺い知ることができました。

 

冒頭にお話した通り、天北線は最北の稚内までを結ぶ役割を担っていました。そこから廃止に至るまでについてもじっくり学ぶことができます。

 

宗谷本線と天北線の分岐駅だった音威子府村は、鉄道員で賑わっていました。駅構内も右側にもっと広がっていたそうです。

 

鉄道どころかバスでも成り立たなくなってしまった天北線。ここまで来るのが大変ですが、ぜひ廃止される前にいらっしゃってみてください。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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