大阪 近鉄

近鉄で一番古い路線 2.2kmの小さな道明寺線に刻まれた長い歴史(3)

2021年6月8日

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近鉄は国内で最も総路線長が長い私鉄です。

日本を代表する鉄道会社で、その長さは501.1kmに及びます。

 

そんな中、近鉄で最も古い区間は古市駅から始まります。

 

まずは南大阪線に乗って大阪阿部野橋方面へ向かいましょう。

 

南大阪線は狭軌の特急列車が走る、全線複線の高規格路線です。

 

昔から敷設されていた区間なだけあって、それにふさわしい十分な規模です。

 

そんな立派な線路を走って来ましたが、次の道明寺駅で下車します。

 

ここから先の最古の区間は南大阪線でなく、地下通路を通った別の路線です。

それは道明寺駅から関西本線の柏原駅まで伸びる、道明寺線でした。

古市駅〜柏原駅は、河陽鉄道が1898年に開業した区間です。

高野山参詣客の輸送や大阪市と南河内を結ぶ目的で建設されました。

 

ところが翌年に経営破綻、河南鉄道が路線を引き継ぎ、河内長野駅まで延伸されます。

 

1923年には現在の南大阪線である道明寺から大阪市内への直通路線が開通、道明寺線はここで行き止まりとなって、現在の支線の形となりました。

 

イメージとしてはJR九州の福北ゆたか線と原田線に似た関係。駅の構造まで原田駅に似ています。

 

近鉄の路線となったのは1944年、前年に関西急行鉄道となっていた道明寺線でしたが、南海鉄道との合併で近鉄になったのです。

 

この路線は道明寺から柏原までの2.2km、列車はこの間を行ったり来たりします。

日本の鉄道で最初の区間は新橋から横浜、近鉄で最初の区間もさぞ立派な区間かと思いきや、ここだとは予想つかないのではないでしょうか。

列車は道明寺駅を出発しました。

駅を出るとすぐに南大阪線は左手へカーブして離れていきます。

 

しばらくすると大阪府道12号線と交差、その下を潜りました。

 

列車は工場と土手の間に敷かれた単線を走り、上には片腕の架線が引かれています。

 

藤井寺市と柏原市の境である、大和川を渡ります。

こちらの大和川橋梁は高規格化されないローカル線のままであることが幸いし、建設当時のまま残されています。

橋梁につけられた銘板にはコクレーン社、そしてKAYO.RY(河陽鉄道)の文字が刻まれているのです。



その先では唯一の途中駅、柏原南口駅に到着。

1911年から大和橋駅という途中駅がありましたが、1924年に対岸から移転して駅名が改称されました。



その後は住宅地の中盛土されたところを走行。

右手にはJR関西本線が現れて、合流して行きます。

 

JR関西本線と近鉄道明寺線はかつて線路がつながっていたこともありました。

河陽鉄道・河南鉄道時代、道明寺天満宮 菜種御供大祭の時期には大阪鉄道(関西本線)湊町駅(JR難波駅)から道明寺駅まで、臨時の直通列車が運行されていたのです。

 

道明寺線の柏原駅はJRのホームを間借りしたような形となっています。

 

近鉄の駅名標は正方形に近い比率ですが、こちらはJRと合わせているため純正のものよりも細長いです。

 

駅に到着するとすぐにJR関西本線の列車がやって来ました。どうやら接続もちゃんと取られているようです。

 

ホームにはICカードの乗り換え改札もあります。

 

近年JR西日本の案内サインは黒字に白文字へリニューアルされていますが、こちらの近鉄線は白地に赤で区別されていました。

 

柏原駅に到着して数分後、数人お客さんを乗せて発車します。

 

列車の本数は30分に1本程度。

道明寺線は利用者が少ないですが、南大阪線や長野線へお客さんを流す役割を持っています。



広大に路線網が張り巡らされた近鉄で一番古いのはちょっとした区間。この地味さが何だか良いのです。

是非一度、その歴史を感じてみてください。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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