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【花咲線指定席】利用状況とメリットを実際に乗車して考察 快速はなさき/地球探索鉄道[2309北海道廃線(5)]
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道東を南北に縦断する鉄道といえば、釧路〜網走を結ぶ釧網本線。
釧路湿原や摩周、知床斜里などを経由する観光路線で、釧路湿原ノロッコ号やSL冬の湿原号などが走ります。
現在では釧網本線の一本だけになってしまった道東の縦断鉄道。かつてはいくつものルートが構想されました。
その一つが白糠〜北進を結んだ国鉄白糠線。将来的には池北線の足寄駅へ接続し、北見までアクセスできる予定でした。
途中の上茶路駅までは1964年開業、1972年に北進駅まで延伸しましたが、わずか11年後の1983年に廃止されてしまいます。
こちらは廃止直前の白糠線の時刻表。1日3本の運行であり、1本だけ釧路駅からの直通列車が走っていました。
戦後建設ということで橋梁を多用した立派な路線。特定地方交通線廃止第1号である国鉄白糠線の廃線跡をお届けします。
釧路駅から普通列車帯広行きに乗車します。
現在ではやや衰退気味とはいえ、道東の一大都市を離れていきます。
お隣の新富士駅には貨物列車も来ています。
富士製紙釧路工場への専用線を伸ばすため設置された駅で、東海道新幹線と同じ駅名は偶然ではなく、かなり繋がりが深いのです。
進行方向左手には太平洋を望められ、海沿いを走っていきます。
国鉄白糠線が分岐していた白糠駅、30分足らずでの到着です。
こちらの駅は2面3線の構造。白糠線は駅舎から一番離れた、3番線ホームから発車していました。
3番線ホームは現在でも使用されており、ちょうど根室本線の普通列車釧路行きが止まっています。
白糠駅は白糠町の中心駅で、特急列車も一部停車する主要駅です。
白糠町営バスは白糠市街地や庶路・西諸路市街地を走るに留まっています。そのため白糠線に向かう鉄道代替バスは走っていません。
白糠駅より車で、白糠線の廃線跡を見て回ります。
西側の跨線橋より線路を見下ろすと、北へ向かって分かれる線路が途中で途切れていました。
明らかに白糠線の廃線跡とみられ、その上に立てられた住宅の向きからも想像できます。
本来繋がるはずだった足寄までは83km、国道392号を走って廃線跡を見てみましょう。
廃線跡は道路と交差しまして、おそらく太陽光パネルの位置かと思われます。
ところどころ牧場も見られて、白黒の牛さんたちもいました。
まっすぐ北進しつつ、途中駅にも立ち寄っていきます。
最初の停車駅は上白糠駅です。
単式ホーム1面1線の駅であり、北進駅に向かって左側にあったとのこと。待合室だけの小さな駅だったみたい。
現在でも駅周辺が空き地になっており、駅前広場だったであろうスペースのみ存在しています。
唯一構造物として、外灯も残っていました。
引き続き廃線跡の盛り土と並行して、国道392号を走り続けます。
現在では全く何も残っていませんが、共栄仮乗降場もありました。
仮乗降場は道内の時刻表にだけ掲載されるのが通常でしたが、こちらはそれにすら掲載されていなかったとのことです。
その直後に見えてくるのが、茶路小学校・中学校です。2023年度の児童は11人、生徒は10人とのことでした。
最初に見えるはっきりとした鉄道遺構、それが松川橋梁です。
この通りしっかりしたコンクリート橋梁、よく見る廃線とは見違える立派さでした。
橋台に刻まれた年月によると、1959年に竣工したようです。戦後建設された鉄道ということで、この先も重厚な構造物を見られます。
次の駅は茶路駅、このあたり集落の代表駅と想像できます。
枕木が残っているなどの情報もありましたが、それらしいものはちょっと見つけられませんでした。こちらも1面1線の単式ホームだったようです。
それでも空き地からは、駅前っぽさを感じ取ることができます。
茶路簡易郵便局もありまして、他にもチーズ工房白糠酪恵舎というお店も見られました。
ここからは蛇行する茶路川を次々渡ることになります。
橋梁跡のオンパレード、最初に見られたのが第1茶路川橋梁です。
お次が一面真っ赤に染まったしそ畑の向こう側、第2茶路川橋梁です。
そのまま草蒸した盛土がこちらへ向かっています。
鉄道橋梁と盛り土が完全に接続しているのがよく分かりました。
廃線は国道を越えて右側へ、鍛高トンネルへと入っていきます。
続いて渡るのは第3茶路川橋梁。
ちゃんと退避場所まで綺麗に残されていました。
第4茶路川橋梁も同様の形、この先で支流の縫別川を渡る、縫別川橋梁も残っているようです。
道東自動車道の白糠ICまで来ました。ここで左折して国道392号を離れます。
この辺りに縫別駅があったようです。こちらもまた1面1線のホーム、駅跡は特に残っていないみたいでした。
その先で現れたのが第5茶路川橋梁。そろそろ同じ形のコンクリート橋梁に飽き始めたところ、しかしアッと驚かされる鉄橋が現れます。
それが第6茶路川橋梁、なんと赤く塗られた鉄橋です。
コンクリート橋とは違った立派さであり、鉄道に似合うのはやっぱりこっちかなと思わされます。
しかも凄いのが枕木まで残っているところ、使われなくなってから40年経ちますが、腐食しつつもその時を伝えてくれています。
どんどん山を登っていきまして、第7茶路川橋梁はとにかく景色として素晴らしいです。
木々に囲まれながら鉄橋が飛び出してきて、向こう岸へ橋渡す様子。まるでドローンから空撮したかのようです。
こちらも枕木が残されており、橋脚にはたくさんの流木が滞留しています。それでも今なお、その形を保っているのが凄いです。
再び国道392号へ戻っ第9茶路川橋梁、向こう側には立派な道東自動車道が山を貫いています。
第10茶路川橋梁はすぐ近くで見ることができました。
国道から392号を跨いだ先で、茶路川を渡っていきます。
昔は繋がっていたはずですが、国道と交差する部分だけ解体されています。もし崩れたりしたら危険なため、これは最近の廃線でもよく見られる光景です。
河川敷で近くから見ると非常に大きく、古代遺跡かというくらいの神々しさ。
森林から日の光を浴びに出てきたみたいです。
キャンプを楽しんでいる方もいらっしゃって、ロケーション的に最高でしょうね。
スパッと切られた断面も非常に綺麗、1時間くらい眺めていられそうです。
唯一はっきりと駅跡が残っている、上茶路駅まで来ました。
白糠駅〜上茶路駅は1964年に開業しており、1972年に北進駅まで延伸するまでは終着駅でした。
上茶路駅へ向かうのは、道道665号上茶路上茶路停車場線。舗装されておらず廃道状態、植物が繁茂しており車で入るのも難しいです。
100mほど熊に怯えつつ進むと、プラットホーム跡が見えてきました。
草どころか木まで生えているものの、十分良い状態で残っていると言えるでしょう。
何よりホーム屋根や駅名標の枠まで残っているのが凄いです。木の間から赤く錆び付いた屋根や柱が見られ、今にも傾いてきそう。
廃止から40年経って自然に呑みこまれゆく廃駅は、かなり不安げな様相を呈しています。その拮抗点に訪れられただけで感動です。
上茶路駅周辺には雄別炭山上茶路鉱があって、貨物輸送も行われていました。白糠線が上茶路駅まで先に開通したのは、ここにも理由があったように思います。
現在でも旅客ホームの裏側に、貨物ホームが残っています。
駅舎とホームの間に構内踏切があったみたいで、1974年に荷物取り扱いが廃止されるまで有人駅。その後も簡易委託駅できっぷの販売まで行われていたそうです。
いつ熊さんが来てもおかしくないようなところ、サッサと退散してきました。
上茶路集会所の向かい側に上茶路中学校があったとのことで、それを示す記念碑が建立されています。1976年閉校とかなり昔のことですが、2010年に設置されました。
再び進みまして、現れたのは第11茶路川橋梁。
ここからは1972年延伸区間ということで、何となく橋梁も更に立派に見えます。
塗装も行われており、1969年9月最終塗装と書かれていました。
橋梁上のバラストもしっかりと残っています。
第13茶路川橋梁も少し上から見下ろせて、完全にコンクリートです。
第14茶路川橋梁にはガードレールがあって、昔は道路に転用していたのかなと思われます。
国道から少々離れていた区間をすぎまして、美恵橋から第19茶路川橋梁が見られました。
この先に下北進駅がありましたが、1面1線の単式ホームは完全に自然に還っているようです。
廃線跡は国道を越えて東側へ。こちらも立体交差の橋梁は撤去されています。
最後に国道から見られた橋梁は第20茶路川橋梁。国道から離れまして、そのまま山の中へと消えていきました。
白糠線の終着駅があった、北進の集落まで来ました。
ここにも北進簡易郵便局があり、小さな集落でも営業していることに驚かされます。
数軒ひとけのある民家もありましたが、廃墟の多さが目立っていました。
北進駅は集落の向こう側、山を下った先にあります。
車で行くのは中々大変ですが、これが駅へ続く道なのです。
今では何も残っていませんが、こちらが国鉄白糠線の終着駅、北進駅跡になります。
終点でありながら無人駅で1面1線の簡素な駅、駅舎も無く待合室だけでした。
上茶路駅〜北進駅の工事は1970年に完成していたのですが、炭鉱閉山により利用客が見込めないことから、中々開業しない状態でした。当時運輸大臣だった佐々木秀世が、大臣命令の形で日本鉄道建設公団から日本国有鉄道に移管。1972年9月8日に開業させます。
計画認可時点での仮称駅名は、元の地名に合わせた釧路二股駅。足寄へ延伸の期待を込めて、北進駅と名付けられました。
しかし、1972年度から延伸工事の予算が無くなり、工事は凍結されて未成線になったのでした。
その後国鉄再建法が1980年に施行され、100円を稼ぐのに3077円かかっていた白糠線は特定地方交通線に指定。それに伴う廃線第1号として、1983年に廃止されたのでした。
上茶路駅〜北進駅の営業はわずか11年、開業時から必要でなかった鉄道は異常な短命に終わりました。
北進の集落へ戻ってきました。
北進駅開業時から周辺人口はわずかだったようで、多少の通学利用者のみがいらっしゃったそう。
それでも2001年までは北進小中学校がありました。閉校後も校舎は残っていませんが、校門やグラウンドなどから名残を感じられます。
先ほど北進駅は鉄道延伸の期待を込めてとご説明しました。
一方で駅開業前の1953年、北進小中学校へ改名されていることから、元々「北進」という地名があったのではという説も存在します。
校歌と共に記念碑が建てられており、ここに学校があったことを伝えてくれています。
小さな集落だったとしても、多くの方々がここから巣立っていかれたはず。その象徴的な存在の学校が無くなるのは、かなり大きな出来事だったに違いありません。
この先は鉄道では幻に終わった区間、足寄駅を目指します。
釧路市から本別町を結び、ここまで走り続けてきた国道392号。ここ白糠町二股・北進交点から本別町南4丁目は国道274号との重複区間です。
沿線には建物が何もなく、ただ山の中を突っ切っていくだけです。
左手には道東自動車道が見えてきました。北を迂回していく国道に対し、あちらは完全にまっすぐ貫きます。
無料区間になっているので、せっかくならと浦幌ICから本別ICで乗ってみました。
こんなに便利なの作られては、鉄道の立場がありません。
本別ICを降りまして、国鉄池北線の本別駅跡に来ました。
国道392号は本別で合流しますが、国鉄白糠線は北ルートを選んでいたため、足寄で合流することになっていたのです。
国鉄池北線も特定地方交通線に指定され、第三セクター鉄道の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線として存続しました。それも2006年に廃止されており、廃駅が残るばかりです。
そして国鉄白糠線が目指した先、足寄駅に到着しました。
1995年に開館したあしょろ銀河ホール21。足寄駅はこの館内にあって、列車が建物内へ入っていく構造でした。
これに隣接して、開業当時の足寄駅を再現した木造駅舎が建てられています。
国鉄池北線時代の時刻表が残っており、1日6往復程度、池田〜北見を行き来できたみたいです。もしかしたら釧路から白糠線を通って、北見まで直通する列車も走ったかもしれません。
その国鉄池北線も1989年に経営移管され、第三セクターも2006年に廃止。道東縦断路線は無謀な夢に終わりました。
国鉄白糠線の鉄道代替バスは残っておらず、廃線跡を巡るのは車が無いと困難です。
それでもご覧いただいた通り構造物はかなり残っており、非常に魅力的な廃線です。ぜひ機会を作って訪れてみてください。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
【運転していただいた方の動画】