おはようございます。こちらは早朝6時台の東京駅です。
2015年に北陸新幹線が開業し、東京から北陸は一気に近くなりました。
それまで東京から北陸へは在来線特急を使っていた訳ですが、メインルートの一つに含まれていたのが、新潟方面へ行く上越新幹線です。
上越新幹線で越後湯沢駅まで行き、そこで金沢へ行く特急はくたかに乗り換え。
特急はくたかが走ったのは、JRとは別路線の第三セクター北越急行ほくほく線です。六日町駅から犀潟の区間が対象であり、ここで160km/h運転が行われていました。
在来線特急が走らなくなった現在でもその高規格路線を活かし、1日1本だけ「超快速」が運行されています。
しかし、この超快速も2023年春のダイヤ改正で廃止、すべての列車が各駅停車になります。
今日はかつての東京〜北陸ルートをたどる形で、超快速で行く北越急行ほくほく線の様子をご紹介します。
20番線ホームに入線しました、とき303号新潟行き。
北陸新幹線でおなじみのE7系新幹線が充当されており、2023年春のダイヤ改正で統一。最高時速も240km/hから275km/hへ引き上げられます。
E2系新幹線は上越新幹線から撤退し、東京〜新潟は7分短縮して最速1時間29分になります。
ガーラ湯沢へ向かうE2系新幹線を見送り、先程のE7系新幹線に乗車。
この便は元々2階建て新幹線のE4系Maxで運行されていたのですが、2021年秋に引退したことで最新のE7系へ置換えられています。
スキーシーズン真っ只中の祝日とあり、この日は大混雑。デッキから通路の奥までいっぱいでした。
とき303号は高崎駅も通過してしまう速達便です。
ここで北陸新幹線と分かれまして、完全なる上越新幹線となります。
8:13 越後湯沢 着
長い大清水トンネルにより、雪国へやってきました。
スキー目的のお客さんが大勢下車され、残り3割のほとんどが新潟まで行くと思われます。
金沢方面への特急はくたかには、ここで乗り換えることになっていました。
西九州新幹線で見られる対面乗換ではなく、階段を上り下りして普通に乗り換えていたのです。
こちらは上越新幹線改札内のコンコース。左手は改札外へ出る一方、右斜め方向には在来線上越線へ乗り換え改札があります。
現在でも特に変わりなく使用されている在来線のコンコース。しかし左右はどこか仮設っぽい薄そうな壁で隔たれていました。
今は空白地帯の在来線コンコースですが、当時は北陸へ向かう乗り換え客を見込んで、お店が立ち並んでいたようです。
さて、0番線ホームには本題の超快速スノーラピッドが停車中。
電車にも関わらず、1両で完結した車両を連ねた2両編成です。見た目にはただのローカル線ですが、これから超高規格路線を駆け抜けてくれます。
超快速にはスノーラピッドという愛称がつけられていますが、これは一般に公募されたもの。特急はくたかの車両がそのように呼ばれていたため引き継いでいます。
冒頭にも触れましたが、超快速は2023年春のダイヤ改正で廃止されて、全列車が各駅停車になります。さらに、最高速度も110km/hから95km/hに引き下げられてしまいます。特急はくたかほどではありませんが、高速で駅を通過する様子を見られるのも最後なのです。
2021年度までほくほく線内の表定速度が99km/h、在来線快速列車では日本一を誇っていたほどになります。
トイレが無くても急いであげますよ、そう語る超快速で特急はくたかの姿を重ね見ましょう。
越後湯沢駅 発
新幹線ホームに一番近く、やや暗い行き止まりの0番線から超快速が出発です。
特急はくたかは9両編成で、1番線から発車していました。現在はJR上越線が使用しています。
六日町駅まではJR上越線を走るのですが、要塞みたいな上越新幹線の高架橋がそびえ立っていました。
しばらく進んでいくと、ガーラ湯沢スキー場の建物が見えてきます。スキー場に隣接しており、東京からガーラ湯沢駅まで新幹線が直通して、1時間程度で気軽にスキーを楽しめます。
ほくほく線へは六日町駅から入るため、ここには北越急行の車庫が置かれています。
ヒョロヒョロとした駅名板が特徴的、魚沼盆地では一番大きい駅です。
上越線から北越急行ほくほく線に入りまして、59.5kmの高規格路線が始まります。
まさに単線新幹線のような、立派な高架線で真っ白な田んぼを駆け抜けていきました。
その先は駅名にもなっている、魚沼丘陵をこれから貫きます。
最初に入った赤倉トンネルは、北越急行で一番長い10,471mを誇ります。
入り口は五角形のスノーシェッドに囲われており、雪の吹込みを防いでいます。
トンネル内には現在休止中の、赤倉信号場があります。特急はくたか号が走っていた時は、ここで普通列車を追い抜く事もあったそうです。
また、乗降可能な駅として存在するのが美佐島駅です。
非常に狭い単線トンネルの中、3両分くらいホームが存在します。
この駅は非常にユニークな駅で、ホームと待合室の間が分厚い扉で仕切られていて、列車が到着するまでホームに出られなくなっています。
かつて特急はくたかは160km/hでこの駅を通過していたのですが、狭いトンネルの真ん中にある美佐島駅にはとんでもない風圧が迫ることになります。
開業直前、実験的に扉を開けたまま通過させたところ、風圧で待合室のガラスが飛ばされたことがありました。これでは非常に危険ということで、列車の通過時はホームに出られず、普通列車も列車が停まってからでないと扉が開かないよう徹底されているのです。
トンネルを出た直後に設置されているのが、しんざ駅です。JR武蔵野線の新座駅と重複するため、ひらがな駅にされました。
鉄道は単にスピードを上げるだけならそこまで難しくないのですが、車体の振動を抑えたり沿線への騒音対策をしなくてはなりません。
北越急行はその大部分をトンネルとし、160km/h運行をする明かり区間では防音壁を長距離に渡って建設しています。
線内で一番大きな、十日町駅に到着しました。
JR飯山線と十字に交わる駅。北越急行の方は高架駅になっています。
元々は地上にプラットホームを設置予定だったのですが、高規格路線としての建設に舵が切られて北越急行が工事を引き継いでから高架駅へ変更されました。そのため、鉄道建設公団が建設した部分と北越急行が建設した部分の間にツギハギが見られるようです。
また、島式ホームの1面2線構造に加えて、一本の通過線が外側に存在するという珍しい構造です。
この線路が一線スルー化されており、特急はくたかが走っていた時は普通列車を追い抜くと同時に、トップスピードで駆け抜けていました。
ほくほく線のトンネルはほとんどが山岳地帯を貫くため、こちら十日町トンネルは地下へ潜っていく都市トンネルです。駅周辺の道路交通を円滑化、地下化することで除雪の手間を省いています。
トンネルから出てきたところで、日本一の長さを誇る信濃川を渡ります。
線路下を覗き込んでみると、下がスカスカになっているのが分かります。これは雪が線路周辺に積もって運行に支障が出るのを防ぐためです。
列車が通るための線路と保線員さんが歩く最低限のスペースだけが確保されており、それ以外は骨組み状態。線路に伝わる重量をうまく分散させなければなりません。
続いて突入するのが、6,199mに及ぶ薬師峠トンネルです。
トンネル内には薬師峠信号場がありますが、こちらも赤倉信号場と同じく特急はくたかが引退してから休止中です。
長かった薬師峠トンネルを抜けると、トンネルとスノーシェッドが断続的に繰り返されるようになります。
ほくほく線は7割がトンネルとなっており、ほとんどの区間で110km/hを示していました。
まつだい駅は2005年に十日町市へ新設合併した、松代町の玄関口。
2012年に廃止された長野電鉄屋代線の松代駅と表記が同じため、しんざ駅と同じ理由でひらがな駅名になりました。
冬場は毎年のように道路が寸断されて孤立状態になっており、戦前から鉄道を要望していた町でした。この路線の起工式が行われた場所でもあります。
この先通る鍋立山トンネルは北越急行で一番の難所。青函トンネルよりも開通が難しく、国内最難関のトンネル掘削だったと言われています。
鍋立山は地層が曲がった褶曲構造となっており、盛り上がった背斜部には石油やガスが溜まってガス圧が発生します。
さらに、土部分に大きな力が加わると地下水からの水圧が上昇します。
つまり、地盤の膨張とガスの湧出を伴う泥火山という、トンネル掘削には向かなすぎる地質となったのです。
特に困難を極めたのがトンネルの中央部分に当たる中工区。
現在でも普通列車が行き違う儀明信号場に斜坑を掘削するのですが、ダイナマイトで発破した瞬間メタンガスに引火してガス爆発が起こりました。
その後も地盤の膨張に苦しめられ、9kmのトンネル中残り645mというところで工事が凍結されるまでに。
工事再開後シールドマシンを使い1ヶ月に60m進んでも、カッターが詰まったため後退したところ、地盤に100m押し戻されるマイナスの進捗度に至ってしまいます。
それでも地盤を固める薬液を注入し、導坑を先に繋げてから広げる工法により、着工から22年で貫通にこぎつけました。
鍋立山トンネルを抜けた先、ほくほく大島駅は1線だけの単式構造です。元々は交換可能駅にする予定だったため、トンネル入口が少し広くなっています。
次は、虫が多すぎ!、もとい、虫川大杉駅。
白山神社にある国指定天然記念物「虫川の大スギ」に因みます。
この駅は1番ホームだけ9両編成に対応しており、端っこまで来ると反対の2両編成ホームは見えないくらいになってしまいます。
これは特急はくたかの臨時停車や、冬季運行の臨時列車シュプール号に対応したものです。
うらがわら駅は2005年に浦川原村から上越市に編入されました。
北越急行が開通する以前、直江津市の新黒井駅と浦川原村の浦川原駅を結ぶ軽便鉄道の頸城鉄道がありました。
1971年に廃止されましたが、高規格路線の北越急行へその役割を移しています。
ホームのデザインは瓜二つですが、駅舎は飛行機をイメージしたデザインという、大池いこいの森駅を通過。
くびき駅もまた特徴的なデザインの駅舎として有名で、半卵型ドーム状の建物はUFOみたいと話題です。釧路市に佇む白い立方体の住宅「反住器(はんじゅうき)」が代表作の、毛綱毅曠が設計したものです。
トンネル区間は既に終えまして、あとは高架線をトップスピードで駆け抜けるのみ。
北越急行は6灯式の信号機を使用しており、130 km/hを超える速度での進行を指示する、緑色2灯の「高速進行」に対応していました。
特急はくたかが廃止された今、最高速度は110km/hのため表示されません。
ここではスノーフリー型高架橋が採用されており、なるべく高架上に雪が積もらないよう左右にスペースがほとんどありません。
列車の車体が高架からせり出している状態です。
犀潟駅で北越急行の区間は終わりまして、JR信越本線に入ります。
今でも貨物列車が行き交う日本海縦貫線として活躍する、重要幹線です。
この超快速は新井行きのためまだ進みますが、基本的には直江津駅が終点。北陸方面への結節点であるここで下車します。
直江津駅 着
全駅停車化に加えて最高速度も最盛期の6割程になる北越急行。完全なる地域輸送へ役割を変えて、必要以上の速達性は確保しない方向にシフトします。
残念ではありますが、北越急行の役割がはっきりと明確化されたのでしょう。
北陸新幹線で第三セクターへ分離されましたが、北陸本線の起点はここ直江津駅でした。特急はくたかもここから金沢へ向けて、北陸本線に入っていました。
直江津駅は新潟、長野、金沢の3都市へ分かれる非常に重要な駅でした。さらに特急はくたかのルートも含めれば首都東京へも分かれていたのです。
新幹線開通によってその役割はほぼ消滅した状態、地域輸送の結節点に過ぎなくなりました。
直江津駅には今でも、特急はくたか(越後湯沢〜金沢)と特急北越(金沢〜新潟)の乗車位置案内が残されています。
お越しの際は、ぜひその面影も共に楽しんでいただきたいです。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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