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【4方向の路線全部廃止】名寄本線代替バスで紋別→中湧別 1日2往復のみ運行支線も[史上最長片道切符の旅(88)]
昨日の夜は国内で唯一全線廃線になった本線、名寄本線のバスで紋別に来ました。 その中でも中心的存在だったのが紋別駅。この地域にはオホーツク紋別空港がありますが、鉄道駅は無くなって全国的な鉄道空白地域です ...
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中湧別駅と網走駅を結んだ国鉄湧網線、オホーツク地域を横断する89.8kmの路線でしたが、国鉄分割民営化に合わせて1987年に廃止されています。
鉄道が廃止されても、通常は路線バスで公共交通機関によるルートが残されているものです。湧網線についても網走バスの路線バスによって維持されていました。
しかし、2010年に網走バスが湧網線のバスを廃止。このルートを公共交通機関だけで乗り通すことはできなくなっています。
途中町境でバス路線が途切れている湧網線、何とかしてこの区間を公共交通機関で行きたいと思います。前半戦は中湧別駅から佐呂間の移動です。
紋別から中湧別までは、名寄本線代替バスでやって来ました。
中湧別駅は4方向に国鉄線が分岐するターミナルでしたが、全ての鉄道が廃止されています。
ここから先では、湧網線を代替する民間のバス路線が走っていません。乗車するのは湧別町営バス計呂地・中湧別線です。
代替バスにあたる中湧別TOM〜計呂地を結ぶのは、1日5.5往復の運行。そのうち1往復は平日限定の完全予約制です。
いかにもコミュニティバスって感じの町営バスがやってきました。正面にはスクールバスのシールが貼ってある通り、その役割が非常に大きいです。
14:15 中湧別TOM 発
雪と木造駅のコントラストが美しい中湧別駅跡を正面に見つつ、1人旅行客を乗せたバスが出発します。
先ほど名寄本線代替バスで走ってきた市街地を、少しだけ逆戻りです。
道道712号と国道239号が重なる主要交差点には、ツルハドラッグやニコットなど大手チェーン店が集まっています。バスはここから網走へ至る、国道239号へ入りました。
湧別支線の廃線跡を整備した、オホーツク・リラ街道と交差します。
湧別町の市街地から一変、住宅も数少ない雪原の中を走ります。
こういうところにも何とかして名付けた停留所が設置されており、町民の足を確保しています。
かなり古くから使われていそうな牧場のサイロなど、北海道の最果て感溢れる光景です。
再び集落が見えてきました、こちらは芭露市街地です。
住宅や商店など多く見られまして、湧別町における主要集落の一つです。
ここからは年配の方お2人が乗ってこられました。
セイコーマートグループのコンビニ、ハマナスクラブがあるだけでも生活には困らなさそうです。
このバスは湧別町立芭露学園に乗り入れます。芭露小学校と湖陵中学校の統合により2018年に開校した義務教育学校(小中一貫校)です。
小学生の児童さんが3人乗ってこられ、スクールバスとして機能していることが分かります。
学校を出て正面を見ると、こちらが芭露駅跡になります。跡地には老人福祉施設サポートセンターばろうが建てられました。
2006年までは駅舎やホームが残されていましたが、保存が困難になり解体されています。現在はこの建物の向こうに、石碑が立っているそうです。
橋梁などは残っていませんが、湧網線もこの芭露川を渡っていたはず。
葉っぱを落とした森林の中、廃線跡が続いています。この辺りは遊歩道に転用されているとのこと。
これを辿った先には駐車場があり、凍てつくサロマ湖が広がっていました。
芭露の水芭蕉群生地とされており、湿地にはつぼみのように丸く小さい花が咲くとのこと。
廃線跡は湖沿いを走り続ける一方、バスが走る国道239号については、少し登って山の中へ。
ここで突然、遊園地が現れました。
こちらは道の駅愛ランド湧別、ファミリー愛ランドYOUとサロマ湖いこいの森が隣接しています。
丘の上に位置しているため、観覧車やレストランからはサロマ湖を一望できるそうです。
再びサロマ湖の近くまで降りてきますと、廃線跡沿いを走行します。
真横にサロマ湖の景色が広がっており、列車からこんな車窓を眺められた時代が羨ましい限りです。オホーツク海とは違って静かな湖畔、夏の景色も見てみたくなります。
志撫子川の河口に広がる、志撫子仮乗降場が位置した集落を走行。かなり住宅の数も少なくなっています。
これを抜けると計呂地まで出てきました。
路線上にはフリー区間が設定されており、この時はマルサ斉藤商店に立ち寄っています。
あまり詳しくは書きませんが、途中児童さんの各家近くで停まっており、スクールバスとしての役割が現れています。
14:50 計呂地 着
現在までその姿が残される、計呂地駅跡で下車。ここまでの料金は680円でした。
このバスはこの先19号線まで行くのですが、湧網線のルートから外れてしまいます。
湧別町と佐呂間町の境界直前が終点で、周りには住宅1軒だけがあるそう。それなら佐呂間町まで行ってほしいものですが…。
計呂地駅跡については、計呂地交通公園として保存されています。
駅舎の姿もそのまま、JR北海道の駅でも馴染みあるデザインとなっており、国鉄時代からのものだと再確認できます。
冬のためカバーが掛けられていますが、C58形蒸気機関車と、国鉄旧型客車スハ45形、オハ62形が静態保存されているそうです。
プラットホームには駅名標が立っており、現役時代を思わせる姿を今に残しています。
さて、駅舎の裏側へ回ってみると、転轍機など鉄道関連の設備がいろいろ集まっていました。
ここで分かるのが、計呂地交通公園はただの鉄道公園では無いということ。
「ライダーハウスSLの宿」と看板が立っています。
なんとライダーハウスとして活用されていまして、客車や駅舎に泊まることができるのです。
残念ながら新型コロナウイルスをきっかけに現在は休止中。
5月1日から10月31日の営業なのでそこまで関係ありませんでしたが、なんとか今年の夏は再開していただけたら嬉しいです…。
この先も続く湧網線、しかしお隣の佐呂間町へ町境を越えるバスは設定されていません。
しかし、佐呂間町まで行けば廃線に沿ったスクールバスが走っています。
と言う訳でお隣の廃駅、床丹駅まで約4.6km歩きましょう。
郵便局や商店など見られ、ある程度の規模感を有する計呂地を出発です。
左手奥の方には盛り土が見られ、おそらくあれが廃線跡でしょう。ここからはだんだんと離れていきます。
途中の牧場では、牛さんが不思議そうにこちらを見つめてきました。
こんなところ歩いてる変な旅行客がいるぞ…。
名寄から国道239号を走り続けていましたが、看板には国道238号の表記。
これはオホーツク国道と呼ばれる国道238号は網走〜稚内を結んでおり、興部〜網走において重複しているためです。
バスは右に分かれる道道685号を走りますが、湧網線ルートとしてはこのまま真っ直ぐ進みます。
計呂地橋によって計呂地川を渡ります。
冬季通行止めにできそうな大きな柵が設置されていましたが、除雪していただいて通れるようになっており、非常にありがたいです…。
もしここを通れなかったら、どうしたら良いのやら。
だんだん山を登っていきまして、歩行者がいるとは想定されていない道を歩いていきます。
振り返ると緩やかに登っているのがよく分かりまして、一面真っ白な丘には動物の足跡だけがスタンプされていたり。
いよいよ峠に差し掛かり、湧別町から佐呂間町に入ります。
両側にカントリーサインが設置されているのですが、横並びで絵が並ぶのは珍しい気も。
路線バスが越えることのない峠より、今度は下り坂になります。
左手に分かれる道の先には若里港があって、この後乗車するバスはここから来ます。浜床丹仮乗降場についても、これを進んだ先あたりに位置していました。
引き続き国道を歩いていると、左手に何やらコンクリートの構造物が見えて来ました。
あちらが北側へ離れていた、湧網線の廃線跡です。
防雪林に守られた盛り土、非常に分かりやすくなっています。
国道はまっすぐ網走へ連れていってくれるのですが、湧網線は佐呂間町中心部を走るので、右の若里北幹線道路へ。
ここに立っている看板には、勇猛線の線路が書かれていました。
この角にはトコタン駅逓所跡がGoogle Mapに表示されていました。これは湧網線の駅ではなく、馬によって人や物資を運んでいた際の拠点と思われます。
右側から続く湧網線、太陽光パネルの奥へ斜めに交差します。
右手を振り返るようにして見ると、なんとなく盛り土がこちらへ続いているのを確認できました。
一本分岐したのち並行する道路があるのですが、廃線跡を転用したものと思われます。せっかくなのでそちらを歩いてみることに。
この道を使う人はかなり少ないようで、歩けはしますが5cm以上は雪が積もっていました。
そこにあるのはもう誰もいなくなった建物たち、なんだか不気味な空間です。
廃バスも放置されていまして、どうやらホテルの送迎バスだったみたい。
そして、この辺りが床丹駅跡です。
おそらく自転車置き場だったのでしょうか、サビサビの鉄骨が屋根らしき構造を作り上げています。
どこが駅だったのかわからない状態ですが、元々は島式ホーム1面2線で交換可能駅だったそうです。
先程映した建物の中には旧鉄道官舎も残っていました。それだけ重要視された湧網線の拠点だった訳です。
それでも現状を見ると、仮乗降場ではなく駅だった事に驚いてしまいます。
床丹駅跡で先ほどの道路と接続しており、ここがバス停です。
雪に埋もれているとか関係なく、ここがバス停だと示すものは何もありません。事前情報が無いと絶対に分かりませんが、待っていたらバスが来るはず。
数台車が行き交いますが、完全に不審者を見る目でした(笑)
遠くの方から黄色い車体が見えて来ました、こちらが佐久間町ふれあいバス若里・トカロチ浜線スクール1号下校便です。
手を挙げて乗車することを伝えるタクシー方式、佐久間町中心部まで連れて行ってくれる、この上ない安心感です。
16:20 床丹 発
バスには高校生らしき方が、お一人乗っておられました。
先ほどの床丹含め、このあたりの字は「若里」、神社や簡易郵便局がある若里の中心部です。
ふれあいバスのバス停もある若里小学校跡には、2021年8月に若里ジャージーミルク工房ARVOさんがオープンしました。
土日祝のみ営業しており、ジャージー牛を使ったジェラートが非常に人気とのこと。
若里仮乗降場はこの辺りから離れており、山の向こう側に位置していました。
佐呂間町中心部に入りました。
佐呂間高校や佐呂間中学校、佐呂間町役場など、まさに自治体における機能が集積していることがわかります。
こちらが中心大通りとなっており、暗くなってきた時間帯には電気屋さんの光に安心感を感じます。
16:34 バスターミナル 着
料金は無料となっており、まさにスクールバスです。
それでも今回のように旅行者でも利用することができます。完全に税金で維持されていることに感謝です。
広い待合室を備えた佐呂間バスターミナル。
町の中心部に乗り入れる民間路線バスが完全撤退した一方、町営ふれあいバスの路線が数多く設定されており、この点は珍しく思います。
バスターミナルのすぐ横には広大な敷地を有する、佐呂間駅跡を見ることができます。当時は単式ホームと島式ホームを組み合わせた、2面2線の行き違い可能な構造だったそう。
鉄道記念館になっており、D51形蒸気機関車をはじめとした車両が保存されています。特にスユニ50形が郵便荷物合造車で珍しい車両とのことです。
鉄道記念館にあったAコープサロマは、看板のフォントといい、照明の黄色さといい、昭和レトロを感じるお店でした。
路線バス網では外界から独立した佐呂間町の中心街、大通を歩いていると遂にここまで来たんだなという実感が沸々と湧き出しました。
サロマ湖沿いにはリゾートホテルがありますが、こちらでは旅館が2軒あります。
今回宿泊したのは、もりた旅館さんです。
典型的な北国の宿、氷点下2桁でも室内はぬくぬくです。
歩いて10分以上かかりましたが、セイコーマートサロマまで行ってきました。どんなに遠くでもこのコンビニで買いたくなるものです。
大浴場とは言い難いですが、ちょっと広めの浴槽に浸かりまして、おやすみなさい…。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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