北海道で一番長い本線をもつ、JR根室本線。
函館本線滝川駅より釧路を経由して根室へ至る、北海道を横断する鉄道です。
かつては札幌から道東を結ぶ優等列車も走った幹線、難所だった狩勝峠では1966年に線路付替も行われました。
その後、1981年に石勝線が開通したことで狩勝峠区間を走る優等列車は消滅。
さらに台風による大きな被害を受けてバス代行輸送が続き、富良野〜新得については2024年春をもっての路線廃止が決まりました。
かつての旧ルートに加え、半年足らずで路線図から消えてしまう大幹線の現状を見て回ります。
まずやってきたのは石勝線と根室本線の分岐駅、新得駅です。
発車標には可愛らしいマークと共に数々の特急列車が表示されていますが、新得〜新夕張に関しては特急列車しか走っていない区間です。
そして根室本線の新得〜東鹿越については、この通りバス代行輸送が継続されています。
今日は鉄道運行が行われている富良野〜東鹿越で大雨が降っていたため、それと接続する代行バスも運休。その姿を見ることはできませんでした。
代行バスは新得駅前のロータリーから発着していたのですが、現在駅前再整備の工事中。駅近くに複合施設や温浴宿泊施設まで建設されるとのことです。
代行バス含め停留所は、隣接する駐車場に移設されていました。
それでは新得駅を出発しまして、まずは狩勝峠へ向かいましょう。
石勝線と並行して走っていますと、機関車が見えてきました。新得町SL広場として整備されており、ここからは狩勝ポッポの道が続いています。
狩勝ポッポの道とは根室本線の旧線跡。10kmに及び整備された遊歩道には、橋梁やレンガ積み官舎など多くの鉄道遺産が残っているそうです。
その行き着く先が旧狩勝線ミュージアム、狩勝高原SL広場です。
国道38号から一本入ったところには、この通り蒸気機関車が展示されています。
この先でご紹介しますが、根室本線旧線のシンボル的存在だった大カーブを模した線路を敷き、エコトロッコと呼ばれる軌道自転車を楽しめます。
写真に映っているものでは無いですが、中には国鉄白糠線の上茶路駅跡に放置されていた軌道自転車を、再活用したものもあります。
ブルートレインの20系客車を連結しており、行き先方向幕もアレンジされていました。
ここには新内駅があって、両隣には主要な鉄道遺構である、まりも橋と新内隧道が刻まれてます。
駅そのものは解体されていますが、プラットホームに寝台車が止まっている雰囲気を楽しめます。
新内駅跡より狩勝峠をぐんぐん登り…
左手の景色もだんだん広くなっていき、美しい眺望に期待を寄せます。
タイヤ交換などできそうな国道沿いの広いスペースには、旧狩勝線鉄道遺産群の看板が立てられていました。
そして、ここから眺められるのが根室本線旧線の大カーブ。
しっかり成長した木の高さまで盛土されており、半世紀以上経ってもこれだけ遠くから、自然に呑み込まれず見ることができました。
スノーシェッドを抜けにかかりますと、いよいよ狩勝峠の頂上です。
1合目から掲げられていた看板も、頂上ではオジロワシになって飛び立ちます。
代行バスで来たこともありますがいつも素通りしてしまうので、しっかり降り立つのは初めてです。車でないと訪れるのは困難です。
かつて賑わったであろうドライブインも、現在は自動販売機が残っているだけに。
駐車場から国道を挟んだ先には、狩勝峠の展望台もあります。
そしてこちらが狩勝峠からの眺望です。
足元一面には北海道の原野と山、そして遥か彼方に十勝平野が広がるという、自然の中で開放感感じられる空間でした。
そして何が凄いかって、ここを根室本線旧線が走っていたことです。
あの景色列車から見られたなんて、言葉に表せない羨ましさ。国鉄三大車窓に選ばれて然るべきです。
近くには地蔵尊が建てられています。こちらは1933年に狩勝峠で雪崩が発生し、それに巻き込まれた国鉄職員2名を弔うもの。
一見綺麗な景色ですが、スキージャンプのような急斜面で心臓が点になるところ。そんな山を切り拓いた場所なのです。
この峠を境として、新得町から南富良野町へ入ります。
新線と旧線の境界となった、落合駅に到着です。
駅舎は2010年代にお色直しされたため明るめですが、木造駅舎として残っています。
7年に渡って列車が来ず、使われなくなったプラットホーム。植物が繁茂し、氷雪による侵食で危険が伴うため、ホームに立ち入りできなくなりました。
駅舎はバス待合室として、入ることができます。
お寺にありそうな分厚い座布団が溢れんばかり、田舎の駅で触れられる温かさです。
近くにある人道橋から、落合駅を俯瞰できました。
跨線橋の向こう側からは、植物の波が襲いかかってきます。かろうじてプラットホームが堰き止めており、線ろが僅かに見られる程度です。
かつては落合機関庫が置かれ、狩勝峠を越える狩勝トンネルに備えた鉄道の拠点でした。それだけでなく木材工場から専用線が引かれ、製材輸送の役割も担いました。
今度は反対側の新得駅方面を向きました。
草に覆われて見づらいですが、新線は右側の第1落合トンネルへ、旧線は上の道路に沿う形で左へ曲がっています。
ここも2016年夏上陸の台風10号被災現場。トンネル内に土砂が流入してしまいました。
落合駅周辺には国道沿いに廃屋がずらっと立ち並び、町立落合小学校も2014年廃校となっています。
続いてやってきたのは、南富良野町の中心駅である幾寅駅です。
映画『鉄道員』のロケ地になったことでも知られ、鉄道ファンに限らず車で訪れる方がちらほらいらっしゃいます。
駅周辺に残された雰囲気ある建物は、映画のロケセット。年季の入り具合がなじみすぎて、普通の町並みに思ってしまうほどです。
映画で使用されたキハ40が展示されています。
手で扉を開けて車内へ入ることもできました。
こういう展示車両に入ると乗ってみたかったな〜と羨ましさがありますが、まだ北海道で見慣れた車内とあって、そう思わないのが不思議です(笑)
幾寅駅の駅名標より、映画内で登場した「幌舞駅」の主張が凄いです。
もちろんプラットホーム上には正式に、幾寅駅の駅名標が立っています。
プラットホームから駅舎へは階段を降りる形。ここには線路があったようですが取っ払われて、交換設備も無い1面1線の単式ホームになりました。
駅舎内の駅事務室には、鉄道員ロケーション記念展示コーナーが設けられています。
映画撮影で使用された幌舞行サボや暖簾、映画ポスターなどが飾ってありました。
制服やJR北海道でお馴染みのホーロー駅名標など、鉄道ファンなら大興奮です。
幌舞線は美寄駅〜幌舞駅を結ぶ路線、美寄駅の撮影は函館本線滝川駅で行われました。美深と名寄を合わせたような地名で、あまり違和感ないのが面白いです。
列車と代行バスの乗り換え駅となっています、東鹿越駅へ来ました。
この駅は2017年春のダイヤ改正で廃止される予定でした。
しかし、2016年夏に台風10号の被害を受け、代行バスへの乗り換え駅として存続。結果的に災害によって延命した駅です。
当時1日あたり平均乗車人数は0〜1人。代行バス乗換駅になったことで、50人前後にまで上がっています。
1面2線の交換可能駅となっていますが、遂に運行上の終着駅として歴史を終えることになりました。
ホーム上には石灰石のモニュメントが置かれています。
かつては日鉄鉱業東鹿越鉱業所へ専用線が伸びており、釧網本線中斜里駅近くのホクレン中斜里製糖工場へ、石灰石輸送の貨物列車が1日1往復運行されていました。
現在でも鉱業所は現役ですが、1997年に貨物列車は廃止。JR貨物の駅としては車扱貨物の臨時取扱駅となっているそうです
本来ならここで普通列車をお出迎えしたかったのですが、今日は大雨のため運休。残念ながら列車の姿を見ることはできませんでした。
東鹿越駅を境に、ここからは鉄道運行が行われている区間。それでも2024年春をもって廃止予定です。
金山ダムによって作られたかなやま湖、その縁を渡る根室本線の鉄橋を見られました。
線路の対岸にはラベンダー畑があって、キャンプ場なども整備されています。残念ながら時季は外れてしまいましたが、美しい紫色で一面染めてくれるはずです。
金山ダム建設に伴い根室本線は湖へ沈むことになったため、東鹿越駅〜金山駅の一部区間は1966年に付け替えられています。
かなやま湖の近くを過ぎまして、金山駅に到着です。
名古屋地区において、東海道本線と中央本線の分岐駅として知られる金山駅と同名。これと区別するためきっぷ等では(根)と付記されます。
ホーム上には煉瓦積みのランプ小屋が残っています。
明治時代、木造客車の車内照明には灯油ランプが使用されており、各客車の作業窓からランプを吊り下げていました。これらのランプや燃料を収納していたのが、こちらのランプ小屋だったのです。
こちらにももちろん窓口跡が残っており、駅ノートやイラストなどが展示されていました。
現在でも列車が来る途中駅、2面2線構造で行き違いできるようになっています。
町内2校だけになった小学校、金山の集落にも南富良野西小学校が見られました。
その近くにあるのが、お隣の下金山駅です。
1939年に新築移転したというこちらの駅舎。1913年開業の駅ですが比較的コンパクトな建物になっています。
それでも待合室内に窓口跡があって、田舎の小さなバス停みたいな印象でした。
かつては交換可能駅だった島式ホーム。駅舎寄りの線路が剥がされており、1面1線構造になっています。
富良野市に入りまして、山部駅周辺の街並みです。
これまでとは明らかに市街地の規模が異なり、銀行や商店なども見られました。
山小屋ロッジ風の駅舎は、1988年のバブル期に建設されています。
駅舎内も非常に綺麗で、まさにおしゃれカフェの様なデザイン。天井にファンでもつけたくなります。
こちらの駅にもランプ小屋が残っており、当時は主要駅として位置付けられていたことが分かります。
2面2線で行き違い可能な構造、駅舎と反対側には停留所型のプラットホームが設置されていました。まるで別の駅みたいです。
次の布部駅近くには自動車専用道である旭川十勝道路、富良野道路区間が布部ICがこちらから始まっています。
布部駅周辺は、一軒家が立ち並ぶような集落。
ドラマ『北の国から』麓郷に戻る主人公が降り立った駅とされています。
古くからの写真など展示されており、1927年開業時からの歴史がここに詰まっていました。
東京帝国大学北海道遠州林や森林資源開発のために設置された請願駅。かつては森林軌道の路線が伸びていたとのことです。
まるで行き違いできる駅のようでしたが、端っこまでいくと植物に埋もれており、とても列車が走れる状態ではありません。
また、プラットホームの真ん中には大きな木が立ち往生、これを境に行き来するのも大変でした。
富良野駅に到着し、2024年春廃止区間を終えました。
明治時代から路線そのものの変遷含め、形を変えてきた根室本線を見てきました。
そんな長大幹線も、遂に途切れることとなります。
東鹿越行きの普通列車も、あと半年ほどで終わりです。
長い歴史を感じつつ、これから冬を迎える根室本線へ是非訪れてみてください。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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