かつて石炭産業で大いに栄えた夕張市。
鉄道黎明期から路線が多く張り巡らせていき、港への石炭輸送を担いました。
その一つが夕張鉄道、函館本線野幌駅から室蘭本線栗山駅を経由し、夕張本町駅までを結んでいました。
1975年に廃止されてからそのルートをたどっていた路線バス。しかし、夕張鉄道バスは以下の路線を2023年9月を廃止することにしています。
・新夕張駅前~栗山駅前~新札幌駅前(3往復)
・りすた~由仁駅前~新札幌駅前(急行、5往復)
・栗山駅前~南幌ビューロー~新札幌駅前(4往復)
これにより夕張〜札幌、夕張〜栗山、夕張〜由仁の路線バスが無くなります。今回はこちらで夕張鉄道ルートを辿ってみることにしました。
やってきたのは夕張鉄道の起点駅、野幌駅です。
札幌のベッドタウンとして発展している江別市、その中でも利用者が多い駅となっています。2011年に高架化され、デンマーク国鉄共同デザインで、江別市の木「ナナカマド」をイメージした赤色が特徴的です。
夕張鉄道が走っていた時代は地上駅、旅客ホームだけで2面5線構造の広い構内になっていました。
江別市は明治時代からレンガのまち、特に野幌で生産が盛んでした。現在でも市内3ヶ所のレンガ工場が稼働しており、国内煉瓦生産20%以上のシェアを占めています。
駅舎にもレンガが用いられており、江別市玄関口のひとつとして素敵なデザインです。
そして高架化されたため駅周辺で痕跡はありませんが、夕張鉄道は旭川方に東へ分岐していました。
野幌駅からは数多くの路線バスが発着しています。
特に江別市内各方面、そして鉄道が結ばないまちを繋ぐルートが形成されている印象です。
今回乗車する夕鉄バスが発車するのは南口6番のりば。「夕鉄バス」の通り鉄道の名前が残っています。
札幌市からやってきました路線バス、こちらは栗山駅前行きで夕張までは行かないので、途中で降りることにします。
13:09 野幌駅南口 発
野幌駅南口のロータリーより出発です。
夕張鉄道はしばらく函館本線と並行しており、おそらく跡地上に大きな集合住宅が建てられています。
野幌バスターミナルに立ち寄ります。
夕鉄バスのバスターミナルとなっており、車庫にもペイントがされています。真っ赤な大型バスも止まっていました。
この辺りには隣駅の北海鋼機前駅があったようです。
ここから廃線跡は、ふるさと農道江南通りへ分かれていきます。
バスは引き続き函館本線沿いを走り、高砂駅前を通過。
江別駅手前まで来ましたがこのバスは立ち寄ることはせず、その手前で夕張方面へ向かいました。
バスの乗客は2人、江別市内で1人下車されます。
そして夕張鉄道の廃線跡を転用した「きらら街道」上を走ることになります。ほぼ完全に鉄道からの車窓と重ねられるはずです。
千歳川を渡り、江別市から南幌町に入りました。
正面にはかなりの急勾配、おそらく右側の細長い空き地や盛り土辺りが廃線跡だったと思われます。
きらら街道を少し外れ、南幌温泉に立ち寄っていました。
建設中の道央圏連絡道路を潜ります。
2020年春に千歳東IC〜南長沼ランプが開業し、南長沼ランプ〜江別東ICで建設中。新千歳空港から石狩市を経由して、小樽の銭函ICまで接続します。
道路に転用されているのはカーブのところまで、廃線跡はそのまままっすぐ、舗装されていない空き地が続きます。
南幌町中心部までやってきました。
こちらは2023年春に閉校したばかりの南幌高校。最後には三年生6人が卒業しました。
南幌町立病院前で1人下車。車内は誰もいなくなってしまいます。
13:43 南幌役場前 着
元々は幌向村だったのですが、岩見沢市に同名の地名があったため、1962年の町制施行で南幌(みなみほろ)町になりました。1968年に現在の読み「なんぽろ」に改称されています。
こちらが南幌町役場。南幌ニュータウンと書かれていますが、1990年代に札幌のベッドタウンとして人口が5000人から9000人まで急増しました。
街を歩いていきまして、南幌ビューロへやってきました。ここにバスターミナルが入居しており、路線バスとすれ違います。
その近くには南幌町スポーツセンターがあります。この辺りが夕張鉄道の南幌駅跡地です。
歩道と駐車場の間に南幌駅跡を示す石碑が立っていたのですが、現在は取っ払われてしまっているようです。
「南幌町生涯学習センターぽろろ」の郷土資料室に夕張鉄道関連の資料が展示されているのですが、水曜定休にあたってしまい、残念ながら見られませんでした。
近くには農業倉庫が斜めに並んでいるのですが、これがまさに廃線跡です。
南幌町ビューローには展望台があるので、そこから見てみましょう。
展望台は無料になっていまして、自由にエレベーターで上がり、南幌町を一望できます。
西を向いていますと、碁盤の目状に近い形で作られている街を、完全に斜めに貫いていました。明らかにこれが夕張鉄道の廃線跡です。
農業倉庫の向こう側まで視線をやると、木が途切れているところからまっすぐこちらへ向かっています。
駐車場の斜めになった部分まで完全に接続しており、どう見ても線路跡だったことが明らかです。
今度は東側、定規で引いたように廃線跡がはっきり分かります。
白い集合住宅にぶつかり向こうには東町児童公園があるのですが、そのままきらら街道へ繋がっています。
1階のバスターミナルへ降りてきまして、廃線跡に接する車庫にはオンデマンドバス「あいるーと」がいます。
事前の電話予約により運行する乗合バスなのですが、AI配車システムによって経路が決められます。そこから「あいるーと」の名前が付けられた訳です。
14:43 南幌ビューロー 発
野幌・南幌向から1日3本運行されている、新夕張駅行きのバス。
こちらで1人下車されまして、バスには他に1人乗っている状態です。
バスは廃線跡のきらら街道ではなく、道道1080号を走っていきます。
南幌東町〜新札幌駅前の路線はこれからも運行されますが、ここからは夕鉄バスが廃止される区間に。
長沼町に入りました。中心部からはかなり外れており、町域全体からすると北部をかすめているようです。
そして廃線跡のきらら街道が、右手から近づいてきました。
北長沼郵便局の裏側を通って、この辺りで交差します。
日豊運輸の倉庫に沿っており、あの辺りに北長沼駅がありました。駅跡地には簡単な看板が立っているそうです。
こちらは2020年春をもって廃校になった旧長沼町立北長沼小学校、町内5校が長沼小学校へ統合されています。
その跡地にはNPO法人による私立小学校「まおい学びのさと小学校」が開校しており、宿題やテストの無いのが特徴です。
国道45号へ入りまして、赤とんぼもやってきました。ここから夕張まで一緒に旅をすることに。
ここから少しだけ廃線跡と並行、田んぼの中に盛り土があるのが分かります。
夕張川を渡るところで、栗山町に入ります。馬追橋の架け替え工事を行なっていまして、こちらは仮橋です。
橋を渡った先には大きなレンガの建物、小林酒造建造物群が現れます。
1878年に札幌で創業したのち、1901年に豊富な水や用地を求め、炭鉱で栄える夕張に近いここへ移転してきました。13棟が国の登録有形文化財に指定されており、今でも酒造施設として稼働しています。
室蘭本線栗山駅に到着です。
町によって整備された駅舎と隣接した施設。広々したロータリーが作られています。
人口10,975人(2023年8月末現在)と、この辺りでは中心的機能を持つ町。
栗山町、南幌町、由仁町で合併協議が行われ、市名も「東さっぽろ市」に決定していたのですが、飛地になる南幌町で反対票が多く、2005年に協議会が解散されています。
1人乗車されて栗山駅を出発。
駅から1kmほどの栗山公園には夕張鉄道の自社発注車両である、蒸気機関車夕張鉄道21号機が静態保存されているとのことです。
栗山役場入口からも1人乗車。ローカル線の駅前にしてはかなり活気があって、非常に賑やかな印象を受けました。
向かいからやってきたのは、北海道中央バス。岩見沢まで路線バスで結ばれています。
栗山赤十字病院には日赤病院前バス停が置かれていますが、ここからの乗車はありませんでした。
栗山高校前から2人乗車。昼間のため生徒さんではありませんでしたが、朝夕であれば乗られる方も多そうです。
廃線跡から完全に外れていたのですが、角田交差点を過ぎたところで、廃線跡と交差。
角田小学校より向こう側に角田駅があったようです。
国道234号から道道3号札幌夕張線へ入ります。
これだけ若い番号が札幌から夕張を結ぶ道路に充てられていることからも、夕張がどれだけ重要な町だったか想像を掻き立てられるところです。
山を越えまして、もう一つ別の集落にやってきました。
その中心部にあったのが、継立駅です。現在でも駅舎がそのまま残っており、会社事務所として使われています。
この辺りの集落を目的地とする地元の方が多く、御園口で1人下車。
次の新二岐でも1人下車されました。
右側には何か基礎部分が見えますが、ここには新二岐駅の駅舎がありました。なんと2023年2月に解体されたばかり、つい最近まで残っていたのです。
惜しいことをしました…。
すぐお隣、日の出でも1人下車されました。
太陽光パネルがありますが、おそらくこの辺りまで新二岐駅の構内だったと思われます。ここから夕張へ向かうにあたって峠越え、機関車の付け替えなど新二岐駅には大きな役割があって、その分構内も広く取られていたそうです。
栗山町から夕張市に入りました。
ようこそ夕張へと、シンボルの夕張メロンと共に迎えてくれます。
バス停の名前も「サイクリング休憩所」、もはや付けるバス停の名前もなさそうな感じです。停留所周辺には特に何も無さそうでした。
夕張鉄道はとてつもない線路の形で、この峠を越えていました。
錦沢駅を間に挟んだ三段スイッチバック、さらにオメガカーブによって急勾配を緩和して、夕張まで鉄道を結んだのです。
これに対抗できる線路の形なんて、歴史的に見てもJR肥薩線の大畑スイッチバック&ループ線くらいしかなさそうです。
一方で道路は夕張トンネルによって、簡単に貫いてしまいます。なんだか呆気ないですね。
トンネルを抜けまして、夕張市中心部の近くまでやってきました。
財政破綻による市民サービス縮小で、貴重になった公共施設の一つ、ゆうばり文化スポーツセンターです。
こっちから夕張へ来るのは初めてだったので存在を知らず、現役の立派な施設が残っていることに驚きました。何より図書館すら数年前まで無くなっていた訳なので…。
そして夕鉄本社ターミナルが見えてきました。
正面には様々な看板が。札幌から高速を使わず来た人が突き当たるので、この通り広告が集まっています。
15:44 夕鉄本社ターミナル 着
他に下車された方はいらっしゃいませんでしたが、2人乗っていかれました。
時が止まったままのようなレトロなバスターミナル、ベンチがずらっと並び、売店のシャッターは下ろされています。
路線バス利用について貼り紙がありましたが、上3本は全て廃止されることに。公共交通機関の維持は限界に達しています。
東口からは夕張市石炭博物館・新札幌方面のバスが発着します。
本社併設とあって窓口の営業は続いており、夕張市での夕鉄バス定期券や乗車券等の購入はここで行われます。
こちらが夕鉄バス本社ターミナル。
夕張鉄道時代からの社紋が掲げられています。
先ほどご覧に入れた、道道3号突き当たりの看板です。
夕張市が観光産業に力を入れた時には、もっとたくさん並んでいたのでしょうか。
夕張第一交通の前に止まっていたスクールバス、ちょうど運転手さんが乗っていかれました。
特に夕張ではバスドライバー不足が深刻で、児童の通学下校時間帯にはタクシードライバーさんがスクールバスを運転します。そのためこの時間帯、夕張からタクシーが消えてしまうのです。
2018年に廃止された、石勝線夕張支線の廃線跡が現れました。夕張鉄道はしばらくこれと並行して走ります。
そして夕張支線との乗り換え駅だったのが、鹿ノ谷駅です。
2018年に廃駅となってから5年、今でも駅舎が残されています。
駅舎内が開放されることもあるみたいで、鉄道ファン的には嬉しいところです。
駅ノートも設置されているので、旅の思い出を記していきましょう。
ホームには自由に立ち入ることができまして、JR北海道ではなくさらに昔を再現した駅名標も。
線路上にはトロッコがあって、あれを漕ぐ体験などもあるそうです。
改札ラッチが残されているほか、幸福の黄色いハンカチ思い出ひろばがあることから、黄色いフラッグが飾られていました。
駅舎内にはDISCOVER JAPANのポスターがたくさん貼ってありました。
窓口跡も残されており、駅舎内開放の時にはぜひ注目したいところです。
そして何より驚いたのが、夕張鉄道へ乗り換え案内の看板が復元されていたことです。
今日通ってきた栗山・野幌方面へ乗り換えられ、夕張最盛期を再現しています。
鹿ノ谷駅は晩年1面1線の単式ホームでしたが、かつて広い構内を有していました。
駅近くの長い跨線橋がそれを物語っており、それだけ線路を越える必要があったのです。
今は草や木が生えているところも、全部線路があったんですね。今ではちょっと信じられません。
夕張鉄道の鹿ノ谷駅〜夕張本町駅は、野幌駅〜鹿ノ谷駅が廃止される4年前の、1971年に廃止されています。JR夕張支線と完全に並行しているため、経営合理化としては十分理解できるところです。
もう少し北へ歩いたところ、志幌加別川に架かる橋梁が見えてきました。
JR夕張支線の廃線跡です。戦前輸送力増強のため複線化されており、橋梁が2基並んでいます。
1932年に単線化されたため、最後まで使われていたのは左側の方だけでした。
さらに奥へ行くと、もう1基橋台が見えてきました。こちらが夕張鉄道のものです。
かなりボロボロになって山に隠れていますが、煉瓦とコンクリートを組み合わせた歴史を感じさせるものです。
そのまま夕張駅まで、JR夕張支線廃線跡と並ぶ遊歩道を歩いていきます。
周辺にはたくさんの炭鉱住宅が立ち並んでおり、今でも生活の匂いを感じつつも、一層寂しさを掻き立てられました。
そしてJR夕張支線の終点、夕張駅に到着しました。
春にも訪れましたが、廃線から5年経ってもその姿は変わりないままです。
夕張鉄道はこの先2kmほど北へ伸びており、終点は夕張本町駅でした。
こちらは以前撮影したものですが、夕張本町駅の駅舎は夕張市民会館と合築であり、夕張市の所有となっています。
帰りは夕張駅跡近くのレースイリゾート前より新夕張駅へ。ここから新夕張駅行きのバスは17:28が最終です。
夕張支線を廃止する時、夕張市はJR北海道に対して7.5億円の拠出を求めました。
これは1日10往復の新夕張駅前〜石炭博物館の路線バスを20年間維持するための資金です。そのため計算上ではありますが、この路線については2038年まで安泰のはず。
拠点複合施設「りすた」を経由。消滅していた図書館がここに復活し、公共交通機関の結節点にもなっています。近くには夕張高校や夕張中学校もあるので、生徒さんの学習施設としても貴重なものかと思います。
新夕張駅に到着しまして、夕張鉄道を辿るバスの旅はこれで終わり。
路線バス、更に夕張市の財政上コミュニティバスでの維持も困難だった、今回の路線。
産業が無くなくなってから人口が流出し、バスドライバー不足も加わって、公共交通機関の維持の困難さが浮き彫りになりました。
道内の足がどんどん削られる一方、どうしても割り切らざるを得ないのも現実です。
資金や人材が限られる中、なるべく効率的な配置と技術導入が必要なところに思います。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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