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【天草アクセス観光列車】A列車で行こうで天草諸島へ![36ぷらす3長崎(3)]
久留米駅から鹿児島中央方面へ、九州新幹線に乗車中です。 当時発表されたばかりの、布団掃除機にしか見えない西九州新幹線の広告も差し込まれていました。 今回の舞台は熊本県。熊本 ...
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今日の経路図
JR九州のD&S列車、A列車で行こうから船に乗って、天草に宿泊しました。
朝から本渡城跡の山を登っているところ。天草の街を上から望めます。
最初に来たのは天草キリシタン館です。
江戸時代に禁じられていたキリスト教、弾圧されていた頃の生活が分かる踏み絵などが展示してありました。
また、島原・天草一揆がどのように争われていったのか、詳しく解説されています。学校の授業ではサラッと触れただけですが、自らの信仰を大切にして戦ったその様子が伝わりました。
キリシタン館から山を降りて、町山口川にかかる祇園橋へ。
石造桁橋では国内最大級、さらに全国的にも珍しい多脚式であることから国の重要文化財に指定されています。
一方で、島原・天草一揆の際は、この川を挟んでキリシタン軍と唐津藩の争いが起こりました。屍が川の流れをせき止めるほどだったと言い、ここにはその様子が詠まれています。
「町山口川の 流れせきとめし 殉教者の むくろ数百千にして 名をばとゞめず」
ここからはバスに乗って、今いる下島の北部、苓北町の富岡港に向かいます。
やって来たのは丸っこくてレトロなバス。コミュニティバスみたいな見た目ですが、くまモンのICカードの他、Suica等も利用できます。
天草市は熊本県第三の街です。ロードサイド店舗には大手チェーンもたくさん出店しています。
バスはどんどん山の中へ。この道の奥には天草空港があり、天草エアラインの拠点になっています。
訪れた時季はGWが終わった頃、保育園ではまだ鯉のぼりが泳いでいました。
バスは長閑な田舎道を走っていきます。
そして遂に海が見られるところまで到達しました。国道389号へ抜けます。
まるで海のど真ん中にいるような、非常に色の濃い青色。このあたりではイルカウォッチングも楽しめるそうです。
天草市から苓北町に入っています。
天草慈恵病院の横を通過。ロータリーへ入っていくのかと思ったら、バス停は道路上に設置されていました。
苓北町役場は真っ白でかなり新しそう。カーブを多用していて、現代的デザインです。
町内には唯一の高校、県立天草拓心高校マリン校舎があります。
苓北町の港、富岡港は下島と島をつなぐ陸繋砂州に位置します。この辺りは函館を縮小したような地形です。
富岡港に到着しました。
ここからは高速船で、長崎市南東部の茂木港へ向かう予定です。
船は1日4往復。まだ時間があるので、港周辺を観光していきましょう。
陸繋砂州に広がる苓北町の中心部。
その先、陸繋島の頂上にあるのが、富岡城跡です。
頂上にはお城の石垣と建物が分かり、のぼりがたなびいていました。ここも島原・天草一揆の時、争いの地であった場所です。
お城へ向かって歩いていく道中、稲荷神社の赤い鳥居が並んでいました。
森林の中をトレッキングしているような感覚です。
かなり汗だくになりましたが、15分程歩いて到着。
ここにはビジターセンターがあって、無料で苓北町について知ることができます。富岡城関連の歴史はもちろん、海の幸やお祭りなどの魅力も。
休憩所から港の町並みを見下ろします。こうして見ると、下島へと繋がる陸繋砂州の地形がよく分かりますね。
さらに、左側からびよ〜んと砂嘴が伸びています。この辺りは地形好きには堪らないところです。
島原・天草一揆では、先程の町山口川の戦いの後、ここ富岡でも激戦が起こりました。
最終的には島原半島へ渡り、原城の戦いにおいて幕府軍の勝利に終わっています。
現在は平和な海の風で揺れる旗。当時は生死を賭けた戦が繰り広げられていたのです。
このような平和な景色が広がるばかりで、良かったなと感じます。
さて、山を降りて港近くへ戻ってきました。
港の海水も透き通っているほど、砂浜ではありませんが沖縄みたい。
窓口にて乗船券を購入。学割で片道1830円、大人は2030円です。
こちらの平べったい高速船に乗り込みます。
船内はこんな感じ。離島の小さな港へ就く船ってイメージ通りです。
13:40、富岡港を出港しました。
天草拓心高校の船では、くまモンが手を降ってくれています。
ぜひ行ってみたかった天草諸島に、別れを告げます。
右手には島原半島の雲仙普賢岳が見えてきました。今度はあちらの島原半島へ渡りたいですね。
そこから正面に目をやると、長崎半島です。
茂木港は半島の付け根に位置、船はゆっくりと入港します。
45分ほど船に揺られて、14:25茂木港に到着です。
ここから入る人は全体からして非常に少ないでしょうが、長崎への玄関口です。
ここから長崎の中心部へは、路線バスがあります。
14:42 茂木港 発
長崎バスの稲佐橋行き、夜景を見るのに有名な稲佐山近くですね。ICカードはSuica等に加え、エヌタスTカードというマイナーなカードも使えます。
車内はゴムマット?敷ですが、椅子の下は完全に板。中々年季の入ってそうなバスです。
走っているのは坂の街、長崎。山にへばりつくようにして住宅街が広がっており、なかなかの迫力です。
こういう山の中を走っているとこの先に市街地が…?と思ってしまいますが、長崎の場合は山まで市街地が侵食しているのです。
途中の崇福寺にて降ります。
近くには長崎電気軌道本線の終着駅、崇福寺駅があって、ここから中心部へ行った方が、均一料金で安く済むのです。
長崎電気軌道は本当に面白い路面電車です。
ここ崇福寺駅もその一つ、なんと終着駅が川の上にあります。
停まっている状態でも、下を向けば川が流れています。
崇福寺駅を出発。木次線を走る観光トロッコ、奥出雲おろち号みたいな列車がすれ違いました。
列車はアーケードの真ん中を、ゴトゴトと走っていきます。長崎の路面電車は安くて便利ということで、かなり利用者さんもいるようです。
バスは長崎西洋館という建物の中を走っていきます。これは立体交差ではなく、れっきとした「トンネル」です。
外から見ても非常に面白いこの光景。しかし、この長崎西洋館も2023年5月末で閉店してしまいます。
平和公園停留場にて下車。隣にはJR長崎本線の高架が通っていました。
噴水の向こうにはナガサキのシンボルとも言える、平和祈念像があります。
この平和記念公園は、長崎刑務所浦上刑務支所跡を含みます。原爆投下により全壊、ここにいた人は全員亡くなってしまいました。
現在はその土台部分だけ残されています。
平和像の顔は特定の人を表していませんが、モデルは陸軍大尉であった吉田廣一。柔道・レスリング等の指導者でオリンピック選手の育成にも努めました。
浦上天主堂についても被爆し、崩れ落ちていました。
こちらも保存する考えがあったようですが、解体されて1959年に鉄筋コンクリート造で再建。一説には1955年に長崎がアメリカのセントポールと姉妹都市提携し、アメリカからの圧力があったからではとも言われています。
こちらが原爆投下の爆心地です。右には浦上天主堂の一部が残されています。
最後に、長崎本線浦上駅もまた原爆の被害を大きく受けた場所。骨組みだけになっている写真が残っています。
天草から西九州新幹線開業で注目される長崎へ。数々の歴史遺産を巡ってきました。ぜひ日本人として訪れるべき場所であり、色々考えさせられるところでした。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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