特急かもめで長崎駅までやってきました。
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有明海沿いのカーブを駆ける 特急かもめに乗車【九州一周17】
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大屋根の特徴的な長崎駅。現在は高架化され、地上ホームは解体が進んでいます。
いずれはこの駅舎も駅らしさを失ってしまうことでしょう。
長崎駅近くの中華 大八さんにて長崎ちゃんぽんを頂きました。
鮮やかな野菜に食欲もそそられ、濃厚なスープとシャキシャキとした食感。大変おすすめできるお店です。
さて、長崎電気軌道に乗車しまして、長崎市内の観光へ向かいます。
5番系統の終点、石橋駅までやってきました。
本来は終点までくる必要はなかったのですが、折角なので乗車。鉄道ファンなら、よくやっちゃうやつですね。
路面電車の1駅分、200mちょいを引き返し、大浦天主堂まで。
グラバー通りの入り口近くには、長崎ちゃんぽん、皿うどん発祥のお店、四海樓さんが。相当立派な建物でポケモンジムかと。
最初に駅近くで頂いた長崎ちゃんぽんですが、清の福建料理を元にしたものの、一応日本発祥の料理のようです。
また、このはボウリング発祥の地でもあるようです。海外の文化が最初に入って来ていた長崎だからこそ、様々な発祥の地があるのですね。
グラバー通りと呼ばれるお土産屋さん等が立ち並ぶ坂を上っていきます。
大浦天主堂やグラバー園に続くからという理由はもちろん、山手と呼ばれるこの辺りの地域が外国人の居留地だったのもあって西洋風な町並みです。
それでは最初に世界遺産でもある『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』、その代表ともされる大浦天主堂へ向かいますが…
入り口の柵が閉まり、観光客がその前で立ち並んでいました。
新型コロナウイルスの影響で大浦天主堂も閉館してしまったようです…。
仕方がないので柵の隙間から見る事にします。
いまだ禁教令が続いていた江戸時代末期、外国人のための教会として建てられた大浦天主堂ですが、日本人とも深い関係があります。
一つは1597年、豊臣秀吉の命令によってキリシタンである日本二十六聖人が殉教されたことです。
大浦天主堂の正式名称は日本二十六聖殉教者聖堂であり、殉教された方々のために協会なのだと分かります。
もう一つは日本人の信徒発見に繋がったことです。
当時としては物珍しい建物だった大浦天主堂に、多くの人が見物に来ていました。その中に紛れて潜伏キリシタンの方々がプティジャン神父にキリシタンであることを告白したのです。
200年もの間切り離されかけていた日本とキリスト教の繋がりが、再び戻っていくような歴史が感じられるような所でした。
続いて向かいましたのはグラバー園。
坂の街として知られる長崎の山に様々な西洋建築が立ち並びます。
その中でも有名なのが旧グラバー邸ですが…。
工事中らしく(笑)
帰らないでくださいと言われちゃ、帰るわけには行きませんな。逆に工事中の様子を見られるなら良いと思うことにしましょう。
長い長いエスカレーターできつい坂を登っていきます。
個人宅の周辺はすりガラスで見えなくなっていますが、それ以外の所では景色を一望できました。
一番最初に見えるのが、旧三菱第2ドックハウス。
船がドックに留まっている間、船員さんたちがここで休んでいました。
もちろん昔はドックの近くにあって、後からこのように山に移築されたのです。
向こうの方には三菱重工業長崎造船所が見えます。
また、写真には映せませんでしたが、1909年に造られ、スコットランドから輸入されたジャイアント・カンチレバークレーンが現在でも残っています。
世界の中でも動くのは非常に珍しいものです。
明治中頃にかけて長崎が九州を代表する都会で、外国からの輸出入が盛んだったこともあって、日本初の電動クレーンが建設されました。
この他にも様々な西洋建築を巡りましたが、全ては紹介出来ませんので、旧グラバー住宅を。
2019年1月から工事が始まったようなので半分を過ぎたくらいのようです。
工事中ではありますがその様子が見られるようなデッキがありました。
覗いてみると屋根の表面が剥がされ、木製の骨組みがむき出しになっている状態でした。
立派な和傘みたいに見え、不思議な感じがします。
側面部分の装飾からは西洋の邸宅らしさがひしひしと感じられました。
グラバー邸にお住まいだったトーマス・グラバーさんはスコットランド出身の方でした。長崎が開港するといち早く商売をはじめ、高島炭鉱の経営をすることにもなりました。
三菱の相談役にも就任し、日本の産業の発展を担った重要な方です。
2020年11月には保存修理が完了し、グラバー邸がお目見えする予定。
日本の近代化を推進したグラバーの功績と共に、この邸宅も多くの人に楽しまれると良いですね。
グラバー園からはオランダ坂を通って中華街のある町中の方へ向かいます。
汚れなどがついて味のあるレンガに挟まれた細くて急な坂道が、普通の道となっているのが面白い所です。本来なら公園の庭園にありそうなものですが…。
この辺りにはキリスト教系の学校が多くあり、穏やかな雰囲気が漂っていました。
中華街の方へ向かうために、このような細い住宅街を抜けていきます。
ただの坂のきつい路地のように見えますが…、
こんなところまで歴史上の跡地です。
なんの変哲もない住宅地にこのような看板がいくつかあって、完全に生活に溶け込んでいる感じがします。
それにしてもよくこんなところに家がありますね…。一体どうやって建てたのか不思議でなりません。
中華街南門の前にある湊公園まで降りてきました。
これからは鉄道発祥の地や出島等、平坦な場所にあるところを観光していきます。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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