今日は愛知県で最も歴史ある路線に乗りに行きます。
普通に考えたら東海道本線が一番古い路線のように思われるかもしれませんが、実際には大府駅から伸びる武豊線です。
1886年3月1日、愛知県に最初の鉄道、武豊〜熱田が開通しました。
途中駅は大高,緒川,亀崎,半田で、現在の乗換駅である大府駅すらありませんでした。
その後熱田から大垣まで東海道本線が開通、緒川駅の代わりに大府駅が開業し、1888年9月1日には東海道本線が浜松から大府まで延伸しました。
また、それまで気動車だけが走っていた武豊線でしたが2015年3月から全線電化がなされました。
時刻表などで青く示される地方交通線ですが、利用客も多い武豊線。
鉄道の歴史が詰まったこの路線の魅力をお伝えできたらと思います。
列車は大府駅を発車しました。
東海道本線と並走したのち、しばらくするとその上を乗り越えるようにして南へ走っていきます。
最初に停車したのは尾張森岡駅。ホームだけの棒線駅です。
その後は1995年に高架化された、高架橋へ登っていきます。
緒川駅に到着しました。
武豊〜熱田が開業した当初からあった駅でしたが、東海道本線開通による大府駅開業と同時に1887年に廃止。その後1900年に復活した駅です。
交換可能な高架駅で、集中旅客サービスシステムが導入されています。
駅前にはイオンモール東浦があって、アクセスにも便利な駅です。
次に停車するのは石浜駅。
駅舎のない簡素な駅ですが住宅街が広がっており、利用者も増加傾向にあります。
東浦町の中でも最も利用者の多い駅、東浦駅に到着しました。
簡易駅として設置されていた尾張生路駅と藤江駅を統合する形で1944年に開業した駅です。
プラットホームはに客車時代からバリアフリー化まで積み重ねてきた地層が見て取れました。
東浦駅からは衣浦湾を越えて碧南方面へ向かう、衣浦臨海鉄道 碧南線が伸びています。
(Jihara19-Own work/CC BY-SA 3.0
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Transport_calcium_carbonate_by_rail.jpg#mw-jump-to-licenseより)
大府から碧南市駅へ炭酸カルシウム等を運んでいるのです。
列車は東浦町から半田市へ入ります。
一度亀崎駅で下車しました。この駅は武豊線内で最も利用客が多い駅です。
ここで下車したのは日本一古い駅舎と言われる、この木造駅舎を見るためでした。
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再び列車に乗車します。列車の本数は30分に1本くらいです。
次の駅は乙川駅です。
ホームは非常に長くなっていて、貨物列車の行き違いも行うためか、有効長も長くとられていました。
中部国際空港が開港する頃ここから空港へ鉄道を伸ばす計画もありましたが、結局セントレアへの鉄道輸送は全て名鉄が担うことになっています。
乙川〜半田では何やら右側で工事が行われていました。
こちらは半田市街の連続立体交差事業に伴う、高架化工事です。
武豊線によって半田駅周辺の市街地や道路が分断されていることを受け、高架化工事が進められています。
JR最古と言われているこちらの跨線橋も、実用的な役目を終えることになります。
高架化工事は2026年度、連続立体交差事業は翌年に完了する予定です。
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半田駅から先、武豊線は名鉄河和線と並行することになります。
このあたりの鉄道シェアは名鉄が掌握しているため、半田から先はかなりガラガラです。
東成岩駅の手前からも衣浦臨海鉄道 半田線が伸びています。
こちらは埋立地、半田埠頭へコンテナを運んでいます。
東成岩駅の近くには名鉄河和線の青山駅があり、そちらには特急列車も停車します。
さて、遂に終点の武豊駅に到着しました。
終着駅ですが、この駅も無人駅。
2013年10月1日にかつて有人駅だった緒川,東浦,亀崎,武豊に集中旅客サービスシステムが導入され、無人化されました。今では半田駅が唯一の有人駅になっています。
駅舎内にはベンチが並んでおり、かなり広々している様子。
お昼の時間帯にはここへクーラーボックスを持ってきて、販売する方もいらっしゃっていました。
大きな入り口の扉には武豊町の案内マップが貼られています。
マップの他にも貼られていた武豊駅の案内板には、『武豊駅は東京駅に並んで「日本で一番高い駅」』と書かれていました。
どういうことかと言うと、武豊線は東京方面と同様、武豊方面が上りなのです。
通常武豊線のような路線であれば武豊方面が下り。このようなことが起こっているのは熱田〜武豊が最初に開業した時、武豊方面が上りと定められたためです。
武豊駅の駅前には銅像が建っていました。
こちらは武豊駅手だった国鉄職員の高橋熙氏。
武豊駅周辺で高潮が起こっていることを東成岩駅から向かっている列車に知らせ、その列車を後退させたことでお客さんを災害から守ったそうです。
しかし、この方は高潮に呑まれ殉職。功績をたたえて翌年の1954年に胸像が建てられました。
さて、武豊駅は確かに武豊線の終着駅です。
しかしここから先、1930年〜1965年は武豊港駅まで路線が伸びていました。
ここからでも駅跡まで歩ける距離ですので、そこまで行ってみることにしましょう。
武豊線しばらくは武豊線の車止めから真っ直ぐ進んでいきます。
途中の水路のあたりには橋脚跡のように石が積まれている様子が見られました。
この先廃線跡はフェンスで囲われており、JR東海管理地とされています。
フェンスで囲われた部分が途切れると、ちょっとした遊歩道が見えてきました。
散策路案内板も立てられていて、この廃線跡もおすすめのコースとして紹介されています。
武豊町が整備しているであろうちょっとした遊歩道には木々が植えられ、ベンチも置かれていました。
しばらく道なりに歩いていると、いかにも鉄道らしいカーブが見えてきます。
住宅街を歩いていると車通りの多い広い通りに突き当たりました。
近くにあるローソンは『味の蔵たけとよ』があるためか、蔵のような様相を呈しています。
その向かい側には武豊港駅の跡地、武豊停車場跡地の碑が立っていました。
さて、この跡地に残されているのはこちらの転車台です。
この転車台は非常に珍しく、線路が十字に交差しています。このような転車台が現存しているのは、日本で唯一、ここだけとのことです。
解説によると十字にしたのは能率よく貨車を転送したかったからとされていました。
少しでも効率よく貨車の転送を行いたかったほどに、武豊港駅では貨物輸送が盛んに行われていたということでしょう。
また何より驚くべきことは、これを地元の小学5年生が総合学習で散策中に見つけたということです。
それだけでなく児童は当時の町長に保存を要望。
武豊町は鉄骨メーカーから寄贈を受けて修復し、2002年に一般公開しました。
国の重要有形文化財にも登録された貴重な転車台、今の姿が残っているのは子供ながらの積極的な行動力の賜物です。
武豊港駅跡は転車台ポケットパークとして名付けられ、転車台は回転ポッポ台という愛称で親しまれています。
明治時代、産業発展のため真っ先に敷設された武豊線。
現在では名古屋方面への旅客輸送を中心に、衣浦の工業を支える貨物輸送も担います。
長い間歴史を刻み続けるこの路線は、これからもずっと多くの人々の生活を支えていくことでしょう。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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