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【国鉄ワースト赤字路線】日田彦山線&添田線の廃線跡&油須原線めぐり[史上最長片道切符の旅(14)]

2022年4月12日

 

今回のルート

日田〜城野

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本日は史上最長片道切符のルート外ではありますが、大きな駅の日田駅からスタートです。

久大本線の日田駅は2015年に駅舎が改装されました。

 

待合室には地元産の日田杉が用いられ、ルーバー(窓の羽板)、フローリングに温かみがあります。

デザインしたのはお馴染みの水戸岡鋭治さんです。

 

日田市は『進撃の巨人』の作者、諫山創先生の出身地です。その聖地として各地にキャラクターが展示されるなど、観光客の誘致を行っています。

特に旧・大山町の大山ダムにはエレン・ミカサ・アルミンの少年期の銅像が設置されています。大山ダムの壁面をウォール・マリアに見立て、「はじまりの場所」を再現しているそうです。

 

色々書いていますが、僕は1ミリも内容を知らないので、詳しくは調べてみてください…。

さて、ここからは夜明駅より分岐する、日田彦山線に乗車します。

しかし日田彦山線(夜明〜添田)は2017年7月の九州北部豪雨で被災し、代行バスでの運行となっています。

この区間は鉄道ではなく、BRTでの復旧が決まりました。

 

他にお客さんは1人も乗せず、駅前を出発していきました。

大分県と福岡県の県境を九州の中心線で越えていくのですから、利用者は少なくて当然です。

 

昨日も通った夜明駅から日田彦山線に入りまして、ルートに復帰します。

途中で最も大きな駅が、添田町の彦山駅です。

駅舎は英彦山神宮の入り口として赤い柱を使用するなど、非常に大きく立派なものでした。

1942年に作られた駅舎からは多くのお客さんを送り出しましたが、2021年4月に解体されてしまっています。

 

道の駅歓遊舎ひこさんの近くにある、歓遊舎ひこさん駅は2008年に開業した新駅でしたが、10年足らずで列車は来なくなってしまいました。

 

代行バスの終着駅である添田駅に到着です。結局お客さんは誰一人として乗ってきませんでした。

 

バスを降りまして、見送ります。



日田彦山線はここから先の区間では列車が走っています。

先程のバスに接続するようにして、添田止まりの列車が到着。折り返し田川後藤寺方面へ出発しますが、この列車には乗りません。

 

添田駅はかつて乗換駅でして、ここから添田線が伸びていたのです。

 

(ButuCC - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=40949156による)

添田線は香春〜添田を結んでいた路線、日田彦山線よりも先に開業しました。現在でも田川後藤寺経由で遠回りですが、同じ区間は日田彦山線によって結ばれています。

国鉄ワースト赤字路線と言えば、北海道の美幸線が有名。しかしこちらの添田線も1978年度は、営業係数3855でワーストでした。

 

物産館が入ったコンクリート造りの駅舎は、添田線が発着した旧1番線ホーム跡地に作られました。

その分旧駅舎は、現在よりも道路寄りにあったということです。

 

添田線の廃止で1番線は欠番となり、2,3番線が日田彦山線ホームとして残されました。そしてこれらのホームは現在の駅舎から非常に離れています。

 

今後、添田駅は鉄道とBRTの乗換駅となり、駅構造は大きく変わります。

手前の2番線をBRT乗り場にし、気仙沼・大船渡BRTと同様、対面乗り換えを可能にする方向です。



添田線に沿っては、現在路線バスすら残されていません。

今回は読者さんに車をご用意いただきまして、これで行くことになりました。ありがとうございます。

 

添田線はほとんど全区間が道路化されていて、廃線跡は分かりません。

 

しばらくすると左手には、彦山川を越える謎の構造物が見えてきました。

 

こちらは添田線の廃線跡ではなく、油須原線という別路線の橋脚です。

 

(ButuCC - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=40949160による)

油須原線は漆生〜油須原を結ぶ路線として計画されました。しかし、漆生〜豊前川崎は漆生線・上山田線として開業したものの、豊前川崎〜油須原は未成に終わったのです。

 

油須原線の未成線は橋脚からカーブして、添田線の廃線跡の道路に並行。

 

油須原線の方は黄色い歩道で示され、左右には木々が植えられています。



その先へ車を進めると、大任駅に到着しました。

ここは大任町の中心駅として機能しました。廃止まで有人駅であり、駅舎を再現した建物が残されています。

 

駅名標のモニュメントが建てられており、ここが駅であったことを物語ります。

 

駅敷地跡は交通公園として整備されました。

島式ホームの2面2線で、油須原線の乗換駅を想定した構造であったことが分かります。

 

再び車に乗り込みまして北上、走っている道は桜街道と呼ばれます。

 

ゆめマート、コメリ等商業施設が集まる中心部を抜けていきました。



廃線跡の道は坂道を下っていきますが、その先には盛り土があります。

鉄道であれば坂道ではなく、この高さを走り続けていたのでしょう。

 

その近くには平成筑豊鉄道田川線の上伊田駅があります。

かつて、近くには添田線の上伊田駅が設置されていましたが1985年に廃止。現在あるのは2001年に開業した駅なので、時を同じくはしていません。

 

この路線はかつて国鉄田川線でしたが、民営化の際に第三セクター平成筑豊鉄道に転換されています。

 

列車を行橋方面へ見送ると、添田線の廃線跡が田川線と交差しているのが分かりますね。

 

また、上伊田駅周辺は日田彦山線が近づいてくるポイントです。この先田川伊田駅が乗換駅となっておりまして、そこで乗り換えができます。



再び車に乗り込みまして、こちらは一本松駅です。

一本松駅は1997年に開業した日田彦山線の駅で、添田線廃止後に設置されました。

 

添田線の乗換駅、香春駅に到着です。

1995年に駅舎火災で消失しており、新しめの建物。香春町観光協会が入っています。

 

奥の方に構内踏切が設置されており、駅舎に接した1番線と、奥の2番線があります。

かつては2面3線でしたが、中線が撤去されて花壇になっていました。

 

1035 香春駅 発

それでは日田彦山線の列車に乗車しまして、添田駅を後にします。

 

途中には採銅所駅という、個人の貨物鉄道ですかみたいな駅を通りました。

 

志井公園駅の近くには、小倉駅から伸びている北九州モノレールの終点、企救丘駅があります。

 

1105 城野駅 着

日田彦山線はここで終点です。

 

日豊本線を、呪術廻戦ラッピングのソニックが高速で通過していきました。

 

1122 城野駅 発

城野駅からは普通列車で、行橋駅まで向かいます。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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