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【阪神淡路大震災の迂回】電化で変わった加古川線 廃線レベルのローカル線

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震、阪神・淡路大震災として関西圏に甚大な被害を与えました。

鉄道をはじめとした公共交通機関にも大きな影響があり、最後の復旧区間である住吉〜灘の運行が再開したのは、4/1のことです。

 

山陽本線が不通になっている間、迂回ルートで使われていたのが、加古川線と福知山線でした。

 

震災後に非常時の迂回路として、加古川線の重要性が再認識。当時は非電化で輸送力に乏しかったことがあり、電化を求める声が大きくなりました。

 

その結果、加古川線は2004年に直流電化を果たしています。

阪神・淡路大震災を機に、JR加古川線はどう変わったのか注目してみましょう。



加古川線の始発駅となっています、加古川駅に来ました。

山陽本線と加古川線ホームの間には、のりかえ改札口が設置されています。

大阪近郊区間内での大回り乗車時などは、有人改札の駅員さんに申し出ましょう。

 

電化された加古川線で使用されているのは、103系電車と125系電車。

今回は国鉄時代から活躍する103系電車に乗車します。

 

外の塗装はあまり103系らしくありませんが、ロングシートの並ぶ車内へ入ると、その古さを感じられました。

 

加古川〜厄神・西脇市では比較的本数が多く、朝ラッシュ時には4本/時設定されています。

2両編成の103系電車が多いですが、1〜3両編成の125系電車も導入されました。



9:20 加古川駅 発

朝の時間帯では需要と逆方向のため、車内はガラガラ。一方で、加古川駅に到着した電車は、満員電車状態でした。

 

加古川駅周辺は連続立体交差事業が行われ、高架化されています。

2004年12月19日に果たした、全線電化と同時のことです。

 

高架を降りて国道2号の下をくぐり、住宅街の中を走っていきます。

 

最初の停車駅、日岡駅に到着です。

加古川線は1913年、播州鉄道が加古川町(現・加古川)駅〜国包(現・厄神)駅で開通したのが始まり。この日岡駅も当時から設置されています。

 

建設当時は水運による貨物輸送に主眼が置かれていたため、加古川にピッタリ沿って走ります。そのため中心市街地から離れた駅が多く、現在では少々不便な路線になってしまっています。



続きまして、神野駅に到着しました。

この駅では電化と同時に、安全側線の設置も行われています。

列車が止まりきれず走り過ぎてしまった時、向かいから来る列車との衝突を防ぐため、この線路に逃してわざと脱線や停止させる場所です。

 

2010年には北口駅舎が新たに開設。周辺には住宅地が広がっています。

 

厄神側は発車してから上下線が合流するまで距離がかなり長く、列車が走りすぎても衝突の危険が小さいため、こちらには安全側線が設けられていません。



加古川線の中で主要駅となっている、厄神駅に到着。

1999年に完成した橋上駅舎も、見た目からして非常に立派です。

 

2008年4月に廃止されましたが、厄神駅からは三木鉄道三木線が分岐していました。

反対側のホームは当時島式ホームで、三木線の列車が発着していた痕跡を窺い知れます。

 

加古川線はここで大きく北へカーブ。

そのまま東へ向かっているのは車両基地に繋がる線路で、三木線はこれに沿っていました。

 

そして加古川線が加古川を渡る、2回のうち1回目です。この先で加古川市から小野市に入りました。

 

市場駅は1面1線の単式ホームだったのですが、2004年の電化に合わせて交換可能駅になっています。

電化による速度向上と市場駅の交換設備により、加古川〜粟生では最大4本/時の運行が可能になりました。



一方で、交換設備が撤去されている駅もあります。

次の小野町駅は1面1線の単式ホーム、客車時代を思わせる高さの低いホームが残っていました。

 

電化に伴い小野市が駅舎を建て替え、蕎麦屋さんの「ぷらっときすみの」が同居。関西駅そばランキング1位に輝いたこともあるそうです。



ここで東側から線路が近づいてきました。

こちらは神戸電鉄粟生線、粟生駅から小野市と三木市の中心部を通って、三ノ宮まで至ります。

 

しかし神戸電鉄粟生線は、モータリゼーションや利便性の高いバスとの競争で、廃線の危機にもある路線です。

 

粟生駅からはもう一本、北条鉄道も分かれています。最近では行き違い設備導入による増便も行い、車両不足からJR五能線のキハ40系を導入しました。

 

河合西駅、青野ケ原駅は電化と同時に、駅舎が改築されています。



加東市に入りまして、社町駅で普通列車と行き違い。

加古川方面の線路が直線なので上下列車どちらも発着できそうですが、信号機は片方向のため、一線スルー化されている訳ではなく。

駅舎に面した方が加古川方面、面してない方が西脇市方面と決まっています。

 

加東市は2006年、社町,滝野町,東条町が合併してできた市です。社町に由来する駅名ですが、駅の所在地は旧・滝野町域。

市街地から離れているものの加東市の中心駅で、駅舎の横に地球儀を模した交流ふれあい館が佇んでいるのがシンボルです。

 

滝野駅もあって、こちらが旧・滝野町の代表駅でした。

砂利の膨らみだけが、かつて行き違いできたホームの面影を伝えてくれます。

 

西脇市に入りまして、加古川の支流を渡ります。

こうして見ると、真新しい架線柱と古くからある橋の、コントラストがはっきりしていますね。



10:07 西脇市駅 着

この列車の終点である、西脇市駅に到着しました。

加古川線の加古川〜谷川を直通するのは1日1本だけで、ほとんどの場合は西脇市駅で乗り換える必要があります。

 

1995年でも通常時9本しか無かった直通列車ですが、阪神淡路大震災に対応した迂回路設定により、2月6日には45本にまで増加。

線内列車の増発や増結なども行い、山陽本線の代替路として活躍しました。

 

西脇市から乗り換えるのは125系電車。

通常電車というのは2両以上で車を連ねるものですが、この125系電車は1両だけで走ります。

 

中央部にはお客さんが多かった時に備えて、ドア増設工事を簡単に行える場所も確保されています。

 

こちらは転換クロスシートとなっており、どちらかと言ったらより快適に過ごすことができそうです。

 

交通系ICカードを使えるICOCAエリアは、西脇市駅まで。ここから先はきっぷでしか乗ることができません。



10:10 西脇市駅 発

3分の乗り換えで、西脇市駅を出発しました。

西脇市駅〜谷川駅は1日9往復しか電車が走っておらず、JR西日本が収支を公表している赤字線区。2020〜22年度の平均データでは、年間赤字額2.6億円、100円を稼ぐのに2244円、輸送密度237人/日で基準の2000人/日を大きく下回っています。

電化により設備の維持費用が嵩んでおり、廃止されておかしくない状況です。

 

1990年に廃止されましたが、西脇市駅からはJR鍛冶屋線が分岐していました。

 

鍛冶屋線の西脇駅が市の中心部で、鍛冶屋線廃止までこの駅は野村駅でした。

加古川駅〜西脇駅・鍛冶屋駅での運行がメインとなっており、運行系統上は野村(現・西脇市)駅〜谷川駅が支線みたいな立ち位置。

しかしながら国鉄末期に第3次特定地方交通線に指定され、加古川線とは別路線だった鍛冶屋線は廃止になりました。

 

今度はトラス橋を渡りますが、架線柱の後付け感が顕著。

まさかそこから腕を伸ばしてくるとは、ちょっと驚かされます。

 

ここで電車は25km/h制限区間へ、前方の様子を確認できるように速度を落としています。

加古川線はそこまで山の中を走らず、トンネルがありません。そのため架線を張る際の高さの障害が少なく、電化が比較的容易だった理由です。

 

比延駅も行き違い設備が撤去された駅。

駅舎がある方は真ん中だけ高くされており、今の電車に対応していることがよく分かります。



加古川線の中でも目立つ駅名、日本へそ公園駅に到着しました。

日本列島のほぼ中心でキリの良い、東経135°と北緯35°の交わる点ということで、「日本のへそ」とされたのが始まりです。

 

駅を出発したところで林の中にあるのが、「大正のへそ」。日本測地系をもとに大正12年に建てられたものです。

しかし1994年にGPSによる測定が行われ、これによると少々ずれており、「もう一つのへそ」としてモニュメントが建てられました。

 

黒田庄駅に到着するところ、見るからに新しそうな線路が現れました。

いつできたものか分からなかったのですが、保線車両を引き込むための線路とのこと。

 

旧上りホームにはラインカラー対応の駅名標が立っていますが、電化工事に伴い単式ホーム化されました。

 

本黒田駅には2014年の大河ドラマが黒田官兵衛だったことで、「黒田官兵衛生誕地」の看板が建てられていました。

しかしながら黒田官兵衛の正確な生誕地は分かっていないようで、西脇市内は一説にすぎないそう。

 

こちら船町口駅は、兵庫県内のJR駅で最も利用者数の少ない駅。2020年度の乗車人数は3人/日です。

 

ここで突如現れました、製紙・パルプ工場です。

製造か輸送ラインらしきところを、線路が潜るまでしています。

 

そこに設置されているのは、久下村駅です。

1950年代はパルプ工場の原料搬入や製品積み出しで賑わっていたそうですが、1973年に貨物取扱が廃止。どんどん利用者が減少し、2020年度の乗車人数は5人/日です。



阪神・淡路大震災の迂回ルート設定時、福知山線から加古川線への直通列車は走っていませんでした。

それはまもなく到着する谷川駅の、線路の配置が理由です。お隣には草茫々の引き上げ線が並んできました。

 

引き上げ線へは、谷川駅加古川線ホーム側から入ることができます。

 

また、福知山線の線路から入ることも可能です。

しかしながら、引き上げ線から加古川方面へ直接繋ぐ渡り線がありません。

 

福知山線から加古川線へ直通させようと思ったら、引き上げ線への線路から加古川線へ入る渡り線を設置しなければなりません。

 

大阪側から直通する場合を考えると現在の線路配置では、福知山線から一度引込線へ入って進行方向を変え、加古川線ホームに入ってまた進行方向を変え、ようやく加古川線に入れます。

非常時だけを考えると渡り線を設置する意味もあまり無く、乗り換えしてもらえば良さそうです。

 

路線電化による利便性向上で、2007年時点で年間5.3万人利用者が増加しました。

何より電車が走れるようになったので、非常時の迂回輸送に大阪近郊の電車を増設に使えるようになっています。

 

しかしながら、西脇市駅以北は本数が非常に少なく、収支状況も厳しいのが現状です。

 

電化までして残っている加古川線ですが、西脇市駅〜谷川駅が廃止されれば、迂回ルートとしても使えなくなってしまいます。

電化による利便性向上で利用者は増えたものの、沿線人口の減少が大きく影響。加古川線の今後が案じられます。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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