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【東北新幹線開通がルートの鍵】歴史ある路線でも新しい仙石線[史上最長片道切符の旅(66)]
今日は2022年8月3日。夏休みになりまして、史上最長片道切符の旅が再開です。 福島駅の東口に掲げられている駅名看板は、書道家の高橋卓也さんによる書をケヤキ板に掘ったもの。 震災と原発事故から復興し、 ...
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東日本大震災による津波被害を大きく受けた仙石線。震災後には石巻〜仙台を1時間以内に結ぶ仙石東北ラインが開通し、その復興を思わせました。
仙石線は津波により、復旧にあたって内陸へ移転しました。その線路付替区間がここ陸前大塚駅から陸前小野駅です。
旧線部分は震災遺構として残されている区間も多々ありますから、今日はそこを歩くことにしましょう。
真っすぐ進んでいく仙石線。
現在使われている架線が目印になりますが、旧線はそれよりも奥、海沿いを走っていました。
暫く歩いていくと、新線は立派な高架橋に変わっています。まるで特急幹線にも錯覚する光景です。
右手には旧線に近づけそうな自転車道が分かれていたので、歩いてみることにしました。陸前大塚駅へ戻る感じです。
旧線に突き当たるところから仙台方面を見ますと、仙石線から旧線が分かれている感じが、何となく分かります。
このまま石巻方面へ、海のすぐ横を走っていた訳です。
フェンスのところに立入禁止の看板があったのでここまで。水路に入ってはいけないという意味かなとも思いましたが、一応止めておきます。
奥松島パークラインと呼ばれる、先程の県道27号に戻りました。
山へ向かっていく新線の下を潜ります。
ここで動物の寝息みたいなのが聞こえてきまして、ドキドキしながらもサッサと歩きました。多分鳥とか狸ぐらいの動物だと思いますが…。
山を越えまして、住宅がポツポツと見られる平地が広がっています。
旧線はその平地の中を走っていました。
そして、ここが最初の駅となる東名駅跡です。ホームなどは全く残されておらず、更地になっています。
柵状になった木のモニュメントは、枕木を使ったものでしょうか。
解説板には震災前や津波が襲った直後の姿もありました。こんなに大量の瓦礫が押し寄せていたなんて、今の静かな町からは想像がつきません。
ここからはサイクリングロードとして整備された、旧線跡上を歩いていきましょう。
盛り土されていますが踏切跡は道路と同じ高さにするため、スロープで低くしています。
ここを散歩している地元の方ともすれ違いました。
新しそうなのでレプリカっぽいですが、鉄道の勾配標も立っていて、鉄道遺産らしさが感じられます。
開業当初の1928年から使われている、亀岡トンネルの中を歩きます。
下がすぼまっていまして、外部からの圧力に耐えられるよう円形に近い形です。
案内板の写真からは、曲がってしまった線路の様子が分かります。
ここは運行中の列車が被災した地点です。
あおば通行き普通列車は、野蒜駅から700m仙台方面に向かったところで地震により停車。
JRの指令から避難指示を受けて、乗車していた野蒜小学校児童の案内で、避難所の東松山市立野蒜小学校へ避難しました。
写真からは津波の襲来によってL字に折れ曲がり、大きく脱線した列車の様子が分かります。
旧線跡上に作られた運動公園体育館を避けるように、サイクリングロードは登っていきました。
元の旧線跡に戻った所には、のびるノ茶屋というカフェがあります。
「地域に明かりを灯す」をテーマにスタートした奥松島クラブハウス。このカフェ含め、いくつか店舗を構えており、日本三景“松島”の奥座敷としての魅力を提供しています。
東松島市は石材がよく取れる地域で、明治時代にはかまどや倉庫に使われていました。その後外国との貿易自由化により衰退しましたが、採掘は継続。東日本大震災の大津波でも野蒜石の蔵はそのままの姿を残しています。
東松島市東日本大震災復興祈念公園に着きました。2016年に整備されたこの公園、ニュースで取り上げられていたのを覚えています。
広場には慰霊碑がありまして、芳名板には亡くなった方のお名前が刻まれています。
そして、ここに残されているのが津波被害を受けた、野蒜駅のプラットホームです。
震災遺構として旧野蒜駅は、今もなお津波被害の大きさを伝えます。
危険なのでプラットホーム上には上がれませんが、その周りを一周することはできました。
ホームの断面を見てみると、津波が一掃したことでガタガタしており、所々剥がれ落ちています。
特に目立つのが、ホーム上の支柱。根本の基礎部分から大きく倒れていました。
駅名標も歪んでいまして、その姿が痛々しいです。
ホーム上屋に顔を上げますと、雨どいが垂れ下がっていました。つまり、あの高さまで津波が来たということです。
駅舎は東松島市震災復興伝承館として活用されています。建物のところに示されている通り、津波は一階を完全に浸水させる高さです。
津波が襲った直後、旧野蒜駅は瓦礫が散乱して本当にひどい状況です。今のプラットホームの姿だけでは伝わり切らないほど、とんでもなく大きな津波だったことが分かります。
いつまでもその記憶を伝える、旧野蒜駅を後にします。
旧線跡のサイクリングロードは、その後山の中へ。
野蒜地区の平地部分から切り通し区間に入ります。
この山の中には、奇跡の丘と呼ばれる場所があります。
野蒜駅で、あおば通行きの普通列車とすれ違った直後、石巻行きの列車はここで停車。標高10mの小高い場所で、ご覧の通り両側を山に囲まれています。
最初、乗客と乗務員は野蒜小学校へ向けて避難を開始しましたが、乗車していた元消防団員のアドバイスで、車内に留まることを選択。結果的に津波の影響を受けること無く、一夜を明かす事になりました。
災害の時に下さなければならない、ひとつひとつの判断。冷静になって命を守る行動をするのは、本当に難しいだろうなと感じさせられます。その中で多くの方が助かるような方針を示せるのは、どうしても感心してしまうものです。
正面に新線が突き当たりまして、ちょうど列車が走って行きました。
旧線跡はこの先、陸前小野駅の方へ合流します。そのルートを外れまして、野蒜駅へ向かうことにしました。
こちらが新しくなった野蒜駅です。
500m内陸の海抜22m地点に移転しました。
駅周辺には新しい住宅地が開発されています。
野蒜駅は快速の仙石東北ラインも停車する駅です。
跨線橋からは、旧野蒜駅とその奥に海を眺めることができました。
17:24 野蒜駅 発
ここから普通列車に乗車しまして、石巻駅へ向かいます。
眼下に歩いてきた旧線を見まして、陸前小野駅へ。
ここから、従来の線路と同じところを走るようになります。
陸前赤井駅では、マンガッタンライナーと行き違います。『サイボーグ009』で知られる漫画家の石ノ森章太郎さんは、石巻市の中心市街地を活性化するのに協力、市内には石ノ森萬画館もオープンしました。
この流れは鉄道にも来て、長い間ラッピング列車が走っています。
石巻あゆみ野駅は2016年3月に開業した新駅。
東日本大震災の被災者向け住宅地の、復興ニュータウン内に位置します。
陸前山下駅からは石巻港駅へ、貨物支線が分岐しています。日本製紙石巻工場が近くにありまして、紙製品を積んだコンテナ列車が中心の運行です。
17:49 石巻駅 着
終点の石巻駅、仙石東北ラインと普通列車が並びます。
宮城県第二の街である石巻市、その玄関口にも多くのキャラクターのモニュメントが設置されていました。
最後にルート外になりますが、石巻線の女川駅に行きました。
5年前にも来たことがあったのですが、温泉も入居した立派な駅舎です。
駅前には商店街がありまして、小さな町ですが旅行者の方がお店に並んでいたりと活気があります。
その先にあるのが、震災遺構の旧女川交番です。
津波によって建物ごとなぎ倒されており、その力の凄まじさを一番伝えている震災遺構に思います。
東日本大震災を受けて姿を変えた仙石線。旧線跡を歩いてみると、この地域を襲った津波がどんなに大きなものか伝えられました。
そして、その記憶を紡ぐことの大切さを感じさせられます。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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【東日本大震災で廃線】線路の跡をバスが走る!気仙沼BRTって面白い![史上最長片道切符の旅(68)]
おはようございます。こちらは早朝の石巻駅。 宮城県内第二の都市であり、仙石東北ラインの快速線によって仙台まで1時間以内で繋がれています。 石ノ森章太郎のマンガミュージアムがあり、駅舎にも ...
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