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【乗り通し困難】快速ニセコライナー(蘭越・倶知安→札幌)乗車記 廃線になる山線の直通列車[2309北海道廃線]
函館から札幌を結ぶ特急北斗が走るルートを海線と呼ぶのに対し、長万部駅から倶知安を経由するルートは山線と呼ばれます。 2030年札幌延伸予定の北海道新幹線はこちらのルートを走り、並行在来線に指定された山 ...
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JR北海道の札幌近郊輸送を担う札沼線。
札幌・桑園〜北海道医療大学を結び、学園都市線と愛称が付けられています。
元々は石狩沼田駅まで結ぶことから札沼線と名付けられましたが、新十津川〜石狩沼田が1972年に廃止、北海道医療大学〜新十津川は2020年春に廃止されました。
コロナ禍で突然を運行を終えてから3年、北海道医療大学〜新十津川廃線跡の現在を見てみます。
やってきたのは現在の終着駅、北海道医療大学駅です。
新函館北斗駅にも似た、濃いグレーの外壁。リニューアルによって現代的なシンプルデザインへ改められました。
北海道医療大学とは通路で直結しており、雪が積もる冬でも簡単にアクセスできます。
ちょうど1番線ホームには札幌行き普通列車が停車中。時刻は14時ですが、3両編成ロングシート車両は立ち客が出るほど多くの方が乗られていました。
この通り大学キャンパスの存在により、大きな需要を有している札沼線。しかし、当別町から北広島市Fビレッジ周辺へ北海道医療大学の移転検討が報道されました。報道内容から推測するにほぼ決定しているような印象です。
札幌のベッドタウンとして発展する当別町ですが、北海道医療大学駅周辺は何もない状態。もしキャンパスが移転されたら、当別〜北海道医療大学は廃止されてもおかしくない状況に思います。
それでは北海道医療大学駅の構内を見てみます。
改札周辺にはディスプレイが設置されており、発車案内や運行情報が表示してありました。
北海道医療大学駅を発着する列車は、30分に1本程度。札沼線の末端部ですが、それなりに本数が設定されています。
元々は1番線単式ホームに駅舎が隣接する駅でしたが、1995年に行き止まり式の2番線ホームが設置されました。
単式ホーム1線と頭端式ホーム1線が並ぶ、ちょっと珍しい構造となっています。
1番線ホームから発車する、札幌方面普通列車をお見送りしました。
新十津川まで伸びていた線路は、ここで行き止まり。
桑園〜北海道医療大学は2012年に電化されており、架線もここで途切れています。
2022年春には新駅ロイズタウン駅が開業し、当別駅、太美駅へ駅名改称。ここ数年で札沼線は大きく姿を変えました。
北海道医療大学駅にはバス停が設置されており、鉄道が無くなった月形町方面へのターミナルとしても整備してあります。
ここから出るのはJR当別駅から月形駅を結ぶ、JR札沼線代替バスとべ〜る号です。
朝夕はそれなりの本数が設定されていますが、日中はまばら。主に通学需要を見込んでいるのが明らかです。
それでは北海道医療大学駅を出発。駅跡地を中心に廃線跡を見ていきましょう。
車を出していただきまして、国道275号を走っていきます。
途中には札沼線代替バスの停留所を数多く見ることができまして、途中からの乗車需要をくまなく拾っているようでした。
最初の廃駅跡、石狩金沢駅に到着。
この駅は当別町に位置していますが、新篠津村の境界がすぐそこです。
ホームは立ち入り禁止ですが、駅名標の枠や停車位置目標などが残されていました。
廃止直前まで貨車駅舎が残っており、かつては2面3線構造で貨物駅でもあったそうです。
反対側を見てみても線路が残っており、立ち入り禁止の看板が掛けられていました。
廃線跡は完全に国道と並行しており、山の際を走っていきます。
お次は本中小屋駅。
線路近くは背の高い植物で埋め尽くされ、近くの踏切からだと駅の姿が見づらいです。
駅前広場までの道は今でも通れるようになっているので、ここからはっきり見られます。
中小屋駅にも貨車駅舎があったのですが、今では整地されてしまいました。
もちろん立ち入り禁止なのですが、ホーム上も植物が繁茂していて入ることも難しそうです。
駅近くには玄米酵素中央研究所というのがあって、かなりいい匂いがしています。中小屋温泉もあるのですが、旅館は休業してしまっているみたいでした。
続いて中小屋駅。
現役当時は貨車駅舎が置かれており、おそらくホームへの階段と出入り口が接続していたものと思われます。
階段横は坂道になっており、ホーム跡を挟んで勝手構内踏切みたいな構造になりました。
下に水道管を通していたりと、かなりしっかりした構造です。
晩年は1両編成のディーゼルカーがやってくるだけでしたが、ホームはかなり長くなっています。
ワンマンカー乗車口看板も残っており、新十津川方面を薄っすらと見られました。
駅名標は学園都市線の枠だけ残され、非常に寂しいものです。
ここで当別町から月形町に入りました。これより先は鉄道が無くなった自治体ということになります。
月形町に入って最初の駅、月ヶ岡駅です。
公園のように整備された歩道の先、プラットホームへ登る階段がそのまま続いています。
JR線の表記は残されたまま、町中心部にあった石狩月形駅を中央に、月形町のガイドマップが設置されていました。
おそらく防雪林が近くまで迫っており、植物の波が線路上にも押し寄せています。
月形町はホームと奥に見える駅舎について、今後も保存する方針です。今のところ工事着手していない様子でした。
月ヶ岡駅にはログハウス調のしっかりした駅舎が立っていました。自動販売機やお手洗いなども備わっており、現在でも使われているようです。
室内に入りますと、かつては売店等あったであろう想像を掻き立てられる空間でした。
一方で知来乙駅は、駅跡の痕跡がほとんどなくなってしまいました。
板張りホームで小さな待合室があったのですが、それらは完全に撤去。
バラスト入りの盛り土が一本残っており、廃線跡ということだけが分かります。
月形小学校も見えてきました、月形町の中心部へ入ります。
札沼線廃止区間の中では、一番の主要駅だった石狩月形駅。
鉄道廃止後も、2022年7月までは駅舎をバス待合室として使用していましたが、秋ごろに解体されています。
現在では線路で分断されていた、東西を結ぶ道路が作られているところです。
もちろんこちらも駅名標は撤去、おそらく木製の電柱にもホーロー駅名標が取り付けられていたのでしょう。
1面2線の構内で、廃止区間では唯一の交換可能駅。この先新十津川駅までは1列車しか入れませんでした。
右手には古そうな煉瓦積みの倉庫もあって、貨物営業時は活用されたのかなと思います。
鉄道が無くなってから次のステージへ、月形町中心部も姿を変えていきます。
これまで国道沿いを走っていた札沼線ですが、ここで山の中へ入ります。
向かうのは秘境駅としても知られた、豊ヶ岡駅です。
本当に熊が出そうな山道を降り、駅跡まで到達しました。
プラットホームの右側に木造の待合室があったのですが、それも撤去されています。当時室内に熊出没注意のポスターが貼られていたので、いつ来てもおかしくありません。
現役時代から傾いていたプラットホームですが、だんだん悪化していそう。
月形町はホームの保存を計画している模様ですが、この状態から整備するのはちょっと大変かもしれません。残していただけたら、もちろん嬉しいですけどね。
札沼線が豊ヶ岡駅周辺で山の中を走るのは、5kmほど離れたところに月形炭鉱があったため。
当時は駅周辺も発展していたようですが、炭質の低下と需要低迷で1963年に閉山しました。
現役当時は跨線橋が撮影スポットになっており、この画角の写真をたくさん見ました。
それにしても駅は完全に自然へ還りつつありますね…。
急坂を下りまして、再び国道へ戻ります。
札比内駅はなんと駅舎が残っていました。
減築された木造駅舎、北海道のローカル線でたまに見る形です。
近くにはJR施設撤去の看板があり、2023年11月末までの工事で解体されるとのこと。
駅舎側面の壁が剥がれてきたりと、老朽化も目に見えて深刻です。
ホームと駅舎は独立しており、手前側には貨物の線路が引かれていたそう。
非常に簡単なラッチも残っていて、なんてことない普通の廃駅ほど貴重なものはありません。
立派なものは残そうとされる一方、普通のは残されづらいですからね。
駅舎内には窓口跡も見られました。晩年にはここではなく駅近くの薬局で、乗車券が販売されています。
2017年からは豊ヶ岡駅までの乗車券のみになり、完全にオタク専用と化していました。
北海道の木造駅舎は減築されたものが多く、基礎部分が見えています。かつてはもう少しだけ広かったんでしょうね。
最後まで残った木造駅舎、ギリギリで見ることができて本当に良かったです。
ここで月形町から浦臼町へ。
浦臼町最初の、晩生内駅に向かいます。
札比内駅とほぼ同じ形の駅舎があったのですが、倒壊の恐れのため、2021年5月末に解体されています。
次の札的駅はホームと待合室があったのですが、こちらも解体済みです。
この辺りはバラストまで大分隠れつつある印象でした。
浦臼町中心部へ来ました。
町役場が見えたところで、この先に浦臼駅が位置しています。
こちらが浦臼駅跡、駅舎については現役当時から形が変わっていません。
こちらは1997年に建てられた新駅舎で、浦臼町の施設「ふれあいステーション」を併設しています。浦臼町歯科診療所も入居しており、残っている訳です。
廃止後は駅周辺に、カフェや図書館を含めた「多世代交流施設」を建設する方針が立っており、おそらくその工事が進んでいると思われます。
工事の状況から見るに、おそらくホームなども残されるのでしょう。
駅舎内も特に変わっておらず、お手洗いやベンチも備わっています。バス待合所として引き続き使用されているようです。
駅前には停留所があって、月形浦臼線かばと〜る号をはじめとしたバスが運行されています。
JR札沼線代替バスとして運行した中央バス滝川浦臼線が2022年9月をもって廃止され、町営バス滝川浦臼線に引き継がれました。このバスは新十津川を経由して、滝川駅までを結びます。
浦臼駅から引き続き国道を走行、高架橋っぽいコンクリート橋が続いていました。
ここからはあまり駅跡が分からないところが続きます。
こちらは鶴沼駅、農業用水関連設備と思われるコンクリート構造が並んでいますが、現役時代は左側の構造物に接するようにホームがありました。
レールや枕木も剥がされており、バラストだけが廃線跡であることを伝えます。
次の於札内駅も完全に撤去されています。元々仮乗降場だった小さな駅、コンクリートで作られたホームに、トタンの待合室が立っていました。
近くには周辺から取っ払ったであろうレールがまとめられています。
そして浦臼町から新十津川町に入りました。
新十津川町最初の駅が、南下徳富駅。
2012年に駅舎が撤去され、待合所さえ無い板張りホームでした。
水田地帯が線路によって分断されていたため、線路跡地は水田に戻されるとのこと。廃線跡が分かる現在の状況すら、完全に無くなってしまうのです。
下徳富駅には大きめの駅舎がありましたが、2021年秋頃に解体。駅前の大木も伐採されて、更地になっています。
ちょっと高さが異なっているので、なんとなくホームがあったんだろうなくらいに分かります。
新十津川町は基幹産業となる農業を優先しまして、これら2駅は水田へと変わっていきます。当然残って欲しかったですが、現実的に考えて町が生き残るためには間違っていない選択だと思います。
そしていよいよ終着駅、新十津川駅まで来ました。
新十津川駅跡については公園になる予定で、ちょうど工事も終盤を迎えています。
「駅跡地さくら公園」になるそうで、ちょうど案内地図を見ることができました。
カーブの先にはホームらしき構造物が見えています。
こちらが新十津川駅の駅舎があったところ。こちらも木造駅舎は2021年秋に解体されてしまいました。
それでもこのように公園が整備され、町の中心部における憩いの場になるはず。
ここに鉄道が来ていたことを、これからずっと伝え続けてくれるでしょう。
ホームの反対側に来ました。
こちらにも公園が整備されていて、おそらく土のところにも芝生や木々が植えられると思われます。
こちらには駅名標もあります。
そして何より1日1本10:00発だけの時刻表が掲げられているのが嬉しいです。日本一早い最終列車は象徴的なものでしたからね。
蒸気機関車を模した遊具も設置され、まさに鉄道記念公園を思わせます。
今は工事中なので入れませんでしたが、遊歩道のルート的に、プラットホームまで上がれそうですね。
ホーム近くには車止め、滝川市出身の五十嵐威暢さんによるモニュメントが設置されています。
現役当時はもっと先まで線路が伸びており、木の辺りに車止めがありました。
線路で分断されていた東西を結ぶ道路が整備されたので、コンパクトになったのでしょう。
駅周辺には新しい住宅も多く、新しい街づくりが進んでいます。
鉄道が廃止されて3年経ち、保存と解体それぞれに向けて跡地の様子が大きく変わっていました。
駅跡地さくら公園は2023年10月10日オープン予定。
是非足を運んでいただきまして、札沼線の廃線跡にも目を向けてみてください。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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