1988年、青函トンネルが開通し、本州と北海道が鉄路で結ばれました。
2016年には北海道新幹線も開通し、費用などの諸問題を抱えながらも旅客、物流共に日本になくてはならない動脈として機能しています。
そんな青函トンネルは、青森県の西側の半島、津軽半島を経由するルートです。
しかし、青函トンネルのルートを決めるうえで青森県の東側の半島、下北半島を経由する案もありました。実際に地図で見てみると、本州と北海道の離れた距離はそれほど変わらないようで、函館にも直接行ける悪くはないルートのように思えます。
そこで今回は青函トンネルが下北ルートだったら新幹線や周辺の鉄道網はどのようになっていたのか、そしてなぜ津軽ルートが採用されたのかご紹介します。
下北ルートとは
現在下北半島にはJR大湊線が走っています。そして、2001年までは下北駅から大畑駅まで下北交通 大畑線が通っていました。
さらに、大畑駅からさらに北、本州最北端のまちである大間まで大間線が建設される予定でした。
こちらは建設途中で計画が中止されたいわゆる未成線です。
(Wikipediaより)
戦前に建設された大間線ですが、当時からのアーチ橋やトンネルが残されています。
老朽化も激しいそうで、いつ撤去されてもおかしくありません。
(Wikipediaより)
また、下風呂温泉の近くの未成線は遊歩道として整備されていて、観光開発としても一役買っているようです。
それでは無事に大間線が建設され、北海道へ渡るトンネルも掘られたとして、北海道側にはどのように出るのでしょうか?
実は北海道にも戸井線という未成線がありました。函館(五稜郭駅)から戸井を結ぶ20キロ程度の路線です。
戸井線の未成跡も残されており、函館市内では緑園通りなどの歩行者、自動車道として利用されています。
さて、下北ルートはどちらも海峡付近は未成線となってしまいましたが、青函トンネルが津軽ルートに決まるまで、こちらの路線が開通する可能性もありました。
下北ルートなら新幹線はどうなる?
ここまでは新幹線開通までのルートの説明となっていました。
現在開業している北海道新幹線は上のようなルートを通っています。
もし、青函トンネルが下北ルートだった場合、津軽海峡付近以外の事も考慮する必要がある新幹線はどうなるのでしょうか?
まず考えられるのが、盛岡を出た後、西方向、弘前を経由。青森を通った後にむつ市へ入り、青函トンネルをくぐって函館へ至るルートです。
これならば青森の県庁所在地青森市を通ることが出来、カーブなどの問題もそれほどありませんが、距離のロスがかなりあります。
もう一つは盛岡を出たら八戸を経由し、そのまま下北半島へ行ってしまうルート。
青森を完全無視してしまうことにはなりますが、距離を比較すればこちらのほうが良さそうです。
なぜ津軽ルートになったのか
さて、想像上の話をしていましたが、青函トンネルが下北を通っていたら考えられなかった事ではありません。
特に青森、道南共に町が栄えているのは太平洋側。下北ルートならば、むつや函館といった町を通ることが出来ます。
それではなぜ青函トンネルは日本海側である津軽ルートを通ることになったのでしょうか。
一番の理由は地形です。
竜飛口(津軽)のよりも下北口のほうが海底が深くなっていました。海底が深いということはその分下へ掘り進める必要があり、工事が難航します。
更に、竜飛口より下北口のほうが圧倒的に断層破砕帯が多く見られました。破砕帯で工事をする際は地上でも多くの地下水が噴出し、多くの犠牲者を出す可能性があります。まして海底トンネルの工事ではこの点により注意する必要があったのです。
また、下北ルートは恵山火山帯を突っ走るルートでした。恵山は函館にある活火山。
その火山帯はとてもトンネルを掘ることができる場所ではなかったのです。
地図上で見れば、西側に遠回りすることになる津軽ルートより、下北ルートの方が良さそうに思える青函トンネル。実際に当時の方々も下北ルートが良いとしていました。
しかし工事の際に重要なことは表面上では見られない地下がどうなっているかということ。インフラ整備においては素人ではすぐに分からないことが熟慮されているのです。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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