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【年2回だけトロッコ走行】遺構が残る上山田線の廃線跡めぐり[史上最長片道切符の旅(17)]
今回のルート 田川後藤寺〜吉塚 おはようございます。今日は宿の関係から、ルート外の田川伊田駅からスタートです。 0827 田川伊田駅 発 日田彦山線の添田行きに乗車。 &n ...
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【今回のルート】吉塚〜宇美
博多駅の1駅お隣で鹿児島本線と篠栗線の分岐駅、吉塚駅に来ました。
ここからはもう一本、廃止された路線があります。それが、国鉄勝田線です。
(国土地理院地図を改変)
勝田線は吉塚駅から香椎線の終点である宇美駅を経由し、筑前勝田駅までを結んでいました。
まもなく国鉄民営化の1985年に路線は廃止されましたが、博多への通勤圏で廃線後から現在まで沿線人口は増加。長年残すべきだった路線と言われています。
今回も上山田線でお世話になった、読者さん(Twitterアカウントはこちら)の車で巡ります。そんな勝田線沿線がどのような状況であるのか見てみましょう。
先程ご覧頂いた通り、吉塚駅は高架駅です。
高架化工事は1995年に開始、勝田線の廃止は1985年なので吉塚駅にその跡は残っていません。
勝田線の列車はしばらく篠栗線上を走り、山陽新幹線の高架と交差する辺りで分かれていました。
その先で1988年に開業したのが、篠栗線の柚須駅です。勝田線が1985年に廃止され、その跡地に駅舎や自転車置き場が作られたと考えられます。
勝田線はここで急カーブしており、奥に向かいました。
踏切の向こう南側に見える細い駐車場が、勝田線の跡地です。
廃線跡は大型店舗の敷地一部や、駐車場となっています。
その先スーパービバホームの辺りにあるのが、御手洗駅跡。
ここから廃線跡は遊歩道になり、志免鉄道記念公園が続きます。
この遊歩道は大通りの県道551号を横切ります。横断歩道などは無いので、これで分断されているようです。
住宅街の中で左手にちらっと見えたのが、上亀山駅跡公園です。プラットホームだけがある簡素な駅で、現在はグラウンドが残るのみ。
県道91号線には「南里駅前」という交差点があります。
ただしこの駅は1944年に廃止されており、かなり昔のこと。
それでも廃線跡の遊歩道には、多少広くなっている部分があるようです。
廃線跡はイオンモール福岡の敷地内をかすめており、開発でその跡は分からなくなっています。また、わずかに入る粕屋町内に勝田線の駅は設置されていませんでした。
線内で最も大きな駅であった志免駅、鉄道記念公園として広く整備されています。
志免町は日本一人口密度の高い町村です。さらに鉄道が無い市町村の中でも日本一の人口密度を誇っています。人口は4万6000人超、人口密度は5208人/k㎡(2015年国勢調査)です。
この鉄道公園には旅客ホームや線路、信号機や踏切が残されています。
このプラットホームは県道91号が分断しているものの、どちらの島にも同様のものがありました。
当時のものではありませんが、駅名標も再現されています。
志免駅には香椎線から旅石支線が繋がっていました。
(国土地理院地図を改変)
1909年、志免鉱業所から石炭を輸送するために敷設され、1918年には旅石駅まで延伸しました。
志免〜旅石は閉坑のため1960年に廃線、酒殿〜志免は1985年の勝田線廃止まで存続され、勝田線に車両を入線するのにも役立っていました。
この廃線跡は北に向かって伸びており、1.5km程なので歩くこともできます。
そして、鉄道記念公園からは、国の重要文化財にも指定された旧志免鉱業所竪坑櫓を見られました。
この地域も筑豊と同様に石炭産業が盛んで、鉄道もそのために敷設されたものであることがはっきりと分かります。
石炭産業や鉄道が消えたという少々寂しい話とは裏腹に、周囲には住宅街が広がるばかり。やはり博多の通勤圏というメリットは非常に大きなものです。
下宇美駅はプラットホームも残っており、当時の様子を見ることができます。
かつては三菱鉱業勝田鉱業所専用線も分岐しており、広い構内を持っていたそうです。ただし、それが閉山すると単式ホームの簡素な造りになりました。
県道68号線に面しているためバス停があって、今でも公共交通の集まるところです。
ここから先は登って行きまして、宇美駅に向かいます。線路は左側の山を走り、右へカーブして宇美川を渡っていったとのこと。
正面に香椎線の踏切が見えたところで右折。
勝田線と香椎線は少し離れており、ここで並走することはなかったそうです。
現在では香椎線の終点、宇美駅に到着。
勝田線の宇美駅は現在ではロータリーを挟んだ向かい側、100mほど離れたところにありました。
乗り換えには改札を出る必要があって、鶴見線浜川崎駅のようなシステムだったのです。
史上最長片道切符のルートとしては宇美駅で終わりですが、折角なので終点まで行ってみることにしましょう。
見えなくなっていた廃線跡ですが、だんだん遊歩道として近づいてきました。
宇美町総合スポーツ公園のある、筑前勝田駅に到着です。
ここまで沿線を見てきましたが、廃線になった地域とは思えない光景が広がっていました。
しかし、1985年当時の視点に立てば、勝田線は筑豊と同じような石炭輸送の役割を終えてしまったローカル線と変わりませんでした。
当時の国鉄としては厳しい状況を打開したかったこと、そして地域住民も大きな期待は寄せていなかったことから、維持の考えに向けることは難しかったのだろうと思います。
鉄道ファンからすると、どうしても残して欲しかったという感情が湧いてしまいます。しかし、勝田線を残しておけば成功し得たというのは、結果論のように感じました。
最後に、国鉄勝田線が残っていた場合のシュミレーションをなさった動画投稿者の鐵坊主さんの動画をご紹介させていただきます。
駅の周辺人口から輸送密度を算出しており、非常に興味深いものです。ぜひご覧いただけたらと思います。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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