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山陽と山陰を結ぶはずだった中国地方西部の未成線を紹介

2020年6月6日

(Wikipediaより スーパーはくと)

現在中国地方において山陽と山陰を結ぶ陰陽特急街道は智頭急行線、伯備線、山口線があります。

かつて日本列島に鉄道ネットワークを構築していた頃、本来ならばもっと多くの陰陽連絡線が敷かれる予定でした。

今回はそんな陰陽連絡線で廃止されてしまった路線、そして本来ならばつながるはずだった路線をご紹介します。

 

こちらが2020年現在の広島、島根周辺の路線図(現役線)、そして廃止された路線(廃線)や本来だったらつながるはずだった路線(未成線)を書いています。

岩日線(錦川鉄道)

山口県の東端の町、岩国から山口線の島根県内の駅、日原を結ぶ陰陽連絡線として岩日線の建設が計画されていました。

岩日線は岩国駅の近く、岩徳線の川西駅から分岐しています。岩国から少し外れたところから分岐していますが、当時は国鉄線として岩国駅に乗り入れていたので問題なかったのです。

 

そんな岩日線は、1963年に岩国から30キロほどの錦町駅まで開業しました。

しかし、錦町駅から先は険しい山地。そこから先は鐵道を通すためにトンネルを掘ったり山を崩したりするのは大変だったのです。

現在錦川鉄道として開通している川西駅から錦町駅の区間とその先の区間を比べても、前者は錦川沿いを縫って走りますが、錦町駅から先は山々を抜ける長いトンネルが多くなっています。

 

その後、岩日線は国鉄の再建時期にあたったこともあり、建設は中止。錦町から16.6キロほど、六日市駅のあたりまでは着工されていましたが、全線開通させても利用は見込めないという判断になったのでした。しかも既に開業していた錦町駅までの区間でさえ、営業成績が振るわなかったのです。

しかし、地元の方はそれなりに利用しているという事もあり、第三セクター、錦川鉄道となりました。

 

錦川鉄道は全国的にはあまり有名ではない鉄道ではありますが、JR東日本のキハ40を貸し切りや団体列車として走らせたりしています。

 


他にも2019年には秘境駅の新駅、清流みはらし駅が開業。特別列車のみ停車し、公道につながる道は無い、本当にどこにも行けない駅です。

 

ちなみに岩日線の未成線となった一部区間を利用して、錦町駅から雙津峡温泉駅でとことこトレインという遊園車を運行しています。未成線の活用方法としてはとても画期的なものでした

参考
国鉄岩日線の未成線を利用 錦川鉄道・ことことトレインに乗車。

山口県を代表する観光地でもある錦帯橋や岩国城から、バスで錦川鉄道に乗車することになります。   この頃は西日本豪雨の影響によって、錦川鉄道は北河内駅から南側が不通になっていました。 バスで通 ...

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可部線

続いては広島から島根を結ぶ可部線です。

現在では広島のベッドタウン、可部と広島を結ぶ都市路線となっていますが、元々は陰陽連絡線として建設されました。

戦前、浜田駅の隣の駅の下府駅を目指して着工され、現在でも路盤が残っています。

実は当時開業していた可部線の可部〜加計の区間は1968年にすでに廃止を勧告されていました。しかし、三段峡までの建設も進んでいたこともあったため、廃止はされなかったのです。

そして、1969年に加計〜三段峡が延伸開業されました。

 

戦前は下府駅が終点とされ、一部では着工もされていましたが、路線の形の問題によって終点が下府駅から浜田に変更され、1969年にはそのルートで新たな建設が開始されました。

浜田から三段峡の区間は今福線とされ、最終的には広浜(こうひん)線(島〜田)として開業する予定でした。

 

しかしこちらも結局三段峡から浜田は開業することはなく、わずかに着工されたものの、1980年に建設中止。

また、2003年11月限りで可部から三段峡の非電化区間が廃止されました。

 

一方で、可部周辺は広島への通勤圏となっているため、住宅が多く立ち並ぶようになり、可部周辺の廃止区間の部分復活を求める声が上がっていました。

そして遂に2017年3月、可部駅からから2駅の1.6キロが延伸、復活しました。

 

一度廃止された路線が復活したのは国内で初めてのこと。踏切の設置の課題など様々な問題がありましたが、終点のあき亀山駅前には病院建設が計画されたりと未来は明るそうです。

参考
廃止路線を復活! 可部線の新駅を訪問(あき亀山 河戸帆待川)

2017年3月20日(月)天気… 今日は2017年3月に開業した可部線末端区間を目指し、可部線に乗車します。 ホームにはすでに可部線へ向かうRed Wingが停車中でした。車内には多くの鉄道ファンの方 ...

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三江線・一畑電鉄 立久恵線

最後は2018年に廃止された三江線、そして私鉄による陰陽連絡線の未成線をご紹介します。

1920年代、のちに一畑電鉄に吸収される大社宮島鉄道が出雲市から宮島口を結ぶ鉄道を計画していました。

出雲大社と宮島を結ぶことからこの社名になったのです。

そして1932年、出雲市(当時の出雲今市)駅から出雲須佐駅まで、立久恵線が建設されました。

(当時は三次駅を目指して建設されていたようですが、後の三江線 尾関山駅に接続する可能性もあったため、最初の地図では尾関山で接続にしました。)

同時に三江線の話も進めますが、江津から石見川越までの20キロが開業していました。

 

1937年、宍道から備後落合の木次線が全通したため、すぐ近くの出雲から三次を結ぶ予定だった立久恵線を延伸させることは不要に。翌年には出雲須佐〜三次の建設免許は失効となりました。

これにより陰陽連絡鉄道の建設は絶たれることになったため、社名が大社宮島鉄道から出雲鉄道に変更されたのです。

一方でこの頃には後に三江北線と呼ばれる江津〜浜原が開業していました。

 

1954年、出雲鉄道は経営難により一畑電鉄に合併されました。

三江線は1955年、南部でも建設が開始。三次から式敷まで三江南線が開業したのです。

これによってすでに開業していた江津〜浜原は三江北線に名前が変更されました。

 

ここまで立久恵線は一畑電鉄に合併されながらも残っていましたが、1964年、立久恵線は集中豪雨に遭い、路盤が流出してしまいました。その翌年には復旧作業は行われないままに立久恵線は廃止。昔から災害はローカル線の営業にとって致命的なことだったのです。

一方で三江線は地道に延伸が進み、1963年には式敷〜口羽が開業し、三江南線とされる区間が開通しました。

続いて1966年に口羽〜浜原が着工されます。この区間についてはかなり高速で走ることが出来るように長いトンネルを掘って山を抜けたり、高架線を作ったりとかなりお金をかけていました。

 

そして1975年、三江線は全線開通。いよいよ広島と島根を直接的に結ぶ陰陽連絡線になるかと思いきや…結局100キロを超えるローカル線として運行されることとなりました。

ところが、三江線は効率の良いルートを取るために川を挟んで集落の対岸に作られていたため、地元の方々にも利用されづらかったのです。

 

何度か廃止議論はなされたものの、鉄道の代替となる道路の整備が進んでいなかったこともあり、三江線は存続され続けていました。

しかし、地元利用者にも陰陽連絡としても不便となってしまった三江線は、2018年3月に廃止。

最初からこの運命は決まってしまっていたようです。

参考
三江南線の終着駅、口羽駅【三江線駅めぐり1】

三次駅近くのホテルで宿泊し、三江線の始発に乗るべく三次駅方面へ歩きます。   ↑駅前には謎のモニュメント。 と、言っても見えないですね(苦笑) いつものようにGoogleストリートビューに頼 ...

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ここまで陰陽連絡線になるはずだったのに繋がらなかった路線や、廃止されてしまった路線をご紹介してきました。

未成線というのは折角途中まで作ったのに、その地域に鉄道が通らなかったという無念さを感じるものです。そんな中でも途中までは作られた路線で現在も残っているものは全国にあります。

これからはそんな鉄道を大事にしていきたいですね。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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