前回は大浦天主堂、グラバー園を観光していきました。
-
閉館した大浦天主堂、工事中のグラバー邸を観光【九州一周18】
特急かもめで長崎駅までやってきました。 大屋根の特徴的な長崎駅。現在は高架化され、地上ホームは解体が進んでいます。 いずれはこの駅舎も駅らしさを失ってしまうことでしょう。 ...
続きを見る
グラバー園から山を下ってきて、中華街辺りまで来ました。大きな門が二重に並んでいて、荘厳な雰囲気が漂います。
中華街はとりあえずスルーしまして、路面電車のある広い道、大浦海岸通りに向かって歩いていきます。
メディカルセンター停留場まで来ました。
この辺りの歩道にあるのがこちら、
我が国鉄道発祥の地の石碑です。
日本に初めの鉄道として、新橋〜横浜(汐留〜桜木町)が有名ですが、本当に日本で初めて鉄道が走ったのはここ、長崎となります。
新橋〜横浜は営業として初の運行でしたが、長崎では慶応元年にトーマス・グラバーが線路を敷き、多くの人々の前で見せたのです。
お隣には運上所跡というのがあります。ここでは税関や外国船の荷改めを行っていました。
つまり、車道部分はかつて海だったということ。
見知らぬ汽車が音を立てて走っていったのは、日本人にとって驚きだったことでしょう。
海沿いを走る古くの汽車を見てみたかった気がします。
次に向かいましたのは出島です。
江戸時代に鎖国していた日本ですが、唯一の外国に開かれていた港でした。
欧米の中でもオランダとだけは貿易を行っていて、オランダ風説書によって欧米の状況はわかっていたそうです。
扇形の川に分けられ、左側は元々陸地であった長崎の市街、右側が出島になります。
出島を挟んだ右奥が昔は海だったのですが、今では埋め立てられて新しめの建物が立ち並んでいるところです。
それでは出島に入ります。
島内には日本風でありながら洋館のようなものを作った、偽洋風建築が並んでいました。
宿場町のような雰囲気も漂いながらも、所々には西洋的な装飾も施され、当時の様子をうまく再現している感じがします。
出島内には出島の模型であるミニ出島が置かれていました。昔数学の教科書で面積を求めてみましょうという問題があったのを思い出します。
僕が入ったのは正面に架かっている端ではなく、右手前の門のところからです。
島内には各国の商館や貿易商の蔵などが建っていました。
現在の建物の中には様々な展示がされています。
その中で目を引いたのが旧出島橋の展示。
江戸時代の出島橋は石をアーチ状に積んで作られていました。
その頃の出島橋の親柱と伝えられるものも展示されていました。
工事中に発見されたようで、四角くくり抜かれたところには灯籠として使われたと見られているそうです。
帰りは表門から出ていきます。
現在の表門の橋はかなり不思議な形です。
これは橋の重さをなるべく出島側に伝えないような構造になっています。
詳しい解説もされていて、かなり苦労したことが伺えます。
さて、近くの長崎新地中華街まで来ました。
最初とは少し違う場所の、新地橋の辺りです。
ここでは角煮まんを購入。
普通の肉まんよりも脂が乗っていて、食べごたえがありました。
最後は再び路面電車でこちらへ。
めがね橋でした。
1634年に造られ、日本初のアーチ橋として有名です。
日本橋、錦帯橋とともに日本三名橋とされています。
この日は曇っていたのであまり分かりませんでしたが、水面に映った橋と合わせて眼鏡のように見えることから名付けられているのはご存知の通り。
3月だったので振り袖を着た人たちが記念写真を撮ったりもしていました。
近くで見てみると継ぎ目のところがカマボコ状になっています。これによって遠くから見てもキレイな白色が目立つのです。
この工法は東京駅にも用いられています。
これにて長崎の観光は終了、路面電車で長崎駅へ戻りました。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
-
【ついに高架化】長崎駅の地上ホームと開業前の高架を観察【九州一周20】
長崎の観光を終え、長崎駅に戻ってきました。 そんな長崎駅ですが、3/28から高架化されました。長崎~浦上が高架化されたのですが、市内の交通円滑化のほか、九州新幹線西ルートの開業を控えた駅 ...
続きを見る
-
九州一周旅行を簡単にご紹介 シリーズ目次【九州一周0】
これまで僕は多くの場所へ旅行へ行っています。毎年夏休みなどを中心に様々なところへ行ったり、連れていってもらったりしました。 しかし、そんな中でも九州にはあまり行ったことがなく、小学6年生の頃に一度屋久 ...
続きを見る