北海道 JR

夕張支線 鹿ノ谷駅につまった地元の方々の愛情とは…?【初北海道の旅11】

2020年2月3日

2018年8月12日(日)

列車はだんだんと山の中へ入っていきます。

夕張支線のなかではもっとも険しく、これを越えると夕張の町となるのです。

 

途中では集合住宅のようなものも多く見られました。

中には廃墟のようなものもあり、石炭で賑わった頃の発展の様子が伺えます。

 

終点の夕張駅に到着。

夕張支線の始発にはあまり人は乗っていなかったのですが、この列車で夕張駅で下車する人はかなり多かったです。大体、2両編成のうち2、3席空いているくらいのお客さんの数でした。

 

夕張駅はこのあとで。

このまますぐに新夕張方面へ折り返します。

夕張駅の様子を知りたい方はコチラへ!

夕張駅 移転に移転を重ね…。

夕張駅から1駅、鹿ノ谷駅で下車。

列車を降りたらすぐに駅近くの跨線橋へ上がります。

というのも…

 

跨線橋から発車するキハ40を撮影するため!

実はこの跨線橋から列車をとった写真がJTB小さな時刻表の表紙になっていたのでした。

 

コトコトと列車は再び山の方へ向かっていきます。

 

その跨線橋がこちらでした。

なかなか古そうな感じですね。

 

ホームへ戻って駅観察へ。

現在は1面1線ですが、大きな駅舎からお分かりのように昔はもっと多くの線路があったのです。

 

先程の写真ですが、列車が走っている線路の左側の空き地、ここに線路が広がっていたのです。

 

駅名標

かなりボロボロですね…。

この辺りの実際の地名は鹿『の』谷ですが、駅名は鹿『ノ』谷です。

それでは駅舎に入りましょう。

この扉、白い塗装からは重厚感があまりありませんが、かなり重かったです。

駅舎内

プラスチック製の椅子が並べられています。この色の椅子があるだけで駅舎の明るさがかなり変わりますね。

 

ガラス窓の部分は窓口あとで、その右奥にあるのが荷受口です。

無人化されたのは昭和59年ですが、いつでも再開できそうなくらい当時のまま残っているのが良いですね。

清水沢駅のような痛々しさはちょっと怖いまであります。

 

窓口横にはこんな記事。

鹿ノ谷駅におかれていた駅ノートが行方不明になってしまったのです。しかし、しばらくすると石北本線の緋牛内(ひうしない)駅で見つかり、駅前の鹿ノ谷郵便局に届けられたのでしした。

しかし、なぜそんなところで見つかるのか…。謎ですね。

さらにその近くには幸福の黄色いハンカチを模したこんな飾りつけが。

 

黄色い画用紙一つ一つには『ありがとう』と彫られたスタンプが。

鉄道ファンが廃止で残念だ、と言うのとは比になら無い愛情を、これを作った方は持っているのだと思います。

 

そして、それを共有させてくれる、こんな記念カードも。

 

素敵なおもてなしをありがとうございます。

 

駅前

道一本が駅に向かって走っていて、それにそって空き地が多くなっています。

ということはこの道はかつて賑わっていたはずです。かつてこのあたりで炭鉱で働く人々が集っていたのだと想像もできます。

 

どっしりと構えた立派な駅舎。

この辺りには炭鉱住宅が立ち並んでいたこともあるため、当時は大変な混雑だったのでしょう。

さて、鹿ノ谷駅からとなりの夕張駅まで1キロ弱なので歩いて向かいます。

次回はコチラ!

夕張駅 移転に移転を重ね…。




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