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【ヨーロッパ行きの廃線跡】新幹線終着駅から伸びる廃線が立派すぎた…。

 

2024年3月に延伸を果たし、北陸新幹線の終着駅となった敦賀駅。

北陸新幹線と特急列車の乗り換え駅として、大きな要塞を構えています。

人口6万人ほどの地方都市でありながら、交通の拠点に位置付けられた敦賀市。

実は100年以上前、更なる交通拠点としての役割を担っていました。

 

かつて敦賀駅から敦賀港には、敦賀港線という貨物線が伸びていました。

全長5kmに満たない短い路線ですが、ただの貨物線と思うなかれ…

 

敦賀とウラジオストク(ロシア)には国際航路が就航しており、ユーラシア大陸への国際路線だったのです。

ウラジオストクからシベリア鉄道を通ってヨーロッパへ向かうルートの一部であり、当時は東京からパリなどのきっぷを買うこともできました。

 

海外への玄関口という大役を担った敦賀港線は、2019年に廃止。

その廃線跡の現状を見に行ってみましょう。



 

敦賀駅を離れて踏切跡へ

敦賀駅から北へ向かってクリーム色の住宅街を抜け、北陸新幹線を見上げ始めます。

 

高架を支える脚をご覧いただくと、奥の方が大股になっています。

建設当時まだ敦賀港線があったため、それを跨ぐように高架橋を作ったのでしょう。

 

新北陸トンネルを目指して空に弾道を描く高架に対し、敦賀港線は手前でカーブ。

 

やや広い道路と交差するのですが、レールが現れました。

おそらくここには踏切が設置されていたのでしょう。

 

敦賀駅寄りは整地されていましたが、敦賀港駅寄りには線路や勾配標がそのまま残されています。

レールが錆びているとはいえ、枕木やバラストなど思ったよりは綺麗な状態です。

 

線路沿いにはJR貨物の用地として、看板が立てられていました。

どうやら線路沿いの空き地で、畑を耕しちゃってる方がいらっしゃったみたい。本数が少ない貨物線だと、たまに黙認してる光景を見られます。



撤去されはじめの廃線跡

しばらく線路沿いに道が無かったのですが、国道8号と立体交差した先で再び近くに線路が現れます。

踏切は撤去されているものの、線路は現役当時の状態を留めていました。

 

線路立入禁止の看板も、表記主が敦賀港駅長になりました。

 

その近くには、おそらく勝手踏切だったであろう場所。

踏み固められて出来上がった道が見えてきます。

 

こちらは公式の踏切跡、虎柄の柵がその名残を示していました。

 

近くには、何やら見覚えのあるシルエット。

踏切のバッテンマークが横たわっていました。警報器や遮断棒が付いていない第4種踏切だったと思われますが、渡る前に列車が来ないか安全確認を促します。

 

そして、この辺りから線路の撤去が始まっている様子。

数々の列車を支えたレールが、民家の前にまとめられていました。

 

再び線路が現れ、鉄道の信号機まで残っていました。

柱の先には2つ並んでくっついており、敦賀港駅構内で分かれる線路ごとに、進んで良いか示していたようです。

 

車も通れる幅が広めの踏切、こちらには警報器も設置されていました。地下の電気系統の線がピヨッと伸びています。



敦賀港駅構内

ここまで単線だった線路ですが、敦賀港駅が近づいて来たところで分岐。

 

ポイントの転換機も残っており、ガチャっと行く道を決められそう。

 

さらに進むと工場や住宅から一気に視界が開けました。

敦賀駅から30分ほど歩きまして、敦賀港駅跡に到着です。

 

先ほどの信号機とは対照的に、駅構内の信号機は線路からそっぽを向いていました。

指示を出す先を無くしてしまった、寂しそうな背中です。

 

JR貨物の看板が、貨物駅だった証拠。

これが無かったら、ちょっとした広場かと思ってしまいそう。

 

敦賀港線における貨物列車の運行は2009年を最後に、2019年に廃線となりました。

その後敦賀港駅はトラック輸送の拠点、オフレールステーションとして活躍します。

 

当時はコンテナを携えたフォークリフトを見られたのですが、その役割も2025年3月に終えました



人道の港 敦賀

敦賀駅跡周辺を歩いていると、足元に「ユダヤ難民上陸地点」の文字が現れます。

 

敦賀港は1920年代にポーランド孤児、1940年代にユダヤ難民を上陸させた日本で唯一の港です。

異国の人々を救う上でも、重要な役割を果たした港になります。

 

当時の税関や敦賀港駅舎など4棟は、「人道の港 敦賀ムゼウム」として再現されています。

「ムゼウム」とはポーランド語で「資料館」の意味。

人道の港として、当時どのような働きをしたのか解説しています。

 

館内展示は基本的に撮影禁止だったのですが、ポーランド孤児、ユダヤ難民、当時の住民の証言をもとに、史実を知ることができたのが良かったです。

 

大きな出来事としては、ポーランド孤児、ユダヤ難民の救われた側と、敦賀の救った側の、温かい話で終わってしまいがち。

しかし、敦賀の住民の証言が紹介されていたことで、宿や浴場を提供したり、ときには異国の人々に対して興味深い目を向けることもあったり。綺麗事では終わらない、一般住民のリアルな目線を知れたのが良かったです。



敦賀港駅の今後

敦賀港駅跡や廃線跡は、公園として整備される予定です。

 

(https://www.city.tsuruga.lg.jp/smph/about_city/news_from_division/machizukurikankou_bu/machizukurisuishin_k/kanegasaki_keikaku.html より引用

©OMA 無断複製転載を禁じます)

転車台モニュメントやレールを使った散策路など、貨物駅の広さを活かします。

 

敦賀赤レンガ倉庫で保存されている、小浜線で走ったキハ28形も公園内に移設されるようです。

 

一帯の公園整備は2027年度春の完成を目指しています。

日本と海外を結んだ港が、姿を変えて再び賑わう日が楽しみです。



まちなかに残る鉄道遺構

最後に、敦賀港線廃線のさらに100年前、明治期から残る鉄道遺構を見に行ってみます。

1882年の鉄道敷設当時、敦賀駅は氣比神宮あたりに位置しました。

1909年にルートが変わり、現在の位置に移転しています。

敦賀に鉄道が敷設された明治からの遺構が残っているようなのですが…

 

ありました。

明治とは程遠い、スギ薬局の目の前です。

 

こちらは眼鏡橋として親しまれる「穴田暗渠」。

日本遺産に認定された鉄道遺産文化財の一つです。

 

当時はこの上にレールが敷かれ、イギリス製の蒸気機関車が走っていたとのこと。

現在残っているのは最下層部のアーチ部分だけですが、重い列車を支えるためもっと厚みがあったみたいです。

 

今では数多くの列車が走ったとは思えない小さな姿。

しかし、たしかに物流や旅客輸送を支えた歴史があります。

 

150年前から大きな交通の拠点として役割を担い続けた敦賀。

訪問の際はぜひ遺構をたどりつつ、その歴史を感じてみてください。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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