北海道 JR

北海道開拓の苦労が分かる藤山駅【初北海道の旅26】

2020年3月4日

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幌糠駅近くからバスで藤山駅までやって来ました。

 

きれいに改装された可愛らしい駅舎。近くの大木が駅舎を小さく見せ、可愛らしさをさらに増しているかもしれません。

植物園などにあるちょっとした休憩所みたいです。

 

駅前にはこんな記念碑がありました。

藤山開拓之碑。

1896年に藤山要吉さんがこのあたりに300haの藤山第一農場の開墾事業を始め、北陸から小作人を呼び入れたそう。

そして国鉄留萌線敷設の際に駅用地を提供したことから、記念に立てられました。

 

その左側にもまた記念碑が。留萌市長さんの『翔く』の文字が彫られています。

こちらは藤山小学校90周年を記念しまして、藤山地区開拓の苦労を想い、そして感謝の気持ちをこめて作られました。

藤山要吉さんは小樽などを拠点に北海道の航路を次々と結んだ方です。そして道内の奥地に開拓が進んだのを見ていち早く農地を広げたそう。

まさに『うっそうと生い茂る原始林』を開拓していったのは相当な苦労だったのだと思われます。

なお、藤山小学校は2003年に閉校。開拓から100年がたちましたが、100年後、原始林に戻ってしまっているのかもしれません。


それでは駅の方へ戻しましょう。

駅舎は元々倍くらいの大きさがありました。国鉄民営化でよくみられるのですが、そこで駅舎が減築されたのですね。

しかし最近になって更にリニューアルしたようで、本当にきれいです。

藤山駅で調べてみますとすぐにリニューアル前の駅舎が出てきますよ。そちらもかなり年期が入っていて、つぎはぎの木造駅舎、見てみたかったものです。

 

元々の駅舎がどこまであったのか明らかで、相当立派なものをこしらえていたんですね。

 

駅舎内も真っ白に塗られていて、留萌本線の現状を感じさせないほどです。

 

駅舎が半分にされる前はここに通路があったのでしょうか。おそらく解体されてしまった方に駅員さんがいらっしゃったのでは?

 

砂利のしかれたホームにも慣れてしまいました。単式ホームです。

駅舎のホーム側がかなり古そうですが、リニューアルされる前は全体的にこんな感じでした。

 

1984年に交換設備が撤去されるまでは千鳥配置の相対式ホームがあったそうです。

 

藤山要吉さんの名前からとられた駅名。

列車の排気で汚れた駅名標ですが、藤山要吉さんの北海道に与えた功績は現在でも影響しているもの。

たとえ藤山駅がなくなってもその名前は北海道の歴史上語り継がれることでしょう。

 

それでは最後に留萌駅まで向かいます。

 

留萌駅の大繁栄も過去のものか…?

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